妖魔の鉄掟
ビルを取り囲む炎が消えた。
何か特別な確認を取ったわけでなくとも、鬼丸が倒れたことで、周哉はその事実を理解する。
「はぁ……はぁ……」
全身が火傷と打撲で、ヒシヒシと痛む。頭の中は倦怠感に浸されて、今すぐにでも泥のように眠りたかった。
だが自分には、まだ立ち上がるだけの理由がある。
「まだだ……だ、まだやることが、」
まずは救護者たちの安否確認だ。それに鈴華たちへの連絡も入れなければ。
周哉は自分がすべきことを再確認しながらも、焼け落ちた壁面に持たれ掛かった。
無茶をしすぎたという自覚ならある。ぐしゃぐしゃに崩れた表情は、精悍とは言い難く、乾いた血と煤に塗れた様は酷く不恰好なものであろう。
ただ、少なくとも今はそれで良かった。
「僕の蒼炎でも、誰かを救えるんだ」
言葉にすることで、周哉はその事実を再認識する。
今はそれだけが誇らしいのだ。
「────おい、小僧」
危うい足取りながらも歩み出そうとした背後で、声がした。
「ちょっと、待てよ」
背中越しに熱を感じる。きっと蒼炎が揺れているのだろう。
けれども、それは先程までビルを包んでいたような業火ではなく、吹けば消えてしまう程の小さなものに感じられた。
「なんだよ、まだやろうって言うのかよ……」
頼むから、そこで大人しくしててくれよ、と胸の内で祈る。
背後で燃える蒼炎と同様に、聞こえる鬼丸の声もまた酷く弱々しいものであった。
全身の再生が追いつかず、その痛みに顔を歪めながらも、必死に言葉を紡いでいるのだろう。
「ハッ……勘違いしてんじゃねぇよ。今回は俺の負けだ。テメェとあの煉士とか言うデカいの勝ちさ。良かったな」
「何が『良かったな』だよ、こんなのに勝ちも負けもないだろ。……とにかく今はそこで大人しくしてくれ。ことが済んだら、お前の手当もしてやるから」
背後の炎が一段と弱まったのを感じられた。その安堵に胸を撫で下ろしてしまうのも必然であろう。
だが鬼丸が次に言い放った言葉に、周哉の背筋は凍り付く。
「俺は『羅刹衆』だ。────羅刹衆夜行壱番隊・筆頭。天王寺鬼丸様だ」
その名を聞いた周哉は思わず振り返ってしまう。
「なっ……⁉」
爆ぜ散った鬼丸の和装からは、鍛え上げられた筋骨を覗くことが出来た。
双肩から胸筋にかけて走る刺青の全体像は、その中心で蒼く逆巻く焔と、鬼の貌を描いている。それこそが羅刹衆に属していることを示す証明なのだろう。
「────ッ!」
周哉の警戒心も再び跳ね上がった。右拳に血のグローブを再形成、それと同時に自らの左半身を蒼炎で燃やし、臨戦態勢を取る。
「おいおい、そうビビんなよ。今の俺らはそんな大層な集まりでもねぇ。……それにお前らは俺に勝ったんだ。だから、そう怖がるな」
鬼丸は歯を剥くと、意味深に笑った。
その笑みが何を意味するのか? そもそも暗殺や傭兵業を生業とする妖魔が、どうしてビルに火を付け、少女を攫おうとしたのか?
周哉の中には、止めどなく疑問が湧いて出る。
ただ、そんな疑問たちも次に発した鬼丸の一言のせいで、全てどうでも良くなってしまった。
「俺たち羅刹衆には一つ、ルールというか、お約束みたいなもんがあってだな。『強者に非ずんば羅刹衆に在らず。羅刹衆に非ずんば生きる価値有らず』って言うんだけどさ」
「は? ……何を言ってるんだよ」
「人間の小僧にも分かりやすく要約してやろうか? 要は羅刹衆に雑魚はいらねぇ、羅刹衆じゃない妖魔は生きる価値もねぇってことさ。んで持って、俺はテメェら人間二人に負けたんだ。この意味が解るか?」
弱者に生きる価値有らず。
それは目的を達成できぬまま周哉たちに敗れた鬼丸も例外でなかった。
「まさかッ⁉」
鬼丸は指先に灯した小さな火を、満身創痍の自身に灯したのだ。
小さかった炎は途端に大きく燃え上がり、その身を簡単に包み込んでしまう。
「ぐッッ……がぁぁぁぁぁッッ!」
炎の中に揺らめくシルエットからは四肢が崩れ、炭化していくまでの一部始終が伺えた。
血肉の焼き焦げる匂いが鼻を突き、上がった絶叫からは鬼丸がどれだけの痛みを堪えているかを容易に想像できてしまう。
「何やってるんだ、馬鹿野郎ッ!」
同質の炎に包まれたことのある周哉も、その痛みと苦痛を知っているのだ。
痛覚さえも焼け落ち、燃える業火の中では息を吸うことも出来ない。そんな苦痛を知っている周哉だからこそ、即やかに紅血を用いた鎮火を試みた。
「今、鎮火してやるからッ!」
あのとき。燃え盛る病室から鈴華に救われたときのように、────そんなイメージを固めるもの、視界の端が大きくガタついた。
特別な何かされた訳じゃない。単に周哉の身体が前のめりに倒れてしまったのだ。
「…………なんで?」
以前にも蒼炎を放った結果、昏倒してしまったときの事を思い出す。
今の周哉はそのとき以上に能力を酷使し、疲弊もしているのだから、いつ倒れたとしてもおかしくはなかった。
一度倒れてしまった身体は、もうピクリとも動かない。意識には霞が掛かり、次第に微睡へと誘われる。
それでも、鬼丸の最後の言葉だけは聞き逃さなかった。
「────誇れ小僧、お前は俺様に殺したんだ。その事実をゆめゆめ忘れるんじゃねぇぞ」
ここまでの読了、そして本作を手に取ってくれた事に感謝を。特務消防師団一同、喜ばしい限りです。
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Thank you for you! Sea you again!