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竜王の怒りⅡ


 動転する心を叱咤し、ミレーユは思考を巡らせた。


「そうだわ……。氷の術で鎮火させれば!」


 いまなら路傍の石でも広範囲で凍らせることができる。


 ミレーユは急いでしゃがみ込むと、術を込められるような石を探した。


 指で大量の落ち葉をかきわけ、どんな小さな石でもいいと目を凝らすも、焦っているせいか、枯葉と土ばかりで目当ての物は一向に見つけられない。


(どうしよう……装飾品はすべて外してしまったわ)


 宝石のついた耳飾りも腕輪も、自国のドレスには不釣り合いだと、着替えたさいにすべて置いてきてしまった。


 呆然としている間にも火は上がり、樹木の幹に達しようとしていた。


(このまま燃え広がれば、森を失ってしまう……)


 恐ろしい想像に血の気が引き、その場にへたり込んでしまう。


 視界を黒く染める煙の恐怖に、ミレーユの目に涙が滲む。


(少し戻れば祠があるけれど……、まさか国の大切なご神体を祭っている石祠に術をかけるわけには……)


 想像するだけで恐れ多さに震えがくる。


 何より、戻っている間にも火は広がるだろう。そうなれば、この辺りは見る影もなく燃え尽きてしまう。


 完全に八方塞がりの状態に眩暈がした。


(ダメよ、絶望している暇なんてないわ!)


 ミレーユは震える指を握りしめ、前を向く。土で汚れた指を、もう一度地面に手を伸ばす。


 枯れ葉に隠れているだけで、石は必ずある。

 幼いころから何度も森に出入りしてきたのだ。必ずあるという確信がミレーユにはあった。


(絶対に、森は失わせない……!)


 齧歯族にとって神域という理由だけではない。


 この森はヴルムと出会えた特別な地。


 ミレーユにとって、かけがえのない思い出の地なのだ。


 あのとき、ほんの少し時間がずれていたら、

 あの一瞬、音を気にせず祈りに集中していたら、


 ――――きっと、彼と出会うことはなかっただろう。


 奇跡を与えてくれたこの地を、ミレーユはわが身に代えてでも守らなければならなかった。


「あ……!」


 ふいに手にあたる硬い感触。

 急いで地面を掘り返すと、それは指先ほどの小石だった。


 ミレーユは瞬間的に、いま自分のなかにあるすべての魔力を石に注ぐ。

 石はすぐさま反応し、術が地面を薄氷で覆った。


 と、同時に。


 ――――ザァーと、大量の水滴が空から降り注いだ。


「え……?」


 水滴は薄氷では届かなかった高い木々にまで登った火を、みるみるうちに消火していった。


「……雨?」


 空は曇っているとはいえ、そんな兆候はなかったはず。


 これは、自然の雨ではない。そうでなければ、重い礫のような水滴が、自分には一切当たらず、ドレスも乾いたままなどありない。


(これは……)


「ミレーユ、無事か!?」

「――カインさま!」


 響く声に顔をあげた瞬間、まず目に飛び込んできたのは大きな翼だった。

 翼と言えど、鳥とはまったく異なる形状。

 顔を動かさなければ末端が視覚におさまらないほどの翼幅。


 なにより驚いたのは、その色だ。


 深紅に黒を一滴落としたかのような色合いは、どんな宝石よりも艶やかに煌めいており、太陽の光をもはじき返す。


(なんて……神秘的でお美しいの……)


 背から伸びやかな翼を広げ、地に降り立つ彼の姿に、ミレーユは現状すら忘れて見入った。


 けれど、カインが地に足をつけると同時に、光の渦を巻きこんで四方へ飛び散るように翼も消えてしまう。


 もっと見つめていたかった。できることなら、この手で触れてみたかった。


 さきほどまで抱いていた恐怖も忘れ、惜しむミレーユとは裏腹に、ヨルムたち一行は完全に硬直していた。


 彼が空から現れた瞬間、森で羽を休めていた鳥たちが一斉に羽ばたき、まるで脅え逃げ惑うように天へと走り去った。


 そのおびただしい数は一瞬にして大空を黒く染めるほどで、ひどく異様な光景だった。


 鳥たちの異常行動は、人へと進化したヨルムたちにも通ずるものがあった。


 空から降り立ったそれを見た瞬間の恐怖を一言で表すなら、――――『災厄』だろうか。


 人智を超えた力を前に、唖然としている彼らには一瞥もくれず、カインはすぐさまミレーユに手を差し伸べる。


「ケガはないか?」

「はい……。私は竜印のお力が守ってくださいましたから」


 手を借りて立ち上がると、ほほ笑んで返す。


(十年前と同じだわ……)


 どれほど不安に駆られても、カインが傍にいる。

 それだけで心が和らぐ。


 ミレーユの無事を確認したカインは「よかった……」と安堵のため息をつく。


 しかし、すぐに首を傾げ。


「なにも羽織らずに外に出ていたのか?」

「あ……、コートを持っていたのですが」


 火を消そうとして何度も打ち付けたコートは足元ですっかり黒焦げ、布切れと化していた。


 自国にいたときから大切に着ていたものだったが、ミレーユの手でも修復は不可能なありさまだ。


 残念だが、悔いはないと無残に焼けこげ小さくなってしまったコートを拾い上げようとして、そこでハッと気づく。


 カインが着ていたはずの、大量の魔力を封じる衣がいまは着衣されておらず、辺りを見回しても見当たらないことに。


「カイン様……、抑制の衣はどうされました?」

「ああ、翼を出すのに邪魔だと思って、どこかに捨ててきたな」


 何ということもないように、彼が言う。


「す、捨て……!?」

「すまない。君になにか羽織るものをもってくるべきだった」


 ミレーユの驚愕とはまったく別の心配をするカインに、慌てて叫んだ。


「いますぐ捜しに参りましょう!」


 当然の発言に、しかしカインは難色を示した。


「あの衣は初代竜王の力がこもっている。ミレーユに、他の男の魔力が混じったものなど羽織らせたくない」

「いえ、そうではなくて………」


 なぜ自分が着る前提なのだろう。


(いま心配すべきは、抑制の衣の所在です!)


 なんとか必死に伝えるも、彼はシレっとした顔を崩さず、なおも言う。


「あんなもの捜すより、城に戻ってミレーユの身体を温める方が先だ」


(あんなもの……? 抑制の衣は世界に一着しかない。初代竜王陛下の残した大切な遺産ですよね?!) 


 ドリスから聞いた話によると、衣一着には推定でも何千万という魔石が使われているとか。


 世界で唯一の宝をあんなものと吐き捨てるカインに、ミレーユは気が遠くなる。

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勘違い結婚
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