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今から二十数年前、駅を起点に南に伸びる『サンロード商店街』と、北に伸びる『スターロード』商店街は、それまでの客を奪い合うような関係性による双方の疲弊と衰退に終止符を打つべく、両商店街より集まった七名の有志により、協働して商圏を広げ、スケールメリットを出して顧客への還元や集客を図る方向に舵を切った。
その象徴が、両商店街が主催する集客企画の『サンスターまつり』であり、その祭りを盛り上げるために立ち上げられたのが、『ソルエス』だった。
商店街の店主たちも所属している商工会に、日系ブラジル人が経営していた自動車整備工場があった。
商工会の集まりなどの際に、その整備工場の代表との会話の流れで、同じ工場に勤めている代表の息子にサンバの講師をやってもらえそうだと言うことになり、サンバならお祭りの盛り上げ役にぴったりではないかとの考えから、サンバチームが発足したという経緯があった。
商店街の一角にある『東風クリニック』の当時の院長先生も七人の立ち上げメンバーのひとりだった。ハルさんのお父さんだ。
お父さんに倣い、ハルさんも『ソルエス』創設時からメンバーとして参加していた。
サンバの講師を務めていた日系ブラジル人の青年にもよく懐いていて、彼が働く自動車整備工場にも顔を出すことがあった。
ハルさん自身、自動車やバイクが好きだったこともあり、作業の様子を興味深そうに眺めていたのだそう。
その工場で働いていたキョウさんは、ハルさんとこの頃に出会っていた。
その後、自動車整備工場は廃業することになり、講師の青年もブラジルに帰っていった。
ハルさんはサンバを続ける一方、医師になるための勉強が本格化していく生活の中、バイクの免許を取得し、勉強の息抜きと称して、週末の夜の限られた時間、スピードに身を委ねていたらしい。
職場は変わっても、整備の仕事をしていたキョウさんを追って、ハルさんは愛車の整備やカスタムなどを依頼する傍ら、キョウさんの教えを受けていた。
「当時もハル坊は今と変わらず、飄々としていたけど、ストレスやプレッシャーはあったんだろーな」
中学生の頃から職場に出入りしていた見知った少年が、高校生となりバイクの免許と勉強のストレスと将来のプレッシャーを得た青年へと成長していた。
キョウさんが若者に重ねていた像は、若く無鉄砲だったかつての自分から、やがて、近しい年齢のかつて手放した娘に代わっていった。
ひとりの大人として、遠い日に自分も通った道を進もうとしている若者に、多少の道標にでもなればとの思いで行っていたつもりの手ほどきは、いつの頃からかキョウさんの中に、肉親に対して抱く想いに近い感情が生まれていた。
ハルさんとの交流で冷えた心に戻った熱が、自分の裡には存在してないモノとした娘への情も、戻したのかもしれなかった。