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15.暗躍する男(1)

 数日前、王都から所領の屋敷へ戻ってきたイレーネは、使用人の顔ぶれがいくらか変わっていることに気がついた。

 事故前からいた使用人が減り、新しい人間が雇い入れられている。不在の間に重大な失敗があって解雇されたとか、条件の良いところが見つかって転職したとか、それぞれ理由はばらばらだった。なんとなく、イレーネは嫌な予感がしていた。

 辞めていったのは事故前、特にイレーネを軽んじ蔑んでいた使用人ばかりだったので、不満があるわけではない。ただ、一斉に解雇されるでもなく、徐々に、知らないうちに消えていっているのが不気味なのだ。

 あの男の指示なのだろうかと疑問が湧く。だが、何のためかは分からない。


 イレーネは、あの男の在宅中は基本的に私室へ閉じこもっていた。事故前や事故後すぐと同じ行動だ。いずれも彼と顔を合わせたくないから。

 今日はあの男が外出しているので、イレーネは庭で過ごしていた。ただし、外の空気を吸うためなどの殊勝な理由ではない。


「もうそろそろ秋ですね」


 色づき始めた庭木の葉を眺めながら庭園の歩道を歩いていると、一緒に連れてきた侍女が後ろからイレーネに声をかけてきた。彼女と二人きりだ。

 イレーネは足を止めて振り返る。


「そうね」


 彼女は王都にも伴った年若い侍女だ。少し遠慮がないだけの、明るく朗らかで善良な娘。王都の屋敷であの男に嵌められ、使用人たちから()()()()()()()と思われるようになったイレーネにも変わらず接してくれている、夫婦関係に悩む女主人を気遣う優しい子だ。

 だからこそ、協力を得られる。


「ねえ、あなたにお願いがあるの」


 手を握り切実そうな表情を作れば、侍女は既に目を輝かせている。やる気があるのは結構なことだ。


「クリストハルトは、事故の後から過保護すぎると思うの。私が誰かと会ったり、手紙をやり取りしたりすることを嫌がっているわ」

「そう……、かもしれません」


 これは事実だ。表向きはイレーネの好きにさせているが、裏では一緒に連れていった使用人などに根掘り葉掘り話を聞いている。この侍女も事情聴取をされた経験があるはずで、思い当たることのあった彼女は主人の嫉妬深さに苦笑した。


「心配をかけたくはないけれど、私だってある程度は人と情報交換をしなくてはいけないの。伯爵夫人として、調べ物を頼んだり……。分かってくれるかしら?」

「はい、奥様」

「ありがとう」


 具体的にどんな情報交換かは分かっていないだろうが、曖昧に伝えても理解を示してくれる。彼女はただ、困っている様子の女主人に親身になりたいのだ。


「そこで、あなたに手紙の中継をしてほしいの」


 イレーネはポケットから、封をした手紙を取り出した。


「安心して。例えば懇意の男性に届けてほしいだなんてお願いではないわ。調べ物をしてほしいという依頼が、この中に書かれているの。あなたに調べてもらえれば一番いいけれど、あなたは屋敷での仕事があるから出歩けないでしょう? だから代わりに、あなたの信頼の置ける人に調べ物を頼みたいのよ」


 侍女はイレーネの説明に、屋敷の外で自由に動ける人間にこの手紙を渡せばいいと理解してくれたようだ。


「けれど、私が頼める相手となると町で働いている兄ですが、兄も字が読めません」

「お兄様に教会へ持って行ってもらえれば、聖職者が代わりに読んでくれるし、代筆もしてくれるわ。大丈夫よ。本当はベンノにでも頼めるはずの、知られても構わないことだから。ただ、ベンノに頼むとまたあの人がおかしな疑いを持つから。ベンノが解雇されても気の毒だし……」


 これは嘘だ。あの男には秘密にしたいから、必ず彼に報告するであろう執事のベンノにも知られてはならない。だが、こう言わなくては侍女に怪しまれてしまう。

 幸いにも、侍女はにこりと笑って手紙を受け取ってくれた。イレーネは彼女の手に、お金の入った袋も乗せる。


「これもお兄様にお渡しして。余った分が報酬よ」

「かしこまりました。お預かりします」


 こうしてイレーネは、あの男の監視を受けない協力者を得ることに成功した。



 後日、イレーネは私室で一通の手紙を開き、内容を確認すると、すぐに蝋燭に灯した火を移して燃やしてしまった。

 臭いを消すために窓を開ければ、秋口の少し冷たい夜風が吹き込んでくる。イレーネは窓辺に置いた椅子に腰かけ、外を眺めながら物思いにふけった。


 侍女の兄は、要領のいい働き者だった。

 おかげで最低限の日数で一つおつかいをこなし、妹経由で報告を上げてくれた。気味悪がらせては可哀想だから侍女には依頼の内容を伝えないこと、という指示も守られている。


 イレーネが依頼したのは、例の馬車の事故現場に余った死体がないかどうか確認してくることだった。その結果、落ちた崖下の林に、例えば人骨や野犬に掘り返された腐乱死体などは見当たらなかったそうだ。

