帰還
ドレイク国に戻ると、すぐさまナイルが出迎えた。
竜印で守られているミレーユが怪我などするはずがないと分かっていても、やたらと体調の心配をし。カインにはミレーユに対し、狼藉を働かなかったか疑問視する目が向けられた。
(釈然としない……私の花嫁だぞ……)
ナイルは今回当然のように随行を申し出たが、留守を預けたのはカインの判断だった。どうやらそれが不服だったらしい。
彼女の中では、カインが『帰郷』という名の『婚前旅行』に行くために、自分に留守を押し付けたと思っているようだ。
正直、やましい気持ちが少しもなかったと言えば嘘になる。だがそれは別段ナイルがいようがいまいが一緒だ。ナイルを連れて行くことを拒否したのは、純粋に危険回避のためだった。
(お前を連れて行ったら、私以上に暴れるだろうが!)
竜族の女は、一度守ると決めた者に対しては服従を捧げ、逆に敵と判断した者には容赦がない。
すでに毒の件でナイルはエミリアを敵認定している。
会わせれば、瞬時に攻撃魔術を放つことは必至。
(そんな事態を回避してやったんだ。感謝こそされど、狼藉者扱いは納得できん!)
憤っていると、ミレーユの心配そうな眼差しと目が合った。
「慌ただしく帰郷してしまいましたが、せめてゼルギス様に一言お伝えしなくてよろしかったのでしょうか?」
いまさらで申し訳ございませんが、と不安げに伺いを立てるミレーユにさらりと返す。
「気にしなくていい、あいつならいま不在だ」
「ご不在? そうでしたか。では、お帰りになられてから改めてご挨拶させていただきます」
「別に、ゼルギスのことは……」
どうでもいい、と口に出そうとすると、ルルがぴょこりと話に割ってきた。
「ゼルギスさまって、どなたさまですか?」
「あ……、ルルはまだお会いしたことがなかったわね。ゼルギス様はカイン様の叔父様で、宰相を務めていらっしゃるの。とてもお優しい方だから、ルルもお会いしたらちゃんとご挨拶してね」
「はーい!」
ミレーユと元気よく右手をあげて返事をするルルのやり取りを、ナイルはほほ笑ましそうに見つめると、馭者から受け取った猫籠を台座の上に置いた。籠の中では、けだまが丸くなって寝ていた。
「皆様もお疲れでしょう。すぐにお茶をご用意いたします」
「お茶!? ルルがいれてもいいですか?!」
今度こそおいしいお茶をいれたいようだ。意気込むルルに、ナイルが優しく言う。
「ルル様もお疲れでしょう。どうぞお休みになってください。本日は紅茶ではなく、甘いココアをお淹れしましょう」
「ココア? ……ってなんですか?」
聞きなれない飲み物に、ルルが小首を傾げた。
「カカオ豆をすり潰し、砂糖やミルクを加えていただく飲み物ですよ」
「ふぇ~?」
そもそもカカオ豆というものを見たことも聞いたこともないルルは、ココアなるものがとても気になったようだ、結局ナイルの後についていってしまった。
静かになった室内に、おや、とカインは首を傾げる。
いつものナイルなら、すぐにカインを部屋から追い出し、ミレーユと二人きりにさせるのを阻止するはず。しかし、今回はミレーユと二人きりにしてくれた。
(ああ……これは私のためではなく。ミレーユの様子に気遣ったんだろうな)
ミレーユはさきほどから、なにか言いたげにチラチラとこちらを見ては窺っていた。
思えば帰国の道中も、ずっと神妙な顔で口数が少なかった。
(エミリアの件を黙っていたことを、内心では怒っているのか? それとも森に助けにいくのが遅くなってしまったことを悲しんでいるのか? 蛇との断絶は……まぁ、当然として。どれだ?)
心当たりは幾つかあるが、正解が分からない。
(まさか里心がついて、やはり母国に帰りたいと思っているのでは……)
そうなった場合、もう国を消すしか――――。
一瞬、脳裏をよぎった危険思想に、ハッと我に返る。
今回やっとミレーユに対し、抱えていた隠し事が一つ解決したのだ。
自分で彼女から嫌われる理由をつくってどうする。
もちろん本気で実行しようなどとは思ってはいないが、こういう思考がわずかでもよぎってしまうのは竜族の血故なのか。
幼いとき、さんざん『理由なき他種族への干渉、侵害を禁じる』という教えを受けていなければ、いまごろ国の三つや四つは消滅していたかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えていると、意を決したように、ミレーユがカインの前に歩み寄った。
「――――カイン様。今回の事では、大変なご無礼とご迷惑をお掛けいたしました。何とお礼を申し上げればよいのか……言葉もありません」
告げるなり最高礼をするミレーユに、カインはぎょっとした。
「そんな固く考えなくとも……」
言いながら一歩踏み出すと、なぜかすぐさまミレーユが一歩後退した。
(……ん?)
後退された分カインが前進すると、またもやミレーユが後ろに下がる。
「なぜ逃げるんだ?!」
「あ……えっと……」
思わず声をあげると、ミレーユ自身も自分の行動に戸惑っているのか目が泳いでいる。
その隙にまた距離を縮めるも、思いのほか俊敏な動きで詰めた分がすぐさま遠のいた。
サーッと、カインの顔色から血の気が引く。ミレーユは慌てて手を振って弁明した。
「ち、違うんですっ……これは、勝手に身体が……」
「拒絶反応……ということか?」
ミレーユに拒否されたショックで、カインは世界を潰したくなった。
邪竜への一歩を進もうとする男に、ミレーユは顔を真っ赤に染め叫んだ。
「いえっ、拒絶ではありません! ……その……、は、恥ずかしいだけです!」
「恥ずかしい?」
繰り返せば、ミレーユの頬がよりいっそう赤らむ。
「カイン様は、暖を取ってくださっただけだと、分かってはいるのですが……森で、その……」
羞恥に消え入りそうな声は、森で抱きしめたことを示唆していた。
負の竜気を引っ込め、ミレーユの言葉に耳を傾けた。
「善意のお気持ちに対して恐縮ですが、ふ、不慣れなもので……。できれば、次は事前に心の準備をさせてくださいますと……その、……もう、このような醜態は晒しませんので……!」
消え入りそうな声で、必死に宣言される。
(つまり、心の準備があればまた抱きしめてもいいということか)
カインは持ち前のポジティブさえで、そう結論付けた。
あのときは竜印の力のせいで、ミレーユに気づかれてしまいそうになるほど身体にやけどを負ったが、火矢で広がった匂いと全身全霊の回復術でバレることはなかった。
日に日に向上していく回復魔術は、すでに熟練の域に達している。
次は竜印の攻撃に感づかれることなく抱きしめられる自信があった。
「不慣れなら当然だ。すまない、了承をきちんと得るべきだった」
「いえ、とんでもないです。私の方こそ――」
「だが、慣れれば大丈夫なのだろう?」
「え……あっ、は、はい!」
間を置きながらも、ミレーユは空気を読んで肯定した。カインはニッコリと笑う。