竜王の怒り
「……これは、ヨルム王子。ご無沙汰しております」
蛇を先祖とする有鱗族、スネーク国の王子の姿に、ミレーユは息を呑みつつ礼を取る。
妹の夫であるが彼が、なぜここに?
(エミリアを迎えに来たにしても、なぜ武装しているの……)
彼の身なりは鎧で固められており、出陣を思わせるものだった。
「皆様、本日はどのようなご用向きでしょうか?」
息を吸い込み、できるだけ冷静に問えば、ヨルムは嘲るような視線でミレーユを一瞥した。
「グリレス王から聞いたぞ。君がエミリアを監禁していると!」
「……は? お、お父様が、そのようなことを……?」
いったいどういうことだろう。
カインと直に話した父親が、そんな言い逃れを彼に伝えたなど信じたくなかった。
そもそもカインの話では、スネーク国にも書簡を送ったと聞いている。
「書簡? あんな偽造したもので僕が騙されるとでも。竜族の名を騙るなんて、お前も大それたことをしたな」
なぜか、彼はドレイク国からの書簡を偽造だと言い切ったが、竜族の封蝋はかなり精緻なもの。とても偽装できるような品ではない。
しかし、ヨルムは自信満々な態度を崩さなかった。
「あんな魔力もたいしたことがない優男が、竜族の使者のわけがないだろう。まぁ、書簡はうまく作ったようだな。父上はすぐに騙されていたが、僕は違う!」
こちらを指さすと、まるでお前の悪行は見抜いているとばかりに嘲笑う。ミレーユは唖然とした。
(それは……、その使者の方が、魔力封じの衣を着ていらっしゃったからでは……)
ヴルムもそうだった。初めて出会ったときは、まったく魔力を感知できず。その出で立ちから、森の妖精だと思ったほどだ。
実際は、魔力を封じる衣や小物を付け、それによって膨大な力を抑えていただけだという。彼ら竜族は、他国に赴く際はそういった配慮をするのだ。
その配慮を、ヨルムは『偽者であるため魔力が低い者』として勘違いしていた。
(これはどうご説明するべきかしら……カイン様にお会いいただく? いえ、それは……)
ヨルムが幼いときからミレーユに対し不遜な態度を取っていたことを、カインはルル経由で知っている。
二人が会うのはあまりよろしくないと、危険予知が警鐘を鳴らす。
どう説明するべきか頭を悩ませていると、ヨルムはとんでもないことを言い出した。
「お前が昔から僕のことを好いているのは知っている! だからといって、エミリアに嫉妬するあまり彼女を監禁するなんて、許すまじき行為だぞ!」
「……………………はい?」
咎められた言葉に、思わずミレーユの目が点になる。
(えっと……、それは……どういう??)
聞き間違いでなければ、自分が彼を好いている、と。そう言っただろうか?
なにがどうなってそんな結論に達したのか分からない。
当惑するミレーユをしり目に、ヨルムはなおも捲し立てた。
「まぁ、お前は昔から僕に従順だったし、側室くらいなら許してやろう。母上はエミリアよりも、お前を気に入っていたようだし」
「は、はぁ……?」
従順だったのは、ほんの少しのいざこざでも怒りを露わにし、開戦の狼煙を上げようとする隣国から自国を守るためであって、それ以上の気持ちなど一切ない。
(従順であることが、彼にとっては好意の形なのかしら?)
そうなると、自分の意見を主張し続け、嫁ぎ先に戻らなかったエミリアは、彼のことを好いていないということになるが、それはいいのだろうか。
「あの……何かお間違いかと存じます。エミリアを閉じ込めるようなことはしておりませんし、私は婚約中の身です。その方以外に心を惹かれることなどございません」
以前のミレーユなら王子に恥をかかせないため、できるだけ言葉を濁していただろう。
だが、今回はハッキリと否定した。
いまの自分は、カインに誓いをたてた身だ。
たとえ相手が勘違いしているだけだったとしても、そのまま捨て置くわけにはいかない。
はじめてヨルムに立てつくような発言をしたことに、心臓は緊張でばくばくと脈打つ。
けれど胸元に手を伸ばし、ドレスの上から竜印に触れると、不思議と潮が引くように気持ちが落ち着いた。
まるで心まで竜印に守られているようだ。
そんなミレーユの態度に、ヨルムは見るからに不機嫌を露わにした。
舌打ちすると、後ろの兵に何かを告げた。
(……なにを……?)
彼の好戦的な性格はイヤというほど知っている。
一言逆らっただけでも、敵意を向ける男に、ミレーユは不穏な空気を感じ取った。
最悪なことに、その通りとなったのは直後のことだ。
「おい、放て!」
短い命令に、兵はすぐさま弓を持ち。
ビュン! と風を切る音と共に、矢を放った。
しかもただの矢ではない。――――火矢だ。
さすがに王女であるミレーユに当てるつもりはなかったのだろう。火矢はミレーユより離れた場所に落ちた。
だが、ほっとすることはできなかった。
ヨルムは、ミレーユの大切なものをよく知っている。
自身に矢を当てられるよりも、もっと苦しむ方法を知っているのだ。
こんな草木の枯れた時季に火を放てばどうなるか。
そんなことは考えずとも分かる。
「――ッ!!」
ミレーユはすぐさま着ていたコートを脱ぎ取ると、打ち付けることで火を消そうと試みた。
しかし、乾いた大量の落ち葉が着火材となり、瞬く間に広がってしまう。
大地を焦がす火と、もくもくと立ち昇る黒い煙。
襲い来るそれらは、ミレーユにも牙をむいたが、
(熱くも、苦しくもない……)
竜印の力か。まるでシールドが張られているかのように、火も熱もすべてがミレーユの前では無効化された。
(けど、……私は無事でも……)
神聖な森が、このままでは焼き尽くされてしまう――――。