花嫁の不安Ⅳ
しかし、自分の考えが甘かったと気づいたのは、来客たちが案内されているという《絢爛の間》へ移動していた際、「来訪者はこの辺りの種族ばかりです」という、ナイルのいかにも厄介で傍迷惑な集まりだと言わんばかりの口調で足された説明を聞いた後だった。
ドレイク国と同じ南の大陸は、すべて上位種族で固まっている。
(つまり、いま絢爛の間に集っている方々は、動物であった時代、弱肉強食の頂点として君臨していた種族ばかりということに……)
それは室内に足を踏み入れた瞬間、嫌というほどに察せられた。
足元から駆け上がるようなピリつく魔力。空気に混じり融けた微かなものだけでも、この場に集まった来客たちが、錚々たる顔ぶれなのだと肌で感じ取れる。
ナイルを連れ立っているミレーユの姿に、扉付近にいた来客たちの瞳が一斉にこちらを向く。
大勢の探るような強い視線を浴び、ミレーユは一瞬のまれそうになるも。
(いいえ、ここでたじろいではいけないわ!)
グッと指の先に力を込め、なんとか心を持ち直し、歩を進める。
すると、次は別の問題が発生した。
(あら? この場合、私はどなたにどのようにお声をかけるべきなのかしら?)
絢爛の間に集まっている来客たちは、ミレーユの想定していた以上の数だ。多くても数十人程度だと思っていたが、ざっと見ただけでも数百人は下らない。
母国の祭事と同様に考え、もっと小規模の集まりだと勘違いしていた自分の愚かさに冷や汗が流れる。
そんな狼狽えるミレーユの耳に、ふいに聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「まったく、鶴の一族に生まれておきながら機織りもせずに勝手に国を飛び出して! そのうえ国に一切帰らず、ドレイク国の方々にご迷惑をおかけしているなんて、我が一族の顔に泥を塗る行為ですよ!」
「わたくしが一体いつ迷惑をかけたというのですか。これでも国庫統括長として、日々精を出し頑張っているというのに」
「初代竜王陛下が残したお部屋への破壊要求。お姉様の度重なる実験での爆発のことは、わたくしたちの耳にも入っております! しかも、最近では赤竜王陛下の花嫁様にまでその魔の手を伸ばしていると言うではありませんか!」
「まるで人を外道みたいに。ミレーユ様とは楽しくお話して、研究をご一緒させていただいているだけです」
ミレーユの登場に静まり返る絢爛の間に、その一角だけは気づいておらず、争う声は激しさを増していた。
「あの……、ドリスさん?」
声と見慣れた後姿にミレーユが声をかけると、その呼びかけに三人の女性がいっせいに振り返った。
「――え?」
振り向いた三人の顔立ちと佇まいに、ミレーユは一瞬自分の目が霞んでいるのかと疑った。彼女たちはみな、ドリスと同じ顔をしていたのだ。
隣にいたルルも驚いたのか、指をさして問う。
「すごい! ドリスさん、分裂できたんですか!?」
「いえいえ、この二人はわたくしの姉と妹ですわ。正確に言えば、口うるさい姉のレベッカと、かしましい妹のモニカです」
なんとも雑な紹介だった。姉と指さす女性は、長い髪を首元よりも少し後ろで結び流し。妹と指さす女性は、髪を緩く編み上げていた。
髪型は三人とも違うが、顔立ちは三つ子と見まがうばかり。訊けば年子だと言う。まさにうり二つの三姉妹だった。
多産系で双子、三つ子がよく生まれる齧歯族でも、これほど写しのように似ているのは珍しいと呆けていると、姉妹は現れたミレーユが件の花嫁だと気づいたようで、慌てて頭を下げてきた。
「眼前でご無礼を致しました! 拝謁の機会をいただき、鶴の一族を代表し心からの敬意と感謝を申し上げます!」
「この度はおめでとうございます。心より祝福させていただきます」
先に我に返りあいさつを繰り出したのはレベッカで、続いてモニカが言葉を紡ぐ。
ドリスと同じ容姿というだけで、ミレーユにとってはなじみ深く感じられ、自然とほほ笑んでしまう。
「ありがとうございます。貴国には、とても素敵なお衣装と反物を頂戴し、ずっとお礼を申し上げたいと思っておりました。お会いできて光栄です」
「「とんでもないことでございます!」」
恐縮する姉妹をしり目に、ドリスはいつもの調子でミレーユに笑いかけた。
「ここにいればミレーユ様にお会いできるかと思って参りましたら、姉と妹に捕まってしまったんです。とんだ災難でした」
姉妹との再会を災難と称するドリスに、思わず微苦笑が零れる。
ミレーユがエミリアと長年の確執があったように、どうやらどこの姉妹もそれなりに大変なようだ。
「まったく、こんなことになったのも、貴女がわたくしとミレーユ様を引き離すからですよ!」
両手を腰に当て、ドリスが恨みがましい視線をナイルに向けた。
術の検証禁止令に打撃を受けたのはドリスも同じだったらしく、それを不服として、ミレーユが来そうな場所に当たりをつけ、張っていたところに姉妹と遭遇してしまったようだ。
「――ちょっと、ドリス。まさかナイル様にいつもそのような口をきいているの!? 花嫁様にお仕えする女官長がどれだけ特別な存在か知っての所業なのでしょうね!?」
「お姉様、竜王陛下の花嫁様にそんなに気安く話しかけないでください! 不敬ですよ!」
姉と妹の一斉攻撃に、ドリスがぷくりと頬を膨らませる。
「ご覧の通り、本当に口うるさい姉と、かしましい妹なのです」
ドリスは姉妹のお説教にもまったく動じていなかった。なるほど、こういう土台があったからこそ、ナイルの小言も華麗にスルーできるのかと、ミレーユは妙に納得してしまった。
「こちらに責任を押し付けないでください。貴女と違い、鶴の一族は礼儀正しい者ばかりです。婚儀の前に来訪することなど考えずとも分かるでしょう」
ナイルがいつもの口調で答えれば、それに加勢するように姉妹が言う。
「愚妹は反物の一反も献上できぬ放蕩者ですから、一族のことなど頭の隅にも思い出しもしなかったのでしょう」
「そうですよ。竜王陛下の婚儀では、一族総出で婚礼衣装にあたるのが習わしだと言うのに。お姉様には花嫁様をお祝いしようという心意気が足りません!」
姉の言葉は軽く流していたドリスだったが、妹の最後の言葉には耳をピクリと震わせた。
「わたくしが婚儀を祝っていないなど、とんでもない濡れ衣です! やろうと思えば機織りくらいできます!」
聞き捨てならないとばかりに宣言すると、勢いよくミレーユに向き直り。
「ミレーユ様、わたくしが反物を織ったあかつきには受け取っていただけますか!?」
「え? はい、もちろんです。ドリスさんの手ずから織った贈り物をいただけるなんて、とても嬉しいですわ」
もちろん品でなくとも、その真心だけでも十分嬉しい。しかし、そう伝える前にドリスはこころ得たとばかりに出口へと走り出してしまう。