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ハルさんの宣告はとても正しい。
そもそも自業自得だし、わがままを言うつもりはないのだが。
「……はぁい……。あ、あの、イベントは……?」
この期に及んで図々しいが、やっぱりそこは気になるところだった。
イベントデビューはすごく楽しみにしていた。どうしても出たい。
「完治が条件だ。今日の帰り、クリニックに寄れるか? もう少し詳しく調べて、処置もする」
「大丈夫です。私が車で連れて行きます。でも、時間外では?」
「俺の病院だ。構わないよ」
祷とハルさんが話をまとめてくれた。
何人の手を煩わせてしまうのか。本当に申し訳なくて身を小さくしているわたしはそのうち消えて無くなりそうだ。
「まあ、そういうことだから、今日は終わるまで見学してナ。ある程度叩けるようになった段階で、客観的に音を聴くというのもいい機会だ。決して無駄にはなんねーからヨ」
自業自得だし、納得するしかない。
わたしはおとなしく座って見学をすることにした。
手首は絶対動かすなと言われた。もどかしいけどリズムを取ることも我慢して、音に集中して過ごした。
祷は時折心配して声を掛けてくれたが、祷の演奏が既にある程度の形になっていて、較べないと決めたばかりなのに少し焦りを覚えた。
クリニックでは、痛みの感じ方や強さと痛みの発症の経緯から、骨には異常ないとの判断でレントゲンは撮る必要はないだろうと省かれ、より精密な触診と問診をしてから、湿布薬を貼ってもらい、手首を厳重に固定してもらった。
ハルさんの所見では、安静にしていれば二週間もかからずに痛みは引くだろうとのことで、イベントには間に合いそうだった。但し、油断は禁物で、完治するまでは練習も厳禁だと念を押された。
利き腕が使えなくなってしまった。
スルドは祷が部屋まで運んでくれた。
お風呂は身体を洗うのも大変だったけど、頭を洗うのにことさら苦労した。
右腕を濡らさないようにしつつ、まず左手で持ったシャワーで髪を濡らし、左手だけで頭を洗って、また左手に持ったシャワーで流す。洗いながら流すという行為ができないので、なかなかシャンプーやコンディショナーが落としきれなくて困った。
祷がドライシャンプーを貸してくれると言っていたけど、洗い流さないというところが、汚れは消えてなくなるわけではないのだから、流さなかったらどこかに残るのでは? という思いから断ってしまった。
こんなに大変なら、素直に借りておけば良かったと後悔したが、後から聞いたら、やっぱり汚れは残るみたいで、ドライシャンプーだけでは長期間を完全にケアすることはできないようだ。
いろいろと先が思いやられ、憂鬱になった。
学校では、授業中のスマホの操作は原則禁じられているため、黒板を撮影するという行為も禁止だったが、担任の先生が各授業の先生に事前に申告してくれて、撮影するときに挙手をして、その時だけスマホを出して撮影することが許された。
都度一瞬授業を止めてしまうので、ここでも申し訳ない思いを抱えながら撮影させてもらった。板書の量が多い先生は大変だった。
お母さんが、わたしから頼んでいないのに、朝ごはんとお昼のお弁当はパンを中心に、おかずや夜ごはんはスプーンとフォークを使って片手で簡単に食べられるように手を加えた料理を作ってくれた。
いろいろと不便ではあったが、骨折程の大けがでもないにかかわらず、周囲があれこれと助けてくれた。
特に両親に対しては、普段からネガティブな想いを抱えていたくせに、こんなときばかりちゃんと助けてもらうんだ? と、自分の矮小さが嫌になる瞬間もあったけど、そんなことを思うなら少しでも感謝をしようと思った。