茶色いクレヨン
11月某日。時刻は午前8時25分。小さなショルダーバッグを肩に掛け、錆びつき焦茶色になった外階段を登る。雨が降ると低い音を立てる屋根も、横から吹き付ける風雨は抑えきれず、いつこの中の1段が崩れるか心配していたが、最悪の事態は免れた。コンクリートでできた1段目、そこから鉄の段差を17回登り、最後の1段で再びコンクリートになる。20年以上登り慣れたこの19段の階段も、今日で過去の思い出となる。振り返り頂上から見下ろすと、そこには歩道と車道を区別するために引かれた白線と、30m前の横断歩道の存在を示すダイヤマークの一部が見えていた。
再び階段に背を向けると、左に折れたコンクリートの廊下と、全開の木製の扉が目に飛び込む。元々はどこかの会社の社宅だったのか物置だったのか。築年数は50年を越える古いアパートで、左に曲がった先には、ドアが右面に2枚、正面と左面に1枚ずつ、合計4部屋あった。右壁のドアの手前には大きな鏡があり、ここでよく父に髪を切ってもらった。
僕は両親との3人で、僕が生まれて半年ほど経った頃にこの家に来た。それまでは父の実家である西日暮里で暮らしていたが、追い出されるような形で家を出て、広さと家賃の帳尻が異常に合わないくらいの格安だったこの部屋に引っ越してきたのだ。
しかしこの度、僕たちは引っ越すことになった。そのため今日は、家具や棚を取っ払った後のネジ穴を埋めに来た。この部屋に感謝をしつつ、20余年の思い出を振り返りたい。
話を戻そう。当然、引っ越してきた頃の記憶は僕にはない。ただ、5歳くらいのときは悪さをすると、外がどれだけ暑かろうが寒かろうがこの廊下に立たされていた。僕の反抗期デビューはそのときで、ちょうど鏡の下辺りの壁にはこのとき付けた傷がいくつも残っていた。数年前に水彩具で目立たないように塗ったが、この際なので改めて薄茶色のクレヨンで上塗りしておこう。
廊下はそんなに変な使い方はしていないので、5分くらいで片付いた。午前8時33分、いよいよ部屋の中の穴を埋める作業に入る。詳しくは後述するが、うちは真ん中の部屋の壁をぶち抜き2部屋を借りていた。そのため玄関というものが2つあるのだが、ずっとメインに使っていた、鏡のある壁面の手前の玄関を先に済ませよう。
扉を開けると、そこは間取り上では台所という括りのおよそ四畳の部屋。以前は半畳分の土間に靴棚を作り、空中収納と呼んでいたところには傘やスプレー類を掛けていた。正面には常温食材を入れておく棚と電子レンジを乗せていたカラーボックス、右側には冷蔵庫と食器棚が並んでいて、床にはホームセンターで買った触れ心地の良い緩衝マットを敷き詰めていた。土間から一歩上がる。靴棚が並んでいた面には小さな収納スペースがあり、そこには戴き物の古い食器や靴を置いていた。その収納スペースに背を向けて立つと、まるでちょっとしたランウェイのように細い道ができており、突き当たりには流し台と二口のガスコンロがある。道幅は畳の縦向きの3分の2といったところか。流し台の手前には居間につながる左に折れる道があり、ちょうど流し台と部屋の間にトイレがある。
こうやって文字として説明すると狭いそうに感じるのだが、棚は既に撤去しており、今日の予定はあくまでもネジ穴を埋めることである。すっかり広くなった台所に立ち尽くしてる暇はない。棚が多かったため、それらの転倒防止のためのネジ止めの数もそれなりに多かった。特に時間がかかったのは、電子レンジを載せていたカラーボックスのところか。重さと熱で歪み、ネジをまっすぐに抜くことができなくなってしまった。壁から離すのにとても苦労し、ネジ穴が必要以上に広がってしまった。補修材で埋め、上からクレヨンでカモフラージュを施す。
午前9時5分。ここからはトイレの掃除をする。築年数から推測ができる通り、和式の水洗トイレである。そこにホームセンターで買ったプラスチック製の座面を装着し、洋式化させた。なので便器の蓋を開ければ、一般的な洋式トイレのような壺状の水溜はなく、平らになっている。数秒だけ汚い話をするが、うんちをすれば水溜まりのなかに落ちるのではなく、この平らな部分に留まる。即ち、うんちを出したときに「ポチャン」と溜まっている水が跳ねてくることは起こり得なかった。外出先や新居のトイレは完全なる洋式なので、うんちが落ちた反動で水が跳ね返ってくるわ、用をたしてトイレットペーパーでケツを拭くと跳ね返った水を吸い込む始末である。あれは本当に不快で、どうにかコツを掴みたいものだ。
話が逸れたが、ここにもネジ穴が存在している。壁面に小さな棚を作って、そこに替えのトイレットペーパーやトイレ用洗剤などを置いていた。そんなに重いものを載せていたわけではないが、壁が脆かったのでネジ穴は広がってしまっていた。少々厄介なのは、ここはベージュの壁であることである。なんとか手持ちの木工用酢酸ビニル樹脂エマルジョン型接着剤を流し込んで埋めたが、これが思いの外、収まりが良かった。あとは入って正面に掛かっていた藤代清治の影絵カレンダーを取り外し、釘を引っこ抜く。ここは完全に木造の箇所なので、補修材を埋めて茶色のクレヨンで塗っておく。
