花嫁の不安Ⅶ
その後、広間に残されたミレーユだったが、なんとか各国の王族や要人たちとのあいさつはつつがなく終えることができた。
もっとも、それはナイルの取り成しがあったからにすぎず、一人では無理だっただろう。
いままで下位種族との交流しかなかったミレーユにとって、大勢の上位種族とのあいさつは不慣れで、差配がまったく分からなかったのだ。
「皆様が思っていた以上にお優しかったからよかったものの……」
入室時は探るような視線を向けられたミレーユだったが、カインが去った後はそういうこともなく。イライザのように下位種族扱いされることもなかった。
それどころか、なぜか安堵の笑みすら浮かべていたように思う。
(あの好意的な空気感は、カイン様の御威光の賜物かしら? でも、それだけではない何かを感じたのは気のせい?)
とくに、鰐族の大使が言っていた言葉が心に引っかかる。
『いやはや、今回の花嫁様は花嫁様らしくいらっしゃる。安心いたしました』
真意が分からず聞き返そうとしたが、横にいたナイルがごほんと咳払いをすると、大使はそそくさとどこかに消えてしまった。
(あれは、どういう意味だったのかしら?)
皇太后が共同統治者として優れた才を持ち合わせていると知ったいまは、とくに第三者の会話の一つ一つが気にかかる。
こういう手探り状態の時、自国ではいつも――――。
(ごめんなさい、ナイルさん! 少しだけ……、少しだけで、すぐに戻りますので!)
自室をそっと抜け出したミレーユが足を運んだ先は、来賓も自由に散策ができる庭園だった。
この庭園は、いつもは女官と一緒でなければミレーユ一人では歩くことを許されていないエリアだ。
「もしかしたらさきほどの鰐族の方が来ていらっしゃらないかと思って期待したけれど、誰の姿も見当たらないわね……」
ちょっとだけのつもりで忍び込んだが、ナイルに見つかればお灸をすえられるだろう。
(でもこの感じ、少し懐かしいかも)
自国でも父から禁止されていた図書館の利用を隠れて行ったり、女には必要ないと切り捨てられた勉学を、兄が自室に置いていった本から学んだりしたものだ。
とはいえ、抜け出すさいルルには行き先を告げ、協力を仰いだ手前もある。誰かに見咎められるリスクは避けたい。
ミレーユはすぐさま撤退を決め、規則的に並べられた枕木の園路を引き返すことにした。
「――あら?」
戻る途中、何気なく空を見上げれば、滑空する鳥が目に入る。
(あの鳥、空中庭園で見た子だわ)
幼いときから、動物を見分けることには自信があった。鳥などすべて同じに見えるという者もいるが、大きさや羽の色、声や空を舞う動きなど一匹一匹に個性があり、その違いは三つ子のように似ているドリスたちよりも明確だ。
「この辺りに住んでいる子かしら?」
ぽつりと呟くと。
「あれは私の子飼いです」
「!?」
空を舞う鳥に気を取られていたせいで、すぐ近くに来ていた人物に気づけなかった。
思わず面食らった顔をしてしまったミレーユに、その人物はほほ笑みを浮かべ、礼儀正しく腰を折った。
「突然のお声かけ失礼いたしました。お初にお目にかかります、イーグル国鷹族領主、ルトガー・イーグルと申します。どうぞお見知り置きを」
(鷹族……?)
鳥綱族ではなく、鷹族だと名乗る青年に、ミレーユの身体が強張る。
本来、どの種族もひとまとまりの族名を嫌い、祖先の名称で呼ぶことを好む。
けれど下位、並の中位種族程度ではそれは許されず、祖先の名称を呼ぶことが許されるのは上位種族か特別な種族のみ。《鷹族》と自称できるのは、それだけ彼の祖先がカースト上位だったことを意味するのだ。
(そうだわ。鳥綱族の最上位種が、確か鷹族だったはず)
上位種ばかりが集まる南の大陸で、唯一の鳥綱族。鳥の王だ。
確かに彼の衣装はその位に相応しく、身体全体を包み込むような白地の衣は最高品質の絹。金糸の刺繍が細かく施され、とくに首回りや袖は、白地と対比するがごとく豪華に彩られている。
しかしミレーユが気になったのは、そんな異国感あふれる衣装ではなく、彼のつけている額飾りの方だった。多数の宝石が使用されている額飾りは、木の葉を模った金の飾りが下がっており、ときおり風で揺れる。仮面の意味も成しているのか、顔の上半分を覆い隠していた。
「こちらこそ、気づくのが遅れて申し訳ございません。グリレス国第一王女、ミレーユ・グリレスと申します」
上位種族とはいえ、柔和な笑みを浮かべ穏やかな雰囲気を纏うルトガーからは、さきほど絢爛の間で感じたような恐れは抱かず、自然とあいさつを交わすことができた。
「この度のご婚約、誠におめでとうございます。まさか、こんな短期間で二度も竜王の婚儀に出席できるなど思ってもいませんでした。本当に喜ばしい限りです」
上位種族は下位種族に比べ、寿命が長い。
鷹族の彼も、齧歯族に比べれば長い時を生きるが、竜族はそのまた上。
長い寿命を持つがゆえに、竜族の婚姻は他種族に比べて遅いのが常で、カインのように十八歳で婚儀を迎えるのは異例中の異例。
さきほどの会場でも、同様の発言をもれなく全員から頂戴していた。
「赤竜王陛下はすべての儀式がお早い」
そう、これも結びのようにセットで。
あの時は緊張もあってあまり深く尋ねることができなかったが、すべての儀式の『すべて』とは、婚礼以外で何を指しているのか気になる。




