至宝の君
「姫さま、今日はすっごく嬉しそうですね!」
「そ、そう?」
隠しているつもりだったが、最近のミレーユの憔悴ぶりにはルルも気づいていたようだ。
ミレーユの弾んだ心を読み取るように、そんなことを言ってくる。
ナイルからの許しを得て針仕事を再開させたことで、確かにミレーユの心は躍っていた。
なにせいまから着手できるのは、カインの婚礼衣装。図案はすでに決まっているため、以前の依頼されたハンカチのように悩む心配もない。
(とはいえ、時間はちゃんと見計らいながらやらないといけないわね。徹夜でもしようものなら、次はナイルさんも許してはくださらないでしょうから)
一度は了承したとはいえ、やはりナイルは最後まで渋い顔で、『万が一のため、ローラの診察は毎日受けていただきます』と、しっかり付け足されてしまった。
自国では徹宵は何度もあった。それを踏まえればナイルの心配はオーバーケアーにも感じるのだが、竜族から見た齧歯族の自分はそういう対象なのだろう。
(きっと、皇太后様のように魔力の高い女性だったら、ナイルさんも心配などせずにすんだはずだわ)
皇太后の神々しいまでの美しい姿絵を思い出し、ミレーユはつい自虐めいたため息を吐き出しそうになったが、同じ長椅子に座ってこちらを見つめてくるルルの存在を思い出し、なんとか飲み込んだ。
つらつらと考えても仕方ない。
そんなことよりも、いまは数十枚に渡って細かく記載されている緻密な図案に意識を集中させるべきだ。
ミレーユはすぐさま心を切り替え、図案に目を通す。
花婿の婚礼衣装は、花や草、星に王冠の連続模様が配置良く並べられ、細かくも美しい意匠だ。それは裏生地も同様で、表よりもびっしりと金糸、銀糸の刺繍が細かく指定されていた。
「どちらかというと、裏地の方が表生地よりも華やかなのね……あら、この意匠……」
ミレーユはあることに気づいた。
文様の中に隠れるように潜む、小さな丸みを帯びた形。
それは見知ったものによく似ていた。
(でも、まさか……そんなわけないわよね?)
この意匠は、初代竜王の時代からほぼ変わっていないものだと聞いている。
意識的にそう見ようとしたから見えただけだろう。
そうでなければ、齧歯族の始祖神の姿が、竜族の婚礼衣装に意匠としてまぎれているはずがない。
(だとしたら、この形はなにを表している意匠なのかしら?)
否定しつつも、何かが引っかかる。
せめてもう少し鮮明に見えないだろうかと図案を持ち上げると、テーブルの上に置かれていた本に右手が当たり、床に散らばってしまった。
白大理石の床にはふかふかの絨毯が敷き詰められていたため、衝撃で本が傷むことはなかったが、ミレーユは慌てて長椅子から立ち上がった。
母国では、本は高価で貴重品。ましてやこれは借り物だ。
(もう、私ったら、一度は諦めたカイン様の婚儀衣装製作に浮かれ過ぎて、注意力が散漫になっているわ)
自身を叱咤しつつ、落ちた数冊の本を胸に抱え込む。
「あ……、この本は……」
最後の一冊を拾い上げようとして、その本がまださわりの部分しか読めていなかったものだと気づく。ミレーユは、反射的についしゃがんだままページを開いた。
なぜか、この本を読めば心に引っかかるなにかが解かれるような気がしてならなかったのだ。
赤竜はすべてを放棄し、眠りにつく。
長い眠りにつくはずだった。
この星の生き物たちが、竜を除いてすべて息絶えるほどの大災厄に見舞われようとも、目を覚ますつもりはなかった。
その日、一人の少女が訪れるまでは――――
(大災厄? ……いったい、なにが起こったの?)
それに、この少女というのはもしや初代花嫁のことだろうか。
急く気持ちを押し殺しながら、ミレーユは次のページを捲った。
その時だった。
ゴゴゴゴゴゴーという地鳴りの音と共に、大きな揺れがミレーユたちを襲う。
これにはミレーユだけではなく、ルルも飛び上がった。
「ふぇええええええ! 揺れてます! 姫さまっ、お城が揺れてますよぉおおおおお!」
「ルル、落ち着いて!」
完全にパニックになっているルルを宥めるが、地響きは止まらず。
外へ避難するべきだろうかと、ミレーユは中庭へとつながる大窓に目をやった。
「――え?」
その大窓に、なにかが映っている。
薔薇を模したステンドグラスとなっているため、ハッキリとは分からないが、庭園へと繋がるバルコニーに何者かの姿がある。
だが、この部屋から繋がる庭園はミレーユ専用となっており、カインですら自由に出入りすればナイルから叱責を受けるほどだ。もちろん、女官や竜兵も立入禁止となっている。
一度初対面のクラウスと遭遇したことはあったが、それも部屋からはかなり離れた場所だった。
緋色が美しいこの部屋を与えられて以来、バルコニーに人の姿があったことなど一度たりともない。
ミレーユの中に緊張が走った。
その誰かは、大窓を開けようとしており、ガタガタと激しい音が鳴る。
正体不明だからこその恐怖に、ミレーユはルルを守るように抱きしめ、ジッとバルコニーを注視した。
すると、
「なんだ、やけに建て付けが悪いな」
不服そうな声と共に、扉が開いた。
いや、開いたという表現は適切でなく、蹴り破ったのだ。