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あれから、祷は

「気をつけるのよ」


「うん、行ってきます」



 いつもの日常。

 学校に行くわたしに、声くらいはかけるお母さん。返事くらいはするわたし。



 あれから、何か変わっただろうか。

 あの日。客席もステージもサンバで一体になれた。

 ステージから膨張していくサンバという風船は、客席を同じ律動に包みその空間を音と興奮で浸した。

 ステージにいたわたしたち姉妹と客席にいた両親は、確かにその場を共有していたはずだ。




 祷は相変わらずわたしに優しい。

 最近ちょっとそうかな? って思ってることはある。祷、多分わたしに夢中な気がする。多分だけど。

 そんな祷は、これも相変わらずだけど、優秀でしっかりしている。

 でも、前みたいに完璧で隙のない姉、という印象は薄れたかもしれない。

 距離を置いていた時には気づかなかったけれど、祷は意外とお茶目で可愛らしいところがある。

 高い基礎能力でなんでもできるしミスもないと思っていたけど、たまに抜けていたり詰めが甘かったりする。

 しなやかな靭さを備えた大人だと思っていたけれど、たまに弱さや脆さが見え隠れすることがある。


『ソルエス』にふたりして入って、一緒に練習に行くようになって、一緒に買い物とかも行くようになって、ふたりで新しいイベントを取りに行くことになって、『ソルエス』のみんなも加わって準備したりプレゼンしたりして、そして、同じイベントで、一緒に演奏をした。


 いろいろな一緒に居た場面で、居てくれた場面で。

 祷のいろいろな側面に触れることができた。



 いつも柔らかな微笑みを湛えていた祷だったけれど、一緒にスタッフをやったイベントでお祭りを回った時、その日の打ち上げで盛り上がっていた時、プレゼンの後のラーメン屋で四人で夕食を食べた時、フェスタジュニーナの会場でスルドを運んでいた時、阿波ゼルコーバファン感謝イベントの出演前の準備の時。

 ちょっとした瞬間や誰かの一言なんかで小学生みたいに笑っていた祷。



 プレゼンの前日に着ていく服をどうするかを一時間くらいウォークインクローゼットの中でファッションショーをしながら悩んでいた祷。


 買ったばかりのスルドを調整しようとしてネジを外したら、バラバラになりすぎて収拾がつかなくなり、チカさんに連絡して四苦八苦しながら直していた祷。


 フェスタジュニーナに行くみんなと待ち合わせた駅に車で向かった際、道に詳しくないのになんとなくで行った結果、待ち合わせとは反対口に着いてしまい、駅の構造上逆側に行くのは大変で、ハリウッド映画の主人公みたいな感じで「先に行って。後から必ず追いつくから」なんて言っていた祷。


 何年も気づかなかった。この数ヶ月で気づいたたくさんの祷。


 シンプルに定期券を落としたりスマートフォンを置き忘れたりしていることもある。

 今となっては、わたしはなんで祷を一分の隙もない完璧なひとだなんて思っていたのか不思議なくらいだ。



 わたしが怪我をした時。

 イベントを諦めることになった時。

 プレゼンで演奏している時。

 デビューイベント前で緊張していた時。

 デビューイベントで演奏している時。

 祷がわたしの頭や背中に添えてくれた手が、わたしを見る眼差しとその表情が、わたしにどれだけの慰めや勇気を与えてくれたことか。



 だけど、祷が与えてくれるたび、わたしはいつも幼い日を思い出していた。

 動物園で迷子になった時やからしーふーどをわけてくれた時のことを。

 幼いわたしも、祷から心強さや頼もしさ、優しさを感じていた。その中に僅かに、同じく幼い祷が必死に押し殺していた不安さも感じ取ってはいなかっただろうか。


 そして。


 祷が『ソルエス』に入りたいと、わたしに言った、あの日。

 プレゼンの時に、わたしが辿々しくも、その想いを懸命に伝えた、あの時。

 

 感情豊かな祷は、しかしその感情をきちんとコントロールできている。できているはずだった。

 そんな祷が、堪えきれずに涙を流していた。



 いずれも、わたしが勝手に創り上げていた祷像にはなかった姿だ。

 


 いろいろな祷の側面に触れた時、もしかしたら、わたしは祷のその心にも触れられたのかもしれない。



 少し客観的に物事を見られるようになってきたわたしは、姉との差を絶望的なものとまでは思わなくなっていた。

 もっと成長して、姉の扶けになれる自分というものを想像できるようになってきた。



 祷はどうも『ソルエス』でやってみたいことがあるようだった。

 わたしも祷を手伝えたらなと思っている。

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