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驚いた。
祷が、泣いている。
感情は豊かだけど、基本的には安定していて、抑えるというよりは、適切に制御しているように見えた祷は、これまでだって泣いたことくらいはあっただろうけど、思わず、というか、決壊したように涙を溢れさせている祷の姿は、わたしが認識している祷の像とはなかなか結びつきにくかった。
「あれ、ごめん、あはは、なんで泣いてるんだろうね? おかしいね、私。
でも、ありがとう。一緒にって言ってもらって嬉しいよ」
祷はもうお風呂入ったのかな。
化粧を落とした素顔に浮かべた涙の笑顔は、とても幼く見えた。
祷を完璧な存在として捉えているわたしに、キョウさんは、祷は祷で未完成な子どもであるかのような表現をしていた。
よくよく考えれば当たり前のことだ。
祷はわたしとたったみっつしか違わない、まだ十代の、少女と言って良い年齢なのだから。
わたしが三年後、どれほどの成長を遂げているか想像しても、今とたいして変わりのないであろうわたししか出てこない。
祷だって、ずっと子どもだった。
動物園でどうしてももう一度ラッコがみたくて勝手に戻ってしまった五歳のわたしを追ってきて、一緒に迷子になった八歳の祷が泣いているわたしを励ましてくれた。五歳のわたしは勇気をもらったが、八歳の祷は意志の力で心細さに蓋をしていたのだろうか。
スナック菓子をなかなか買ってくれないお母さんがたまに買ってくれたポテトチップス。特に「からしーふーど」が好きだった七歳のわたしに、譲ってくれた十歳の祷。祷も「からしーふーど」が好物だったのに。
中学の進路の件でお母さんと喧嘩をした十一歳のわたしとお母さんの間に入って執りなしてくれた十四歳の祷。結果お母さんの考えは全く変えられなかったけど、祷が緩衝材になってくれなかったら、わたしとお母さんの関係はもっと決定的に悪化していたかもしれない。わたしには祷がいた。でも祷が同じ立場になったとしても、きっと祷は自分の力だけで乗り越えてきた。
そこには、祷だけの孤独がある。寂しさがある。それをわたしは、今更理解した。
「今まで、避けるようにしてて本当にごめんなさい」
わたしは、祷と向き合うと決めた。
これまで祷がわたしにしてくれたことに真摯であろうと決めた。
わたしがしてしまっていたことへの、贖いをしようと決めた。
それでも、いきなり今まで凝り固まらせてきたしこりが霧散するわけではない。
なお燻るものはあるだろう。時には消えない種火が燃え広がる瞬間だってあるかもしれない。
そんな自分を見て見ぬ振りはせず、認めながら、もう逃げたり隠れたりしないで、受け止めて生きていこう。
「次の練習の日に入会届出すね。がんちゃんの楽器は私が持っていくよ」
祷は練習は車で行くので、今後の楽器の持ち運びを買って出てくれた。
行きはお互い学校から直接向かうことが多くなりそうだけど、帰りは一緒に帰ることになった。
祷は基本的には練習は全部出るつもりでいると言う。どうしても出られない日はチーム所有の楽器を借りて練習することにした。
祷は早速いろいろとわたしの扶けとなってくれようとしている。
嬉しいしありがたい。けれどすこしむずむずするような感覚があって、素直にお礼を言う代わりに違うことを言った。
「練習はね、エンサイオっていうんだよ」
正確には、バテリアとダンサーが合同で行う練習のことをエンサイオという。
『ソルエス』では、チームで設定した練習日のことを単にエンサイオと呼んでいた。
キョウさんはわたしを素直というけど、やっぱりそうでもないと思う。
「そうなんだ。サンバのことはがんちゃんが先輩だね。いろいろ教えてね」
けれど、そんななんでもない会話を、祷は嬉しそうに受けてくれた。
祷も、わたしも、もう涙は止まっていた。