9時20分。ひとまず台所周辺の作業は終えた。コーヒーブレイクとするか。と言いつつ来る途中で買った缶コーヒーを開ける。温かいものを買っても、1時間経てばさすがに冷めていた。ポケットの中に入れておいたカイロは温かいが、何より家具が無いので部屋が冷えきっているのだ。日が出てきたのでここからは暖かくなるとは思うが。
午前9時30分。これからは居間として使っていた部屋に取り掛かる。この家で最も物に溢れていた部屋で、当然ネジ穴も多い。どうにか午前のうちにはこの部屋を終わらせたいのだが、やはり物が溢れていた頃を回顧し立ち尽くしてしまう。
この部屋は東西に長い6畳の和室で、16方位で言うところのちょうど北北西のところにある台所への通路のところに立っている。ガラス戸で隔てられているため下にはレールがあり、反対の北東側には襖がある。部屋の西側と南側には大きな窓があり、開けるとそれぞれ大家の家と大きな月極駐車場がある。東側は一面壁だが、南東東には隣の部屋に通じる扉がある。先に話した通り、僕らは真ん中の壁の一部をぶち抜き2部屋分を借りていたわけだが、ここまでが元々の間取りである。つまり1K×2という構図なのだが、これは僕らが3人家族だからこうしたわけではなく、僕らの前に住んでた人たちの時からこのような仕様だったらしい。これは不動産業を営んでいる知人から聞いた話なのだが、近頃の都市圏はワンルームや1K程度の間取りが爆誕しているらしい。それは「2DKを15万」で貸すよりも「1Kを10万」で貸す方が効率がいいからだという。確かに家族で暮らすとなれば一軒家を建てたり、分譲という選択肢もあるのだが、それにしても家族向けの2DK賃貸は母数が少なすぎるため、大家が「1Kの2部屋の壁をぶち抜き2DK化」したという。これだけでもかなりの決断ではあるが、その部屋が何を血迷ったのか10万と数千円という馬鹿げた安さだったため、20余年前の両親が即決したという。
簡単に配置を思い出すと、西の壁側にテレビとエアコン、南西には本棚と父親の桐箪笥、東側は僕の箪笥というような感じだった。ただしこれは床に設置していた家具の話。各壁面には壁に直接カラーボックスを設置するという荒業を施しており、その結果とんでもない量のネジ穴が遺されている。
まずは西側の壁をやっていこう。基本的にカラーボックスと本棚の固定のみだったので、ものの5分で終わった。続いて北側。襖の上に3段の棚をつけていたので、高い所の作業となる。同じような棚を南側の窓の上につけていたのだが、ここには主に小さなぬいぐるみやミニカー、写真などを飾っていた。なのでそんなに大きなダメージは無いはずなのだが、そもそもの棚が重かったらしく、ネジ穴はそれなりに広がっていた。
補修材が乾くまで、東側の壁の作業をする。こちら側にも同じく上の方に棚を付けており、両親や祖母の写真、僕が昔使っていた教科書など、割と重たいものを入れていた。こちらの方もかなり広がっており、修復に時間がかかった。とはいえこれらは想定内であったため、テキパキとこなした。唯一の想定外といえば、僕が小学生の時に学校の図工で描いた神奈川沖波裏を飾っていたところのネジを取り忘れていたということだ。電動ドライバーを持ってきていて良かった。ここも補修し、しばしの休憩を挟んでクレヨンで塗った。それにしても穴が多いぞ。賃貸なのにこれだけ穴を開けまくる住人もそういないだろう。新居ではなるべく穴を開けないようにせねば。
時刻は午前11時40分。居間の作業を終えたので、そろそろ昼食にするか。ここから徒歩10分ほどのところにある弁当屋に買いに行こう。
この周辺の道を歩くことももう無いのか。しみじみと歩く。この辺は一方通行の道が多い割には車の通りも多く、近所にはヒストリックカーの修理場もあり、いろんな車を見る機会があった。そういえば中学生の頃、同級生がこの辺で交通事故に遭ったって話も聞いたな。
顔馴染みの甘味屋の前を通る。数年ほど前、僕の好きなアイドルグループの元メンバーがこの辺でロケをしていた。当時はまだコロナウイルスなんて流行っていなかったから大学に行けていたし、ロケ自体は平日だったので僕は見に行けなかったが、近所のガソリンスタンドで働いている父はその姿を見たらしい。
目当ての弁当屋に到着。最近テレビで取材されたという1キロ弁当を全面に押し出しているが、それには目もくれず唐揚げ弁当を選んだ。これでもコンビニの弁当とは比にならないくらいのボリュームで、自称・大食いの僕でも満足できる量だ。部屋に電子レンジはもう無いので、ここで温めてから帰ろう。多少は冷めてしまうだろうが、完全に冷えているよりは良い。
