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01.死んでほしい夫(1)(表紙イラスト追加)

・脇キャラ含め人が複数死んだり殺したりします。

・魔法で治りますが、あらすじのとおり主要キャラが非常に重い怪我を負います。

・よくある治癒魔術の他、(顔の)整形魔術や血縁確認魔術など、妙に現代的な魔術も出てくるゆるゆるな世界観です。

・残酷シーンについて各話ごとには注意書きしません。

・キーワードもよくご確認ください。

挿絵(By みてみん)


 ある一通の遺言状。それが開封される頃には、したためられてから長い年月が経ったと分かる色褪せた姿になっていた。しかし文面は綺麗なもので、判読は容易だ。


『我が最愛の妻、イレーネに』


 彼の人生の早い段階で書かれたために、遺言状はとっくに新しいものが作成されている。だからこれは、最早効力の無い、かつて遺そうとした思いの残骸でしかない。


『私の所有する財産のうち、息子へは法の最低限度を宝飾、美術品、金銭から均等に渡す。それを差し引いた、土地屋敷を含む全ては妻に相続させる。信頼できる管理人も手配してある。これは、結婚当初から長らく苦労をかけたことに対するせめてもの償いと、私の愛情だ。束の間でも、君の夫であれたことを光栄に思う。君の行く末に幸多からんことを。――クリストハルト・フェルゼンシュタイン』


 全ては、この遺言状に記された新王歴二百十七年に遡る。



 フェルゼンシュタイン伯爵家の邸宅の、主人の寝室。

 天蓋付きの豪奢なベッドで体を起こして座る若い男と、その周囲に居並ぶ医師と使用人たち。医師は、ベッドの男――クリストハルトの頭部を隙間なく覆っていた包帯を外していく。

 彼らから少し離れたところに一人立つイレーネは、その先を受け入れたくなくて、窓に向けて視線を外した。柔らかな春の午前の光が射し込んでいる。美しい、けれどイレーネの目には、その光はまるで曇りの雪の日のように、灰色に映った。


「おお……」

「元通り、傷一つございません、旦那様」


 医師たちの感嘆と快気を祝う声。釣られてイレーネは夫、クリストハルトへ視線を戻した。

 夜会で幾人もの貴族の女たちを虜にしてきた、気品のある美しい顔立ちと口角のすぐ下のさりげないほくろ。しばらくの療養生活でも艶を保った黒曜石の色の髪。閉じられた瞼を縁どる睫毛は、春の陽光を纏っているようだ。上背に見合った太い首や広い肩に変わりはなく、少々のやつれはまたすぐに戻るだろう。


 彼はおよそひと月前、馬車で事故に遭い、顔を含めた全身に酷い怪我を負った。イレーネは医師に止められ顔を見ることはなかったが、最早誰か分からないほどの重傷だったという。

 だが、魔術により一命を取り留め、たったひと月で補助なしに動けるほど回復し、顔も元通りになった。


 クリストハルトの瞼が、伸びた前髪の奥でゆっくりと開いていく。青玉と讃えられた瞳が、久々の明るさに細められ彷徨ったあと、すぐ傍の医師たちではなく、離れた場所に立つイレーネに定められた。

 変わらない眼差し。全て、元通り。治ってしまった。


 医師たちの喜びの言葉が、なぜか白々しく聞こえる。イレーネの心情がそう感じさせている。

 束の間の平穏が終わったのだと、イレーネは自分を諦めさせるために俯いた。静かに受け入れるには、あまりにも辛すぎる日々の再開だ。


 だからイレーネは、また、思ってしまった。


 ――そのまま、死んでくれたらよかったのに……。



 夫が馬車で事故に遭う、前日のことだった。新王歴二百十七年が、あとひと月で終わるという時期の、朝のこと。


「なぜベールを被っていない? 朝から私にそのような薄汚い髪を見せて、どうやら今日は早くも不快にさせてくれるつもりのようだ」


 朝食を取るため食堂に姿を現したイレーネに、クリストハルトは心底汚らわしいものを見てしまったように顔を歪め、開口一番に嫌味を投げつけてきた。

 イレーネは足を止めたが、すぐに気を取り直した。


「……そう、ごめんなさい。すぐに支度をしてくるわ」

「そのまま戻ってくるな」


 つまり、もう一緒に朝食を取る気はないので、クリストハルトが食事を終えるまで私室へ引っ込んでいろ、ということだ。

 イレーネは踵を返し、使用人が再度開けた扉から食堂を出る。背後で扉が閉まってから、ようやく安堵の溜息をついた。


 今日はまだ比較的良い状況だった。ベールを被っていても朝からそんな陰気な格好を見せるなと言われたり、食事の席に着けても延々と暴言を吐かれたりする日もある。

 イレーネは夫と食事など取りたくないが、端から出向かなければそれはそれで責められる。つまり、イレーネが何をどうしても、仮に昨日言われたとおりの行動を今日繰り返しても、彼は満足しない。全て不正解なのだ。

