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声を出して泣いたら、少し落ち着いてきた。
「わた、わたしっ、出てっちゃって、ごめんなさい」
だめだ、まだ言葉が詰まる。
「落ち着くまで喋ンなくていい」
キョウさんはわたしを黙らせ、ただ待ってるのも芸がないからと、「オレの話でも聴いてくれや」と、話はじめた。
キョウさんは二十歳で結婚した。
今から三十年くらい前だ。
当時としても、結婚する年齢としては早い方だった。ただし、一部の属性の若者は結婚が早いひとも多かった。
その頃は、不良と呼ばれるような少年少女と、そうではない者たちの区別がつきにくくなりつつある時代だったが、わかりやすい人たちはまだ大勢いた。
旧いタイプのヤンキーや暴走族から、少しファッショナブルになった渋谷系、今の半グレの元になったようなチーマーやカラーギャングなどと呼ばれる輩たち。
少女に限っていえば、女版のヤンキーのスケ番や、暴走族のレディースはほとんど見かけなくなったが多少は存在していて、一方子ギャルという存在が生まれ始めた頃だった。
元々は女子大生たちがギャルと呼ばれていて、当時隆盛を極め社会現象にもなった、固有名詞がそのまま当時を表す単語として名を残しているディスコで踊っていた。
そのブームが終焉を迎えようとしていた頃、彼女らの下の世代の高校生たちが、ギャルに子をつけた呼び名で自らを名乗り、プチ女子大生のような遊び方をし始めていた。
その後のコギャル文化を象徴するようなアイコンは、この頃はまだ無かった。
そんな混沌の時代の中に、キョウさんの青春があった。
「キョウさんも不良だったの?」
そうだと言われても違和感はない。あの口調だし、この見た目だし。バイクも好きだから、暴走族だったとしても納得する。
けど、キョウさんの答えは「そんなンじゃねーよ」だった。
ロックバンドを組んで、ずっとライブハウスに入り浸っていたそうだ。
当時は学生のうちに組むバンドは不良っぽいひとの割合が多く、ライブハウスは今よりもアンダーグラウンド感があったから、やっぱりどちらかといえば不良の部類ではあったようだ。
キョウさんのバンド『サーバルキャッツ』は、キョウさんが拠点にしていたライブハウス『paraiso』では人気で、インディーズでアルバムも何枚か出していた。
キョウさんが十九歳のとき、キョウさんのバンドの追っかけをやっていたふたつ年下のひとと付き合い始め、翌年結婚した。
キョウさんも若いが、彼女は結婚時点で十八歳だ。彼女のお腹には、キョウさんの子がいた。