竜王の怒りⅣ
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「ふざけたことをっ……!」
父の口から告げられた言葉に、ロベルトは怒りのあまり目の前が赤く染まる。
この愚か者は、『ミレーユに捕らわれているエミリアと、自分のことを救ってほしい』と、よりにもよってスネーク国の王子に嘆願の親書を送っていたのだ。
「そんなものを信じるバカがいるか!」
ロベルトは怒りのまま、王座から父親を引きずりおろそうとしたが、窓から見える立ちのぼる煙に目を疑った。
あの位置は、祠のある付近。
煙とともに微かに見えるのは、剣にとぐろを巻く蛇のマーク。
――――スネーク国の旗に、ロベルトは絶句した。
(そうだった……、アイツは、視野の狭い世界でしか生きられないバカ蛇だった……)
視野狭窄は、祖先の血なのか。
ロベルトの知るスネーク国の王子は、自分が信じたいものしか信じない質の悪い子供だ。
(あれがそのまま大人になったのなら。バカのいうことを信じるバカに育っているだろうな)
チッと舌打ちすると、すぐさま森へ足を向ける。
しかし、一瞬視界に映った大きな翼に動きを止めた。
(鳥? にしてはやけに大きい……。いや、あれは……)
それがなにか認識した瞬間、身体に激しい負荷がかかった。
「――ッ!」
立っていらないような圧に身体が縮まりそうになるも、なんとか堪え忍ぶ 。
一気に噴き出た汗を拭うと、臣下が声をかけてきた。
「ロベルト王子? 外になにが……」
「見るな!」
声を荒らげ、叫んだ。
「見れば、竜王陛下の《威圧》を受けるッ。意識が飛ぶぞ!」
「ひぃい!」
カインの訪問までは知らされていなかった臣下たちは一様に震えあがり、背を丸くして床に這いつくばった。
(一瞬視界にいれただけで、これか? 全身の毛が逆立ったぞ……)
ロベルトは肩で息をすると、少し整ったところでもう一度窓に目をやった。
すでに森に降りたのか。さきほど見た、広い翼はどこにも見当たらなかった。
(あの方は、翼をお持ちなのか……。上位種族には、元始体の姿になれる方がいらっしゃると聞いたことがあったが……)
翼だけでも、元始の姿は下級種族には威圧行為だ。
目に入ると同時に震えあがってしまう。
なぜ彼が森に向かったのか気になるが、どちらにしてもミレーユが関わっているのだろう。
(煙に気づいてミレーユがカイン様に頼んだのか? それとも、まさかミレーユ一人で森に入っていないだろうな……)
ない話ではないが、ミレーユには竜印がある。
最悪森を失ったとしても、怪我をすることはないだろう。
後のことはカインに任せ、ロベルトは目の前の常軌を逸した男に凄んだ。
「ろくに統率も取れない無能者が、悪巧みだけは立派とはな……。使用人たちに給金を支払わなかったのは、受け取った婚資金を逃亡資金にでもするためだったか?」
「…………」
沈黙は肯定だった。
「心底反吐が出る! 国を窮地に追いやったんだ、いまお前の首を刎ねたとしても、ミレーユへの言い訳には十分だな!」
ロベルトは腰に下げていた剣を抜くと、ゆっくりと憎い男へと向けた。
「――あれは私の娘などではない!」
「……はぁ?」
この期に及んで何を世迷言を言っているのか。しかし、なおも彼は叫ぶ。
「私の血など一滴も入ってない。ブラムの子に決まっている!」
「ブラム……? ブラム伯父上のことを言っているのか? あの人は、母上の兄だぞ……」
そもそも伯父は、ミレーユが生まれる二年前に亡くなっている。
「戯言にしても、もっとまともなものにしろよ。計算も出来なくなったのか」
「お前もそうだ! 私の子ではないっ」
「ああ、そうか。俺もその方がよかったがな」
ロベルトは呆れて吐き捨てるも、様子がおかしいことに気づく。
自己弁護のための言い訳にしても、あまりにも支離滅裂だ。
取り合うつもりはなかったが、問わずにはいられなかった。
「この男は、いつからこうなんだ?」
柱の陰に隠れていた臣下の一人に問う。男は俯きながらも、小さく答えた。
「ミ、ミレーユ様が、ドレイク国に赴かれた辺りから、少しずつです……」
誰の意見にも耳を貸さなくなり、少しでも意に添わなければ癇癪を起す。
来年の予算についての報告も、いるはずのないミレーユにさせろと命じる。ミレーユの不在を伝えても、まったく理解していない顔をすることさえあったという。
「つまり……ボケたのか」
齧歯族の中でも長い時間を生き過ぎた弊害か。
認知機能は衰え、もともと僅かしかなかった分別も消滅していったようだ。
(いや、これは来るべくして来た因果応報だな)
簡単に推測がつく。
ミレーユの不在で、決まり事や方針を固める道筋を立ててきた者がいなくなり、いままで娘に押し付けていた重責がすべて自分に戻った。
そんな心労に、目の前の男が耐えられるわけもない。
「おい、コイツを貴族牢にぶち込め」
父親をぞんざいに指さすと、扉の前で突っ立ったままの兵に命じる。
まだ若い彼は、とくに驚くこともなく「あ、はい」と返事をした。
驚いたのは臣下たちだった。
「牢屋!? 王を牢に入れると言うのですか?!」
「貴族牢にいれてやるだけ最後の情けだ。本来なら首をへし折ってやりたいところだが、その価値もない。――早く連れていけ。もちろんそいつら全員な」
片手で持っていた剣を肩に置きながらロベルトが言うと、扉から数十名の兵が雪崩れ込む。
まるで最初から準備されていたような手際のよさだ。臣下たちは慌てふためいた。
「な、な、な、ぜ!? なぜ私たちまで!?」
「なにを驚くことがある? 私利私欲のためにお前たちが国費を使用していたことはすでに知っている。余罪はたっぷりとあるんだ。当然だろう」
阿鼻叫喚の王座の間で、ロベルトは一人悠々と歩くと、入口とは別に設けられた小さな扉の前で止まった。
隙間程度に開いた扉から、まだ何かを喚き散らしている父の背中を目で追う、もう一人の妹に、ロベルトは冷たく言い放った。
「エミリア、お前もよくよく気をつけろ。俺たちには、あの男の血が半分混じっている。お前が父のように傲慢に生きるというなら、兄としてその首を刎ねなければならない。俺はミレーユのように甘くない。カイン様のようにミレーユの心を優先しない。切り捨てると決めたら容赦なく切り捨てる。――――よく、覚えておけ」
エミリアはゴクリと唾を呑んだ。
父がロベルトを恐れ、自分たちには留学だと装って北の要塞に送った意味が、いまならよく分かる。
竜族は神の種族。
すべてを持ち合わせる竜王は、なにも捨てる必要がない。
けれど、齧歯族の王は違う。切り捨てる強さと残酷さがなければ、なにも守れない。
(いまのままのわたくしでは……いつか兄様から粛清される……)
身体の震えが止まらなかった。
その恐怖から逃れるように、姉から手渡された本をギュッと胸に抱きしめる。
いまは、それが唯一自分の身を守ってくれるお守りに思えた――――。