竜王の怒りⅤ
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「無事だったか……」
安堵を浮かべる兄の表情に、ミレーユはヨルムの一件に、父が関与していることを察した。
できることなら、何かの齟齬が生じただけだと思いたかったが……。
ミレーユは、恐る恐る問いかける。
「あの……、お父様は?」
「牢の中だ。手を下してやろうと思ったが、もはや殺す価値もなかった」
散々な言い様ではあったが、父が生きていることに息をつく。
「そうですか……。寛大なご処置、ありがとうございます」
「そんな気持ちは欠片もない。簡単に殺すよりも、じわじわ苦しんで死んでくれた方が俺の溜飲も下がるからだ」
そう言って、ロベルトは嘘か本気か分からない笑みを零すが、ミレーユには安堵しかなかった。
北の要塞で十年を堪え忍んだ兄が、今度はその手を父の血で染めなければならないなどあまりに理不尽。この安堵は、父のためではなく、兄のためのものだった。
「それで、あの蛇はどうされたのです?」
ロベルトはミレーユにではなく、カインに尋ねた。彼は憎々し気に言った。
「さぁ、冬眠でもしているんじゃないか。……ミレーユの前だから耐えたが、怒りのあまり全員燃やすところだった」
「あの森は我らの神聖域なので、蛇の死骸で汚さずに下さったこと感謝いたします」
「灰すら残さず燃やせるが」
「でしたら、ぜひ燃やしていただきたかったですね」
冗談ではなく、本気で言っているロベルトに、エミリアが目を吊り上げた。
「仮にもわたくしの夫ですよ!」
一応情はあるのか、不機嫌な態度を示すエミリアに、カインは冷たい視線を向けた。
「あの男、やたらミレーユに好かれている自信があったようだが、君が焚きつけたのか?」
「な、何のことですの……?」
カインの気迫に圧され、エミリアが後ずさる。
王子が放った言葉をそのまま伝えれば、エミリアはあっけにとられた顔で目を瞬いた。
どうやらエミリアも、ヨルムの発言は意外だったらしい。
これに答えたのはロベルトだった。
「あぁ、それはあのバカ蛇が、ミレーユを自分のものだと思っているからでしょう。子供の頃に振られた記憶を勝手に歪曲しているんですよ」
「「――――は?」」
眉間に皺を寄せたのは、カインとエミリア。
ミレーユは何のことだか分からず、目をきょとんとさせた。
「なんですそれ……どういうことですの?!」
「お前がまだあのバカ蛇と出会う前の話だ。勝手に城に来たバカが、初対面のミレーユを見るなり挨拶もなしに『嫁にしてやるから感謝しろ』と言ったんだよ」
当時五歳だったミレーユは告げられた言葉に一瞬ポカンとするも空気を読み、ニコリと笑って遠回しに断りをいれた。
幼いながらも相手を立てた表現は、礼儀を知らぬヨルムには難しかったようで、まったくわかっていない顔だったという。
「フラれていることをまったく理解できていない、あのバカの顔は見物だったけどな」
ハッと鼻で笑う兄の言葉に、エミリアはキッとミレーユを睨んだ。
「どういうことですか!?」
「え? どうと言われても、……私、そんな記憶は……。お兄様、それはなにかの間違いでは?」
「なんだ、本当に忘れているのか? お前、それ以来あのバカ蛇のことを避けていたじゃないか」
確かにヨルムに対しては苦手意識があったが、それは好戦的なところが種族的に合わなかっただけで、ロベルトが言うような出来事があったかは思い出せない。
「姉がダメなら妹という考えが俺には気持ち悪いが。まぁ、お前の夫だ。一応祝福はしてやる」
「……です」
「エミリア?」
下を向き何かを呟くエミリアに、ミレーユが心配げに声をかける。
「どうしたの?」
「――――嫌です!!」
