帰還Ⅲ
首を傾げながらの問いは、目の前の男にではなく、ミレーユに向いていた。
ミレーユは動揺しながらも、ルルに彼の名を告げた。
「こ、この方が、ゼルギス様よ」
「あ! お優しい方ですね!」
さきほどの会話を思い出したのか。
ルルが明るい声をあげると、いまだ握られている両手にいっそう力がこもった。
「貴女が望むなら、どんなことでも叶えましょう。星の数ほどの宝石でも、運河でも、島でも望むものを捧げます。気に入らぬ者がいれば血祭りにあげましょう」
「ち、まつり? なんのお祭りですか!?」
物騒な告白にも気づかず、祭り好きなルルが嬉々として問う。
(違うわっ。それはルルが思うようなお祭りではないの!)
心の中でツッコみながらも、ミレーユは目の前の事態に理解が追い付いていなかった。
それはカインやナイルも同じだったようで、部屋に広がるしばしの沈黙。
さきに正気に戻ったのは、カインだった。ゼルギスとルルを引き離すように間に立つ。
「――――お前、……なにを言っているんだ?」
困惑が滲んだ声に、ゼルギスはハッキリと告げた。
「カイン様、私はこちらの可愛らしい方と結婚いたします」
「はぁ?!」
カインからはついぞ聞いたことのない、怒りと焦りと罵倒が入り交じった声だった。
しかしゼルギスはそれを無視し、ルルに尋ねる。
「可愛らしい方、まずはお名前をお訊きしても?」
「ルルですか? ルルは、ルルっていいます」
ゼルギスの求婚をまったく理解していないルルが陽気に答える。
幼い返答をするルルを前にしても、ゼルギスは一切の躊躇なく、結婚の了承を得ようと言葉を紡ぐ。ルルは意味も分からずに、適当な返事をしている。
なかなかの混沌だ。
それを破ったのは、やはりカインだった。
「――――ふざけるな!」
発声と共に、部屋の窓がガタガタと大きく揺れる。
いまにも割れそうなガラスに、ミレーユは慌てた。
ドレイク国の窓ガラスは母国のものと違い、厚く高価なもの。
それが割れれば、いったいいくらの損害になるのか。思わず計算してしまう。
慌てふためくミレーユの代わりに、彼を止めたのはナイルだった。
「落ち着きください、カイン様」
「ナイル……だが……」
「このような事態に陥ってしまったのも、すべてわたくしの家庭教師としての力不足が原因です。不甲斐ない自身を恥じ、――――ここは、わたくしの手で終わらせます」
「いや、絶対私より落ち着いていないだろう……。魔力をしまえ! ミレーユが引いている!」
手に頭ほどの大きさの風を渦巻かせ、戦闘態勢に入っているナイルを、今度はカインが止めた。
見た目にはさほど大きなものではないが、膨大な魔力量が圧縮されたそれは、国ひとつ消滅できるのではないかと思うほどの魔力が込められている。
以前ナイルがカインに放ったものより遥かに威力が大きい。
下位種族のミレーユは、初めて見る強大な攻撃魔術の渦に、失神一歩手前だった。
「撤回しろ、ゼルギス! ナイルは本気だ!」
「なぜ撤回せねばならぬのです?」
「お前っ、いったい幾つ年が離れていると思っているんだ!」
「これは異なことを。竜族に年の概念などあってないようなものではないですか。年の差で言えば、兄上と義姉上とて開きがございます」
シレッと答えるゼルギスに、カインが怒りの声をあげる。
「あの二人は精神年齢が似通っているからいいが、ルルはまだ幼女だぞ!」
「ルルは幼女じゃありません!」
まさか自分が幼女扱いされているとは思ってもいなかったルルが、頬を膨らませて否定した。
「そうですよ、こんな立派なレディに対して失礼です」
「自分に都合よく言い換えるな! 竜族から見たら、ルルは生まれたてにも等しい幼女だろうが!」
「……竜王さま、ルルのことそんな風に思ってたんですか?」
幼女扱いプラス生まれたてと言われたことに、さすがのルルもプライドが傷ついたようだ。
「ふぇええ、ひめさまぁ~、りゅうおうさまが、ルルのことようじょっていうぅう」
瞳を潤ませてミレーユに縋りついた。
腰に両手を回し、うわぁーんと泣きながら見上げてくるルルに、抱き着かれたミレーユはつい心の中で本音を漏らした。
(泣き顔は、……幼女かしら)
などとは口には出せないため、曖昧な笑みを浮かべ、よしよしとルルの頭を撫でて慰めた。
「カイン様、私の花嫁をいじめないでいただきたい」
「黙れ、幼女趣味が! ルルはお前の花嫁じゃない!」
あまりのカインの激怒ぶりに、ミレーユは素朴な疑問を投げかけた。
「えっと……ゼルギス様とルルは、それほど年が離れているのでしょうか?」
彼の外見からも、離れているといっても許容範囲のような気がする。
しかしカインの口から出た年齢は、ミレーユの予想をはるかに超えるものだった。
「確か、二百五十は超えている」
「にひゃくごじゅう……? 二百五十歳ですか!?」
まさかの百単位に、ミレーユの声が裏返る。
「うわぁ、ルルが寿命まで生きたとして八回くらいは死んでますね!」
瞬時にルルが自分の寿命で換算した。ルルにしては早い計算だ。
(二百五十……長寿だとは知っていたけれど、まさかここまでだったなんて)
よく考えれば、ミレーユは竜族の平均寿命を知らない。
訊ける機会は何度もあったが、訊けなかったのだ。
短命な齧歯族にとって、年齢を安易に訊くことは非礼だった。
そのため、初対面でローラに会ったときも気になったが問うことはせず。
もちろんナイルたち他の女官たちにも尋ねる勇気はなかった。
(カイン様は私と同じお年だったから、ゼルギス様がそれほど離れていたなんて夢にも思わなかったわ……)
驚く二人の齧歯族に対し、当人はにこやかな笑顔だ。
「竜族に年齢の概念なんてあってないようなもの。私など、まだまだ若造です」
そういって、彼はルルの指を見つめ、
「――なるほど。五号ですね」
なにかを目測した。
それが薬指の指輪のサイズだと気づいたカインとナイルから、無言のブリザードが吹き荒れる。
「お前……ふざけるなよ」
「一度、死にますか?」
高位種族同士の言い争いは、下位種族のミレーユには心臓に悪すぎる。放たれる怒気の魔力で潰されそうだ。
「と、年の差は理解いたしましたが、それほど怒らずとも……」
「ミレーユとて、自分の叔父が孫ほど若い娘に手を出そうとしたら正気を疑うだろう?!」
「え……」
カインとしては分かりやすく例えたのだろう。しかし、その説明はミレーユには逆効果だった。
「言いにくいのですが……よくございます。母国では日常茶飯事で……」
しかも見た目が美男子のゼルギスと違い、一目で年の差が明らかな老人に嫁ぐのだ。
ミレーユとしては、ルルの相手がゼルギスだったとしても、あまり違和感はない。
自分とて、もしカインがいなければ、祖父ほど年の離れた男の元に嫁がされていたはずだ。
現に、そういった縁談は来ていた。
彼には怖くて言えないが……。
ちなみに6月25日発売の書籍では、この辺りの挿絵も描いていただいているのです(*´▽`*)✨