帰宅し、早速お膳を用意する。やはり温めて正解だった。ほんのり温かい弁当を10分くらいで食べきると、南の窓から陽の光が差し込んできた。そういえば、ずっと窓も開けずに作業していた。目の前に広がる月極駐車場には、10台分のスペースのうち7つの枠に車が停まっている。僕の記憶にあるこの15年間で、ここに停まっている車はすべて変わった。以前は2トントラックやちょっとうるさいスポーツカー、鮮やかなBMWがいたが、今ではもう違う車に変わっている。車を買い換えたのか、そもそも契約者が変わったのか。
ぼーっと外を眺めていたが、ふと我に帰る。午後0時25分、そろそろ作業を再開しよう。さっき埋めたところを茶色のクレヨンで塗って、いよいよ寝室の補修を始める。
こちらは居間とは東西が真反対の作りで、北西側に襖、北北東には風呂場へ続く通路がある。居間との通路は南西西にあり、それを避けて西側の壁には巨大な本棚があった。東側の壁には母親のクローゼットが置かれており、この面にあった窓は20年以上塞がれていた。この窓には断熱性を高めるために、カーテンやスポンジなどを敷き詰めていたのだが、これを剥がしたとき、あまりの寒さが原因なのかゴキ〇リの死骸が出てきたときは驚いた。
この部屋も南南東の窓の上の壁面には棚を付けていた。ここには本や、僕が小さい頃に遊んでいた玩具などを入れていた。ここもネジ穴が広がっていることは想像していたので、ここを最初に埋めてから他の場所も補修する。
この部屋の南南西、窓の上の壁面にプーさんの掛け時計があった。これは両親が結婚したときに親戚から戴いたものらしく、9年前に動かなくなってからもずっとここにあった。しかしこの度、ついに破棄することにした。何度直しても動かないこの時計は、役割以上の存在だった。新居に連れていけなくてごめん。分解しながら涙を流したのも、つい数週間前のことである。
午後1時30分、この部屋の全てのネジ穴を埋め終わった。これから風呂場と、2つ目のトイレの作業をする。
先述の通り、ここは壁をぶち抜き2部屋を繋げた間取りである。なので先程と同じ仕様のトイレがもうひとつ存在しており、実質トイレが2つある家だったのだ。これが最も特徴的なポイントであり、便利すぎたのだ。当然のことながら新居にはトイレは1つしかなく、不便極まりない。
ここには棚を設置していなかったので、ネジ穴もない。掃除だけして済んだ。浴室もネジ穴は無く、ここは先日のうちに掃除をしておいたので、脱衣場のネジ穴を埋めるだけで済んだ。それも洗剤などを保管していた棚の分だけなので、ものの5分だ。
この風呂場も元々は台所で、浴室は後付けされたものである。ちなみにここには別の扉があり、これを開けると最初の廊下に出る。これで一周して戻ってきたという構図だ。
午後2時20分、ネジ穴を埋める作業がすべて終わった。あとは掃除機をかければ、今日やるべき作業がすべて終わる。
寝室の掃除をしながら襖を開けると、ハエトリグモが惜別をするかのように現れた。手を差し出すと、彼らの持ち前であるジャンプ力で乗っかってきた。この古い家で害虫がそんなに多くは出なかったのは、君たちがいてくれたからである。本当は新居に連れていってあげたいが、君たちはここでこの家を守り続けてほしい。
午後2時35分、掃除機もかけ終わり、居間でのんびり缶コーヒーを飲む。ここにいるのも、あと1時間ほどである。まだ埃が舞っていたのか、嚔がひとつ出た。がらんと広くなった部屋に、その声が響き渡る。僕が育ったこの家を、ぼくはきっと忘れることはないだろう。本当にありがとう。
午後2時50分、仕事を早く切り上げた両親が到着。午後2時57分、不動産屋のM氏が来た。傷などがないか最後の確認に来たのだ。しかしあんたが来たところで、20年以上前の家の姿を知らないのに何の確認になるというのだ。
その言葉から分かるように、我々はこのM氏を信用していない。元を言えば、隣の部屋に引っ越してきた大家の孫の言いなりになって我々に楯をついてきたことが引っ越しの理由だ。ここから徒歩10分ほどのところでハンバーガー屋を営んでいる大家の孫は、9月から隣の部屋を事務所として借りた。しかし、階段のところに付けていた防犯用のダミーカメラを取り外せと言ってきたり、下の駐車場に置いてある物置や自転車に文句をつけてきたり、それはまさにガキのようた振る舞いだった。それ以上にこのM氏はクズで、ダミーカメラを取り外すべき理由を訪ねたとき「言い訳しない方がいいですよ。」と言われ、それにキレた僕たちはこの家を出ていくことにしたのだ。大家からは、トイレが流れない、電気が切れた等、頻繁に様々な連絡が来る度に対応していた。認知症気味になってからは、1日に何度も電話を掛けてくるくせに我々の顔を忘れ、正直うんざりであった。その対応を踏みにじるような彼らの振る舞いを、我々は何があったって許さない。
新居からでも呪ってやる。
──終──