 クリストハルトはイレーネを非常に嫌っている。そして、その嫌悪感で研ぎ澄ました刃を振りかざし、いくらでも切り刻んで構わない相手として扱っている。


 私室へ戻るために廊下を歩きながら、イレーネは壁にかかる鏡を横目で見送った。映ったのは、色味の薄い金髪を纏め上げた、緑の瞳の女。陰鬱な顔をしている。

 クリストハルトは結婚当初からイレーネを嫌っており、先ほどのような扱いを続けている。イレーネのやることなすこと、存在も気に食わない。だから、いたって普通の金髪も、金色が薄いからといって『汚い』と罵倒する。

 その他、親しい友人たちの前でイレーネをこき下ろしたり、実家から持ってきた数少ないドレスに葡萄酒をかけられ駄目にされたり、怪我をしないことであればあらかたし尽くされている。


「――奥様の部屋のシーツは毎日は替えなくていいのよ」

「え? ですが……」


 廊下の曲がり角で、イレーネは足を止めた。どうやら新入りに余計なことを教えている使用人がいるようだ。洗濯は大仕事ではあるが、だからといって屋敷の女主人のベッドの支度の手抜きが許されるはずもない。


「奥様は初夜以来、務めを果たされていないのよ。どうせ旦那様が奥様の寝室をお訪ねになることなどないのだから、早々()()()心配はないわ」


 吐き気が胸に渦巻いてくる。イレーネは後ろについてきている使用人に悟られないように、小さく息を吸ってから、また歩き出した。


 陰口を叩いていた使用人は、女主人の登場と、聞かれていたのではないかという焦りで、反射的に顔を強張らせる。だが、すぐに薄ら笑いを浮かべながら、通り過ぎるイレーネに形式的に頭を下げた。新入りも横にならう。

 イレーネに、彼女を罰することはできない。自分の仕事をしろと命令することもできない。普通の女主人であれば持つ権限を、クリストハルトに全て取り上げられている。主人に軽んじられている何の権力もない妻に、誰が敬意を払うというのか。


 今できるのは、何も聞いていなかったふりをすることだけ。使用人たちに夫婦関係を知られているなどとは欠片も気づいていない、鈍感な女のふり。後ろをついてきている使用人により、イレーネが立ち聞きしていたと彼女らに共有され、再度笑いの種になるとしても、今はこうしなければ耐えられない。

 イレーネは残ったぼろぼろの矜持をかき集め、それを抱き締めながら私室へ戻った。


 クリストハルトが朝食を終えたら呼びにくるよう指示して、イレーネは私室から使用人を追い出した。この家の誰といても安らげないので、一人になりたかった。

 窓辺に椅子を運んで、腰かける。まだ冬の名残を感じる冷気に身震いして、山羊毛織の肩掛けの端を胸の前で引き合わせた。


 夫のクリストハルトは、一応幼馴染だった。親しかったかと問われると、閉口するしかないが。

 フェルゼンシュタイン伯爵家に対し、イレーネの生家トレーガー家は男爵家で釣り合いが取れていない。それでも伯爵家がイレーネを受け入れたのは、男爵家の財力だった。男爵家は平民の富豪からのいわゆる成り上がりで、歴史ある貴族たちから蔑まれようとも金だけはある。一方伯爵家は先々代の商売下手等により身代を潰しかけ、将来に不安があった。そうしてより上位の爵位という箔と金銭的な支援をお互い期待して、まずイレーネの幼い頃に両家の付き合いが始まった。そして血の繋がりも求め、イレーネとクリストハルトの婚約に至った。

 クリストハルトは昔から攻撃的で幼稚な、嫌な男だった。三歳年上になるが、イレーネは彼を尊敬したことは一度もない。当然、恋愛感情など欠片もない。両家の都合だけの、本人同士の意思は考慮されない政略結婚だ。


 ところがクリストハルトは、イレーネが美しい彼に恋して父親に頼み、無理矢理結婚に漕ぎつけたのだと思い込んでいる。どうやら彼はその美貌に絶対的な自信があり、加えて、金のために犠牲にされた事実を認められず、全部イレーネの所為にしているようだ。

 イレーネからすれば、いくら顔が良かろうとあんな人間の屑は願い下げだ。イレーネに暴言を吐き、使用人たちにまで女主人扱いさせず虐げる男。嫌いで嫌いで、あの顔を前にすると気持ち悪くなってくる。これならたとえ醜くとも、一人の人間として扱ってくれる相手の方が格段に良い。

表紙イラストはSUKIMAにて青ちょびれ様に描いていただきました。

青ちょびれ様SKIMAプロフィールリンク⇒https://skima.jp/profile?id=230475


題字は井笠令子様(@zuborapin)に入れて頂きました。

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