花嫁の不安Ⅺ
先導するドリスに引っ張られるように向かったのは、北の翼棟。
ドレイク城の敷地面積は国がまるまる入るほど広く、ミレーユが足を踏み入れたことのない棟や部屋は多い。北の翼棟はその一つだった。
豊富な外光を取り入れることのできる全面ガラス張りの回廊を抜け、磨きあげられた木製の螺旋階段を上がり、金と緑で彩られた唐草文の絨毯の上を歩き。
やっと着いた来歴の回廊は、「回廊? 大広間では?」と首を傾げたくなる規模の広さだった。
等間隔に設置された柱も、美術品の一つとばかりに緻密な植物文様の装飾が施され、中央に敷かれたクリーム色の絨毯の上を歩けば、壁には大小それぞれの絵画が飾られていた。
何度見渡してもやはり回廊というには広すぎる。
それでも一枚一枚のキャンバスが大きいため、絵画は遠目からでもハッキリと目に映った。
(風景画や姿絵……素敵な絵がたくさん並んでいるわ)
景色をそのまま切り取ったかのような細密なものから、独自のデッサン力をみせるものまで。
左右に飾られた絵を交互に見つめながら歩いていると、ある場所でドリスが足を止めた。
「ミレーユ様、こちらです。こちらの絵が、現存する中でも一番古い、七匹の古代竜を描いたものです」
描かれていた七匹の古代竜は、幼いときにミレーユが読んだ『勇者エリアスの物語』の絵本の竜と同じ姿だった。
大きな翼と長い首をもち。身体中を覆う鱗と、長い爪。
だが、残念ながら七匹の古代竜を描いた絵は――ひどく小さかった。
「あの赤い竜が、初代竜王陛下であらせられる赤竜王陛下です」
「……赤い?」
どの竜だろうと、ミレーユは七匹の竜を順番に見つめた。しかし皆黒いインクで描かれており、色の違いが一目では分からない。
目を細めれば微かに色がついているようにも見えなくもないのだが色あせており、絵具の剥落も多い。なにより他の絵と比較しても小さく、ミレーユの両手サイズしかない。
距離を詰めて間近で見つめてもいまいちわかりづらいが、ドリスは一つ一つ指さしながら丁寧に説明してくれた。
「右から順に赤竜、青竜、黄竜、緑竜、紫竜、白竜、黒竜です。色に序列があるわけではございませんが、赤竜だけは特別です。他の竜を束ねる、世界の守護神様ですから!」
守護神というフレーズに、あの夜に読んだ本の内容が脳裏によぎる。
神が定めた守護神。この世界を守り、そしてその役目を手放したと記されていた赤い竜。
「赤竜の権威が他の竜と異なる理由は、初代竜王陛下のお色であったこと。なおかつ、カイン竜王陛下を除いて、竜族の長い歴史の中でもいらっしゃらず。もはや初代竜王陛下以外では出現しない色だとされていたからです」
(齧歯族にとって竜族は神に近い存在だけど、カイン様はその中でも特別なのね……)
ドリスの説明に、ゴクリと息を呑む。
「ミレーユ様もすでにご存じかと思いますが、竜王の血族はみな生まれたときは七色をもって生まれ、成竜になると色が分かれます」
「はい、カイン様に教えていただきました」
これは、どの種族でも王族であれば常識として教わることだが、残念ながらミレーユはそのことを知らされずに育ったため、ヴルムとカインが同一人物だとすぐには気づけなかった。
己の無知さを思い出すと、恥ずかしさに赤面してしまう。
「七色でお生まれになられても、どの色を持つかについては、生まれた瞬間に分かるものだともお聞きしました」
曰く、血の近い同族ゆえの感知力が働くのだそうだ。
これに、ナイルが「はい」と肯定した。
「カイン様がお生まれになったときも、すぐに赤竜だと理解致しました。……魔力の質が、我々とは異なる異質なものでしたから」
