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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

もりのくまさん


 町で戦争が起きました。


 森の中に逃げ込んだわたしたちは、ごうごうという水の音をたどり川を見つけました。そこで喉の渇きを癒して、汚れた身体を洗うことにします。


 そんなときでした。

 わたしたち家族の背後で、よく茂った低木ががさがさと揺れたのです。

 その場に緊張が走りました。母はわたしをかばうように抱きしめ、父はゆっくりと低木に近づきます。

 低木から黒い影が、その姿を現しました。


 熊です。

 それもヒグマと呼ばれる種類の大きな熊でした。

 母は悲鳴をあげ、父も息を飲みました。熊はわたしたちをじっと見つめています。その瞳には知性がありました。そしてなにより、恐怖の色がなかったのです。


「大丈夫」


 そう言って父が手招きしました。すると熊は静かに歩み寄ってきます。鼻先を父の足にすり寄せるようにして匂いを嗅ぎました。それから頭を地面につけてお腹を見せます。まるで服従の姿勢をとったかのように見えます。


「いい子だね」


 そう言うと父は熊のお尻に手を当てて撫ではじめました。熊はとても気持ちよさそうな顔をしています。

 どうやらこの熊は人懐っこい性質であるらしいことがわかりました。


「お父さん?」 


 母の声で我に返ると、熊はもうその場に立ち上がっていました。

 そして、熊はここに来た時と同じ方向に戻っていきます。歩きながら熊は、こちらを何度も振り向きました。まるで「着いてこい」と言っているような気がしました。

 わたしたちは顔を見合わせ、熊の後を追うことにしました。


 しばらく行くと森の奥深くにある山小屋が見えてきました。そこは無人の小さな建物だったのですが、とても清潔で快適です。熊はわたしたちが中に入るまで小屋の前で待っていました。


 こうしてわたしたちと熊の生活は始まりました。

 最初こそ警戒していた母でしたが、すぐに打ち解けるようになりました。熊は毎日、小屋に食べものを届けるのです。生活に瀕していた状況のわたしたちには、まさに渡りに船でした。


 ある日のことです。いつものように熊が食べものを持って来てくれた時に、母は言いました。


「ねえあなた、どうしてこんなによくしてくれるのかしら。私たちはあなたの敵ではないわ。でも味方でもないでしょう?」


 熊は何も答えずただ黙々と食べものを運び続けます。


「ねえ、教えてちょうだい。どうして私たちを助けてくれるの?」


 熊はその問いに答えることなく、ただ優しい目をしてわたしたちを見つめるだけです。

 熊はいつもそうするように、小屋の窓を郵便受けに見立てて食べものを放り込みました。熊は決して山小屋の中には立ち入らなかったのです。


 わたしたちは熊に感謝し大切に暮らすことにしました。

 そんな日々が続くうちに、いつしかわたしたちも熊に慣れていきました。そんなある日、事件が起こります。


 それは突然の出来事でした。

 その日も熊は、りんごをくわえて小屋を訪れました。りんごです。ちょうど母はデザートを作ろうと考えていた所でした。父が帰ってくるまでに完成させよう。母は喜んでそれを頂戴します。ところが窓越しにりんごを受け取ろうとした瞬間、熊の目付きが豹変しました。


 牙を剥き出して威嚇するのです。

 次の瞬間、りんごを持った手が噛まれました。血が滴り落ちます。


「きゃあああ!」


 母は叫び声を上げました。熊は母の腕に噛みついたまま小屋の中になだれ込みました。木製の窓枠が壊され、冷たい風が吹き込んできます。

 怒り狂った熊は、床に押し倒した母の腹を食い荒らしました。鮮血が辺りに飛び散り、わたしの頬を赤く濡らします。


 わたしは逃げました。玄関には熊の前を通らなくてはなりません。台所の裏口だ。わたしは台所に走りました。

 台所に入った瞬間、追いかけてきた熊に裏口の道を塞がれてしまいます。裏口の前で熊が唸ります。

 もうダメだと思っていると、熊の唸り声が止まりました。それだけではありません。熊は明らかに動揺したようすで台所の中を見渡しています。その表情には絶望感すら見て取れました。

 理由はわかりませんが、チャンスです。わたしは台所を離れ、玄関から脱出しました。


 しばらく森の中を走りました。息が上がり膝に力が入らなくなってきます。もう限界だと思った時、空から雪が降ってきました。

 もう冬なんだ。

 町から離れて生活しているうちに、日付感覚がなくなっていました。どうりで寒いはずだと腕を擦ります。


「冬……」


 わたしの頭にひとつの言葉が浮かびます。


「冬眠……」


 熊は冬に眠ります。冬が明けるのをどこかに閉じこもって待つはずです。だから冬が訪れるまでに食べものを蓄えておくのです。


 わたしは嫌な想像に首を振りました。そんなはずがないと否定したくても、そう仮定してしまえば、すべての辻褄が合ってしまいます。


 わたしたちを山小屋に案内した理由。


 食べものを山小屋に集めていた理由。


 りんごを取った母に激怒した理由。


 片付いた台所を見て絶望した理由。


 わたしは森から逃げました。襲ってくる熊からでしょうか。それとも今しがた発覚した罪からでしょうか。



 降る雪が景色を烟らせました。


 実際には、熊の冬眠は「脂肪蓄積型」と言い、冬になる前にたくさん食べて蓄えておくそうです。だから冬眠中はほとんど起きませんし、食べものを備蓄しておくこともありません。


『ごんぎつね』から着想を得ました。

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― 新着の感想 ―
[一言] まさかの結末にびっくり!
2022/04/02 19:11 退会済み
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