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街道から信号を曲がり、生活道路に入ったところでキョウさんはバイクを停めた。
わたしの家のある区画だ。もう歩いて一分もかからない。
「家の前まで付き添うか?」
閑静な住宅街だからか、キョウさんはエンジンを止めてバイクを押してついてこようとしてくれた。
心強い。けど、
「ううん、もう大丈夫。キョウさん、ありがとう」
わたしの目には決意でも宿っていたように見えたのだろうか。キョウさんは少し笑って、「ガンバレヨ」と言ってくれた。
颯爽と去っていくバイクを見送って、わたしは家へと向かう。チャイムは鳴らさず自分で門扉のセキュリティを解除し、敷地に入る。玄関の鍵も自分で開けて家に入った。
「ただいま」
別にこそこそ帰ってきたわけではない。チャイムは鳴らさなくても、自分から帰ってきたことを告げる声をあげた。
普段は「おかえり」と言われれば返事はするが自分から挨拶はしていない。
「あら、おかえり。祷とは別々なのね」
お母さんはこんな感じだ。
祷がソルエスに挨拶に行くことは知っていたようだ。現地でなにがあったかは知らないのだから、そんなものだろう。
遅くなることも夕食を済ませてくることも、帰り時間の目安も、キョウさんから祷へ伝わっている。
祷はきちんとお母さんに伝えているのだろう。その時点で、わたしの挙動はお母さんの心配事から外れる。
お母さんがわたしの状況を把握することが安心材料なのではない。祷が掌握しているという状態が安心なのだ。
なので、ここで特段やり取りは発生しない。
祷は出てこなかった。部屋に居るのだろう。二階に上がり、祷の部屋の前までくる。
別に緊張はしていないけど、一度大きく息を吸って吐いた。
扉をノックし、中に向かって声を掛ける。
「お姉ちゃん、わたし」
中から扉が開けられ、祷が顔を出した。
祷はいつも、中から扉を開けてくれる。
中にいたままで、「どうぞー」とか、「開いてるよー」みたいな対応はしない。必ず自分から扉を開け、顔を出し外の相手を迎えてくれるのだ。
「おかえり、がんちゃん。中入る?」
頷き中に入る。
祷の部屋に最後にちゃんと入ったのはいつだったか。子どもの頃に、一緒にゲームをしたとき以来かも。
その頃もアイボリーやベージュが基調の、シンプルでナチュラルで温かみのある部屋だったけど、久しぶりに入った祷の部屋は、大人っぽく洗練された雰囲気も持っていた。
祷に勧められるまま、背の低い小さな二人掛けのソファに腰を下ろした。
アイボリーの布地のソファはふわっとしていて、包まれるような感覚で心地が良かった。置いてあったクッションを潰すのは気が引けて、抱えるようにして持った。このクッションも柔らかくて気持ちが良い。
さっきまで防波堤に直接座っていたのを思い出した。
立ち上がった時に一応払ったけど、汚れてないかな。もし座面に砂をつけちゃってたらどうしよう。祷のことだから、笑顔で気にするなと言うのだろうけど。
そんなことにも気が回るのだから、きっとわたしは今冷静だ。今ならちゃんと話せる。向き合える。