種も仕掛けも、ございません
あまりの衝撃に息が詰まった。
弾かれた身体は簡単に廊下へと叩きつけられ、背負っていたボンベは破裂。吹きこぼれた酸素ガスが煤けた床を舐める最中に、周哉は血の混じった吐瀉物をブチ撒けた。
「ッッ……」
今ので、背骨や神経にもダメージが入ったのだろう。四肢の末端に力が入らなかった。
人工吸血鬼の鮮血には人ならざる者へ向けた「特効」を秘める。だが、その特異性は同じアークパイアにとっても例外ではなかった。
インパクトの瞬間に拳や爪先へと血を滲ませるのは、煉士のテクニックであった。そうすることで確実に目の前の敵を無力化出来るのだから。
しかし、その徹底さが今回に限っては裏目に出た。
周哉はアークパイアの再生力で砕けた背骨を治そうとするも、傷口を介して体内に入り込んだアークパイアの紅血がそれを阻害するのだ。
傷の治りが極端に遅い。立たなければならないというのに、足に力が入らなかった。
「クソッ…………このッ!」
周哉はただキツく、歯を食いしばった。
◇◇◇
「……」
一方、煉士はその様子を傍目に見ていた。それでも彼は口を横一文字に結ぶと、第二の連撃を繰り出す。
「うおっ、いきなりかよ⁉」
腰を大きく捻った煉士の回し蹴りは、鬼丸の頬を掠めた。
「おいおい、いくら俺様が盾にしたとは言えど、あの小僧を蹴り飛ばしたのはお前自身だろうに」
「……」
「それなのに、何の言葉も掛けてやらねぇとは。冷たい男だぜ、アンタッ!」
安い挑発だ。乗せられてやる理由もない。
煉士は左拳を勢いよく振りかぶり、衝突の寸前にピタリと止めてみせた。
「……あ? 何のつもり、」
左拳はフェイントであった。
それをガードし、カウンターへと繋ごうとした鬼丸には当然、大きな隙が露出する。
「血操ッ─────」
しばらく周哉が立ち上がれないことは、他の誰でもない蹴りを放った煉士自身がよく理解していた。
それが解っているからこそ、彼は冷静に徹することを選ぶ。
怒りの炎は静かに燃やせばいい。謝罪や心配の言葉を掛けるのも、後回しでいい。
ただ、今は目の前の標的を鎮圧することだけに集中する。
それが救護者たちを救う選択だと理解しているからこそ、目の前の標的を鎮圧することを選んだのだ。
「モード・WILD!」
体内を流れる煉士の血液がもう一段階、加速する。
肉体の躍動は止まることを知らぬまま、鋭い一撃を蹴り放った。
「コイツは、新人の分だッ!」
三度目の正直。煉士の放ったトーキックが、がら空きの腹部へと突き刺さる。
「がぁっっ……⁉」
嘲りの笑いが絶えなかった鬼丸の表情がようやく苦しそうに歪んだ。悶絶するように歯を食いしばりながらも、その膝を折る。
「おい、妖魔。一度だけ聞く。この火事を消すつもりはないのか?」
跪いた鬼丸の額へと、鉄板仕込みの防火ブーツを押し当て。
その爪先を突き付けながらに問いを投げる。
「げっほ、けっほッ! ……んだよ、さっきまでだんまりだった癖に、いきなり喋り出すじゃねぇか……」
「俺は話すのが苦手だ。言いたいことがあっても言葉に迷ってしまう。だから単刀直入に言いたいことだけを言わせて貰おう────貴様ら妖魔はどうして火事を振り撒く? そこまで誰かを不幸に貶めたいのか?」
「……どうして? か。……ははっ、随分とムカつくことを聞いてくれるな」
その言葉には、相応の鋭さと侮蔑が混じっていた。
「……俺様はな、多数決って奴が大っ嫌いでさ。あれって、クソみたいな意見が通ることがままあるだろ? ただ数が多いって、それだけでさ」
鬼丸は傷口を拭いながら、はにかむように笑って、その大胆不敵さを取り戻す。
「それと同じなんだよ。数が多いからって、粋がるなよ、人間どもがッ!」
鬼丸の怒号が、その身を蒼く燃え上がらせた。
煉士も鎮火するために指先から紅血を滴らせ、拳を振るう。繰り返すようであるがアークパイアの血は、人街たちへの「特効」を秘めていた。
身体から噴き出た炎は燃え移る前に鎮火されるも、鬼丸にはそれで充分であった。
「間合いさえ開ければッ!」
飛び退いた鬼丸は、手印を結び、そして────
「……」
「……」
両者の間には沈黙が流れた。
炎が上がる気配も、鬼丸が動こうとする予備動作も伺えない。
「どうした、デカいの。せっかくの好機だぜ、攻めてこいよ?」
無防備なままに鬼丸は、視線を上げた。
先程以上に露骨な挑発である。指通しを絡み合わせたあの手印が、何らかの罠を作動させる導火線であることきも容易に想像がついた。
迫られたのは二択だ。
カウンターに臆せず飛び込むか? 或いは様子を推し量るか?
煉士は防火服の裾を見遣った。紅く煌めいていたはずの袖は、既に半分までが元の紺色に戻ってしまっている。
あまりに時間をかけ過ぎたのだ。
一時的に炎を消されているのはこの階層だけで、ビルは未だ炎に包まれている。そこから流れ着いた黒煙がこのフロアにも充満し始め、既に視界も薄らと霞み始めた。
「さぁ……さぁ! さぁァ!」
時間がない。今は一分、一秒が惜しい。それならば、死地だと分かっていても飛び込むしかなかった。
「モード・WILDッ!」
獰猛な獣が獲物にとびかかるごとく。煉士は爆発的なスタートを切ると同時に、壁板を掴む。そして力のままに引き剥がすと、それを鬼丸へと投げつけた。
面での一撃ならば、カウンターを挟む余裕もないはず。
壁板は砕け、あたりには破片が飛散する。煤埃が舞い上がり、視界が一瞬切られるも、煉士のギロリとした双眸をさらに鋭く研ぎ澄ました。
だが、細めた視界の先。そこに鬼丸は健在していた。
「なっ……⁉」
「ようやっと、良い顔をしたなァ?」
彼には傷一つどころか、破片一つが降り掛かった痕跡もない。
まるで不可視の壁に攻撃を阻まれているようであった。
「種も仕掛けもないぜ♪」
指先に感じるのは、押し返されるような感覚だ。それは拳や蹴りを繰り出しても同じこと。煉士の放つラッシュは、どれも鬼丸には届かない。
ここまでの読了、そして本作を手に取ってくれた事に感謝を。特務消防師団一同、喜ばしい限りです。
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Thank you for you! Sea you again!