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駅にはエレベーターやエスカレーターがあるし、道はキャスターで転がしていけば良いから、スルドの移動は思ったよりは楽だった。キョウさんがつくってくれたケースのおかげだ。
然程の苦労もなく家に着き、玄関を開けた。
「めがみちゃん? おかえり」
気づいたお母さんから声がかかった。
「ただいま」
返事はするが、リビングは通らず直接自室へ向かう。スルドケースのキャスターは汚れてるしフローリングも傷つけそうだから、一応持って階段を登ろうとしていたら、お母さんがリビングから出てきた。
大きい筒のようなモノを抱えて階段を登ろうとしている娘は奇妙に見えたことだろう。
「めがみ? なあに、それ?」
「楽器」
「どうしたの? それ」
「もらった」
「もらったって、なんで? 誰に?
随分と大きいけど、高いものなんじゃないの?」
そうだ、こうなる可能性があった。
お母さんに見られたら質問攻めに遭うのは明白だった。
なんで素直にテッチャンに預けなかったんだろうと後悔しても遅い。母を納得させなくては部屋に篭ることもままならない。
「わたし今楽器習ってるの。教えてくれてる人が中古のをくれた」
「バイト以外の日でも遅い日があったから、何かやってるのだと思ってたけど、そう、楽器やってるのね」
親にはサンバをやっていることは言ってなかった。
母は母の理想の娘であることにこだわりを持ち、理想から大きく外れるようなことは決して許さない。
しかし、その範疇であれば意外なほど寛容で、見極めのための詰問は多いが、問題なさそうな場合は放任と言えるぐらい関心を持たない。
サンバと言ったら、もしかしたら騒がれるかもしれない。でも、楽器なら通ると思った。祷もブラスバンドやってたし。それに、嘘ではない。
貰い物についても、中古ならハードルは下がっているはずだ。そしてこれも嘘ではない。
しかし、お母さんは世間知らずかもしれないけど一応一般的な常識を備えた大人だ。
「習い事なら先生がいらっしゃるのよね。お教室はどの辺?」
今度のレッスンの日に、挨拶に一緒に行くなどと言っている。
それは困る。別にやましいことはないのだけど、ただただ面倒だ。
お母さんは自分の価値基準から降りてくることがない。自分の知識や経験の範疇外にあるものを、むやみやたらに否定はしないけど、理解しようと歩み寄ることはない。だけど、理解を望むのだ。
その人にとって理外にあるものを、そのひとの価値基準で理解できるように説明しなくてはならないのはとても骨の折れる作業だ。歩み寄る気の相手に、手間などかけたくない。
わたしが言い淀んでいると、お母さんは徐々にヒートアップしてきた。
嘘はついていない。けど、ここで口をつぐめばいかにも怪しい。無用な疑いをかけられるのは明らかだ。でも、嘘ではないけどお母さんが思っている習い事とはイメージが異なる。それを誤解だとするなら、その誤解は解いてはいない。
いっそ全てを詳らかにしても良いのだが、それでも挨拶に来るという動きは止められないと思う。わたしの世界にお母さんに入ってきてほしくなかった。