花嫁の不安Ⅻ
「あの、黒竜はどのような性質をお持ちなのでしょう?」
自分の義父となる人。そして、ルルがゼルギスと結婚することになれば、ルルにとっては義兄となる。
どちらにとっても重要な人物だ。
素朴な疑問として尋ねれば、なぜか沈黙が落ちた。
ナイルに至っては、珍しく視線を泳がせている。
なにか失礼な質問だっただろうかとミレーユが狼狽えていると、答えたのはドリスだった。
「そうですね。黒竜はひとことでお伝えするならば、――邪悪、怠惰でしょうか」
「じ、邪悪……!?」
思ってもいなかった単語に、つい狼狽の声が漏れた。
「黒竜は赤竜王以外の他の竜に比べても、魔力総量が高い傾向にあります。しかしさきほど申した通り、魔力総量は高ければ高いほどよいわけではなく、高すぎる大量の魔力は身体を蝕み、次に精神を破壊します。つまり、黒竜は己の高すぎる魔力を制御できない危険な竜なのです。過去の文献でも、黒竜が竜王を継いだ時代は長く続かず、早々の廃位を余儀なくされたとか」
ドリスの厳しい表情からも、廃位が平和的なものではなかったことが読み取れた。
「あの……、では、カイン様のお父様は……」
まさかカインも、兄のロベルトと同じように簒奪という形で王位を継いだのだろうか?
(いえ、カイン様のお話からはそんな感じは受けなかったわ)
父親に対し呆れている感じではあったが、諍いという雰囲気はなく。
いつも父親から厭われていたミレーユからすれば、カインの父親に対する明け透けな物言いは、仲が良い関係だからこそだと感じられるものだった。
そんなことを一人グルグルと考え込んでいると、さきほどまでどこか重々しかったドリスの声が一変した。
「ああ、ご安心ください。黒竜と言えど、前竜王陛下は邪悪よりも怠惰に全振りしていらっしゃる方ですから!」
「え……?」
あっけらかんと明るく言われ、どういう表情をしていいか分からなくなる。
「怠惰に全振り……ですか?」
「はい! まぁ、そういう方ですから。皇太后陛下と、あのような結婚が成立したのでしょうね」
「あのような?」
反芻すれば、ドリスはポンと手を打ち、
「そういえば、あの方の姿絵もこちらにございましたね!」
そう言ってミレーユの手を取ってずんずんと前に進む。
「ま、待ちなさい、ドリス! あの方のことは――」
ナイルの焦った声が来歴の回廊内に響くが、ドリスの足が止まることはなく。
しばらく進んだ先には、一枚の姿絵があった。一目見た瞬間、ミレーユは感嘆の声を漏らす。
「まぁ……なんてお美しい方」
それは、スラリとした黒いドレスを着こなす女性の姿絵だった。
美しい女性の絵はそれまでもいくつか掲げられていたが、目の前の姿絵はその中でもひと際輝いて見えた。
俯き加減に描かれ、黒のベールが顔半分を覆い隠してもなお溢れる気品。黒という難しいドレスを見事に着こなす妖艶な体形。
黒のベールで表情は唇の微かなほほ笑みだけしか読み取れず、髪も瞳の色も分からない姿絵だというのに、これほど見惚れてしまうとは。
(でも、この漆黒のドレスは……喪服?)
それにしては豪華すぎる。
身体のラインを強調するロングドレスの裾は長く。黒い繊細なレースと、多数の宝石とビーズが惜しみなく施されている。黒一色ながら絢爛豪華なドレスは、とても喪服には見えない。
なにより、女性に降り注ぐ眩い光は、まるで陽光に愛されていることを象徴するかのようで、憂慮など一切感じさせないものだった。
「とても美しい方ですね。どなたなのでしょう?」
「カイン竜王陛下の御尊母、皇太后陛下です」
「まぁこの方が……、えぇ!?」
まさかこんな形で皇太后の姿を見られるとは思っていなかったミレーユは、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「こちらは婚姻の儀直前に記念に描かれた、ウエディングドレス姿の一枚です」
「ウエディングドレス……?」
黒のウエディングドレスなどはじめて見た。
自分の婚姻衣装を手伝っていることもあり、ミレーユは歴代の花嫁たちが着用したドレスの図面にもいくつか目を通していたが、どれも純白のドレスか、鮮やかな色合いのドレスばかりだった。
驚くミレーユに、ナイルが渋い顔で言う。
「このウエディングドレスは、皇太后様が黒竜の色に合わせて自らお選びになられたものです。婚姻の儀では婚礼着は対でなければなりません。黒竜王が黒以外の色を着用するなどあり得ないと、黒以外のドレスを拒まれたのです。……ウエディングドレスが黒だなんて不吉すぎると、虎族は随分と怒り心頭でしたが」
ちなみに、その怒りの矛先は選んだ本人ではなく、竜族側に向けられたそうだ。
ナイルは苦々しい顔でそう言うが、ミレーユは皇太后の行動力に心を揺さぶられた。
「皇太后様は、黒竜王陛下をとても愛していらっしゃるのですね。母国の反対すら押しのけ、愛する方の色をお選びになるなんて」
ウエディングドレスは純白という固定観念しか持っていなかったミレーユには、愛する人と同じ色のドレスを着るなど考えもつかない。ましてや周りが反対する中、己の意思を突き通すなんて簡単にできることではない。
(やはり、イライザ様がおっしゃっていた通りの方なのね)
竜王と共に治世を敷き、大きな役割を担っていた女性。
それはきっと、黒竜王の助けになっただろう。
(私には、とてもそんな才は……)
この強大な大国を竜王と共治できるほどの度量も知性もない。
まず知識が足りなすぎる。
小さな国の王女レベルの見識など、まず話にならない。
『こんなちっぽけな娘をお選びになったこと、いずれ絶対に後悔しますわよ!』
イライザの放った言葉の意味が、いまならよく分かる。
(特別な色を持つカイン様のお側にいるのが、なにもできない花嫁だなんて。納得できなくて当たり前だわ)
結婚は、ただ愛する人と結ばれるだけのものではない。それが竜王なればなおのこと。
(竜族の権威の強さは理解していたつもりだったけれど、本当の意味では理解していなかったのかもしれない。竜王の花嫁になるということが、どれほどの重責を担っているのかを……)
いままで見えていなかった現実が一気に押し寄せ、ミレーユは唇を噛みしめる。
けれど、現実に打ちのめされている時間など自分にはなかった。
(いいえ。いま焦ったところでなにも始まらないわ。皇太后陛下が素晴らしい方なら、それに倣うよう努力するだけよ!)
気持ちを新たにするミレーユは気づけなかった。
ミレーユの発言に対し、二人がまた無言になっていたことに――――。