当時は誰もが驚き、緊張が走った。
それほど赤竜の誕生は異例のこと。
単純な快報として扱えるものではなかったという。
「わたくしたち竜族にとって、魔力というものは、高ければ高いほどいいというわけではございません。身に余るほどの膨大な力は、竜自身ですら制御不可能となり、この世に混沌をもたらします。とくに、赤竜は過去を遡っても初代竜王陛下以外いらっしゃらず、赤竜の性質についても記述された文献がございませんでしたので、なおさらのことでした」
カインの魔力制御は下位種族のミレーユから見ても完璧で、よほど気持ちが荒ぶらない限り魔力が零れることもないため危機感を覚えたことはなかったが、竜族の中ではカインの出生は大きな混乱だったようだ。
(赤竜の性質……ん? この仰り方だと、まるで色によって性質があるかのような)
不思議に思って問えば。
「竜は色によって多少性格が似通ります。例えば、黄竜はお調子者と申しますか、とにかく享楽を優先致します。反対に白竜は神経質で融通が利かない傾向にあります」
ナイルの説明に、ドリスが付け加える。
「基本的に温和だと言われているのは青竜と緑竜ですね。この二つは出現の多い色でもあります。……まぁ、他の色の竜に比べれば温和と言われているだけで、実際はそうとも言えないと、個人的には思いますが」
ドリスはそう言うと、ナイルに対し、ちらりと胡乱げな視線を向けた。
「もしや、ナイルさんは青竜なのですか?」
ドリスの視線と、ナイル自身が持つ美しい瑠璃色の瞳から推察すれば、予想通り頷かれた。
「となると、ゼルギス様は緑竜ですね」
ゼルギスの緑の瞳と柔和な笑顔を思い出し、確信したミレーユだったが。
「いいえ、あの方は紫竜です」
「どちらかと言えば、性格が狡猾と言われる竜ですね!」
これには少し驚いた。
カインの瞳は赤く赤竜。ナイルは瑠璃色で青竜。と聞けば、てっきり竜の色は、瞳の色と同じなのだとばかり思っていた。
「紫竜で狡猾……ですか……。色によって性質が似るといっても、あてはまらない場合もあるのですね。ゼルギス様は狡猾な方には見えませんし」
頬に手を置き、小首を傾げて言うと、またもや二人が同時に頭を左右に振る。
「いえいえ、あの方は本来なら一番バランスの良い魔力を有しているのに、竜王継承を拒絶し、やる気のない黒竜王陛下を騙くらかし、見事竜王に据えた方です。その手腕は立派に狡猾と言えますわ!」
「竜の色が瞳の色とあわないのも、紫竜特有です。外見から悟らせないところが、十分狡猾と言えます」
笑ってドリスが言い、続いてナイルが冷めた目で絵画に描かれた紫竜を見つめて言った。
随分な言われようだが、ドリスに悪気はないのだろう。対して、ナイルの刺々しい言葉には悪意が感じられた。
(ゼルギス様がルルに求婚して以来、ナイルさんのゼルギス様への対応が辛辣で手厳しいわ……)
いまだにカインとナイルは、ゼルギスのことをルルの相手には相応しくないと反対し、極力会わせないよう工作まで成されるほどだ。
しかし、ゼルギスはそんな画策など意にも介さず、ルルの相手を決める決定権を持つミレーユに、事あるごとに婚姻の許しを請い。
ルルはルルで、そもそも求婚されていることをあまり理解しておらず、ゼルギスのこともお菓子をくれる優しい人という認識だった。
この状況に、ミレーユとしてもどうするべきか考えあぐねていた。
(こういうとき、母国では相手の両親や兄弟を見て、その人となりを探るものなのだけど……)
と考えて、そこであることに気づく。
カインの父であり、ゼルギスの兄である前竜王は、黒竜。
その性質をまだ聴いていないことを。