かん高い絶叫に、その場にいた全員の鼓膜が震えた。
「わたくしよりもさきに、姉様を嫁に取るなどと言った男だと知っていれば、絶対に夫になんて選ばなかったわ! どうして教えてくれなかったの!? 自分が捨てた男を、わたくしが選んだことが面白かったんですか!?」
詰め寄られ、ミレーユは当惑した。
「え? ま、待って! 本当にそんな記憶は……」
否定しても、エミリアの勢いが止まるわけもなく。
ギャーギャーと牙を剥いて喚く姿に、ロベルトは呆れて言った。
「お前なぁ、俺が言った言葉をもう忘れたのか?」
「それとこれとは話が別です!」
「同じだ。冬眠している蛇は起こしてやるから、とっとと連れて帰れ」
「嫌よ! 一度でも姉様を愛した男のもとになど、戻りたくありません!」
「え、エミリアっ、あの方は私のことなど歯牙にもかけていな」
「姉様は黙ってて!」
三人の兄妹が押し問答をする中、一人沈黙していたカインがなぜかどこかへ行こうとしていた。
ミレーユは慌てて問う。
「カイン様? あの、……どちらへ?」
いつもミレーユへ向ける優しい笑顔のまま、彼は言った。
「あの蛇を冬眠から永眠にしてくる」
その瞳に荒んだ色を見たミレーユは飛び上がった。
「お、お待ちください!」
当然止めたが、カインが考えを改めることはなく。
「私よりも先に求婚したという事実だけでも許せない……」
「兄の記憶が間違っている可能性もございます! いえ、きっと兄の記憶違いです!」
「俺の記憶力は確かだぞ」
「お兄様っ!」
少し口を閉ざしてほしいと訴えれば、仕方ないとばかりにロベルトが黙る。
その間に、なんとかカインを説得した。実際は説得というより、『兄の記憶違いで、事実とは異なる』と主張を繰り返しただけなのだが。
それでも、必死な嘆願をなんとかカインは聞き入れてくれた。
安堵するミレーユだったが、しかしすべてを許してくれたわけではなかったようで、
「エミリア、戻りたくないなら戻らなくていいぞ。だが、それならあの蛇とは離縁してもらう」
「!!?」
とんでもないことを言い出したカインに、ミレーユはギョッとした。
「よろしいのですか!?」
反対に、なぜか喜ぶエミリア。
「お、お待ちください! そんな理由でエミリアを離縁させるなんてあんまりです!」
竜王の言葉が絶対だとしても、さすがにこれは看過できない。
けれどミレーユの想いも空しく、エミリアから返ってきた言葉は刺々しいもので。
「なぜわたくしが、姉様が振った男と結婚生活をおくらなければならないの」
ジト目で睨まれてしまった。
ミレーユからすれば、そんな理由でヨルムを嫌う意味が分からない。
ロベルトの言う記憶が正しかったとしても、ちょっとした子供の気の迷いではないか。
「カイン様、なぜ離縁などと……」
「あれがミレーユの義弟だと思うと、それだけで不愉快過ぎて殺したくなる」
物騒なうえに私情が過ぎる。
まさかここまでカインの嫉妬心が強いとは思っていなかったミレーユは、今度は兄に助けを求めた。
もともと煙のなかったところに火を付けたのは兄だ。
収拾をつけて欲しいと頼むも。
「こちらはいままですべての命に背いているんだ。カイン様がそう仰るなら、従うのが道理だろう」
さも当然とばかりに彼は言った。ミレーユは真っ青になる。
自分が原因でエミリアを離縁させるなどとんでもない。
「お、お兄様……」
そもそもミレーユですら完全に忘れ切っていた大昔の話を、なぜいまここで話してしまったのか。
スネーク国に対し、さんざん辛酸をなめてきた彼なりの意趣返しではないかという疑惑すら湧く。
そんなミレーユの心中が伝わったのか、ロベルトはベッと、まるで子供のように舌を出した。
「あれが義弟なんて、俺だって死んでも嫌だね」