 どうしてこんなことを頼んだかというと、あの日出かけたのはクリストハルトと侍従のヴェルナーと御者のテオドールの三人で、葬儀で遺体の顔を見せられないぐらい損傷していたが侍従と御者の二人の死体は確実にあって、最後の一人のクリストハルトは助け出されて治療された。だが、生存者は別人だった。そうなると、クリストハルト本人はどこへ行ってしまったのか。その疑問を解消するための調査の一環だった。


 当初はヴェルナーとテオドールのいずれかが夫と入れ替わったのではないかと思った。二人とも顔のわからないほど遺体が損傷しており、特にヴェルナーはクリストハルトと同じ髪と目の色だった。

 だが、この推測はすぐに否定された。まずテオドールは髪と目の色が違うので顔を変えられても偽物だと分かってしまうし、ヴェルナーについても実際の場面を想像すればわかる。

 仮に彼が犯人だったとして、自分だけは安全に、馬車と二人を崖下に落とす状況は無理がある。例えば車輪に異常があるとか問題が起きたと嘘で馬車を止めても、クリストハルトはともかく、馬車と馬の管理に責任を負うテオドールも降りて対応に当たろうとしてしまう可能性が高い。不確実要素が多すぎる。

 もしかすると走行中なら、テオドールの馬車の操作を妨害して崖下へ転落させられるのかもしれない。しかしそうすると、自分も巻き添えになる。ヴェルナーとテオドールの遺体の損傷が激しく、事実亡くなってしまったように、馬車の中の人間より御者台にいた二人の方が負傷は重くなるはずだ。車体が凶器になる。テオドールが最も悲惨で、馬車の下敷きになって体の大半が潰れていたそうだ。

 あの男は事故後の顔の修復に際し、クリストハルトと同じ署名を書くことができた。事前に署名を入手して練習していたのだ。つまり、この件はかなり入念な計画に基づいている。それほど用意周到にあの事故を起こしたのであれば、一歩間違えれば死んでしまう馬車諸共の転落を選ぶとは考えづらい。

 以上より、一人だけ計画的に生き延びることは困難であるし、自分まで死にかねない転落ではなく、もっと安全で確実な機会を狙えたであろうことから、侍従と御者は犯人ではないと考えられる。


 そうすると、あの男は馬車の事故で重傷を負い奇跡的に助かったていを取っているが、何らかの方法で三人の乗る馬車を崖下へ落とし、クリストハルトの遺体をその場から隠し、死なない範囲を見極めながら顔などに傷を作って現場に倒れておいたことになる。顔さえ誤魔化せるなら、黒髪と青い瞳の人間自体はありふれている。

 使用人が一人馬車から下りておく状況は難しいが、三人纏めて馬車を落とす方法はそれなりに考えつく。例えば馬車を用意しておいて、伯爵家の馬車が通りがかるのを見計い、すれ違いざまに衝突すればいいのだ。元から何日か前の降雨で緩んだ地面と細い道だったのだから、狙えば落とせる。

 この第三者が犯人である場合、クリストハルトの遺体がなりすましの結果余るはずなのだが、侍女の兄の調べでは、付近に放置された死体やそれを隠した痕跡はないようだ。


(クリストハルトは、もしかして生きているのかしら……)


 考えてみてから、その可能性は低いと思い直す。

 箱馬車の中にはおびただしい量の血痕があったという。普通、御者と侍従は御者台に座る。箱馬車の中は主人だけ。であればクリストハルトは転落する馬車の中にいただろうし、重傷を負っている。仮に即死ではなかったとしても、治癒魔法で処置しなくては長くはもたないだろう。その状態で生き延びているとは考えづらい。

 あの男を偶然駆けつけたフーベルトゥスが救ったように、偶然治癒魔術を使える魔術師が居合わせるかもしれないが、さすがに偶然がすぎる。フーベルトゥスが一枚噛んでいることも考えたが、彼が関与しているならイレーネしか疑っていない状況で血縁確認に協力する必要はない。

 だから、クリストハルトは死んでいるとみて間違いない。付近に死体がないのなら、あの男か、いるとすればその仲間が死体を持ち去ったことになる。もしかすると、血縁確認であの男がクリストハルトであると判定されたのは、本人の血液を採取しておいてそれを利用したのかもしれない。


(でも確かにあの場で、針を指に刺して自分の血を流していたわ……)


 複数人で見張っていたのだから、誤魔化しようはないはずだ。

 死体が見つかれば、その死体がクリストハルトであると証明して、転じてあの男は偽物であるという訴えを起こすつもりだった。しかしイレーネの期待は外れてしまった。事故現場付近を見て回る以上の死体探しは、範囲が広すぎて難しい。クリストハルトの死体という証拠を得ることは、諦めなくてはならない。

 イレーネはあの男を告発する一つ目の道が消えたことに嘆息した。

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