確執Ⅱ
❁❁❁
鳥が高く飛んでいる。
首を上げ、木々の間からその姿を捉えると、ミレーユは知らずほほ笑んでいた。
(国を離れていたのは、さほど長い期間ではなかったというのに、ずいぶん懐かしく感じるわ)
静かに佇み、その姿を見つめていると、鳥たちはいっせいにミレーユの傍により、肩や指に止まった。
カラフルな色合いの鳥たちは、動物が人へと進化したあとに生まれた生き物。
正式には後鳥と呼ばれる。
ミレーユたちは普段、何気なく鳥と呼ぶが、鳥綱族たちは後鳥と呼ぶのが一般的だった。
「ふふ、私のことを覚えていてくれたの?」
指に止まっていた琥珀色の鳥が、まるで返事をするように首を回す。
まだロベルトが城にいたときは、鳥に囲まれるミレーユを見て、「まるで誘鳥木だな」と笑っていたことを思い出す。
久しぶりに戻った母国は湿った風が冷気を纏い、芯から身体を冷やす。コートを羽織っていてもそれは同じで、ドレイク国とは温暖さがまったく違った。
それでも、やはり生まれ育った故郷は特別だ。
鳥たちに別れを告げると、ミレーユは足を急がせ、目的の場所に向かった。
(カイン様をお待たせしているし、急がなくちゃ)
着いた場所は、祭祀では必ず使用される祠。
本来、王族でもあまり祭祀以外では近づかない場所だが、ミレーユは頻繁に訪れていた。
ここは、ヴルムと出会った特別な場所だ。
なにかあればここに来て祈り、ヴルムとの思い出に浸った。
それが、ミレーユにとっての日常であり、大切な時間だった。
「そういえば、この祠も石なのね……」
祠は、大人一人が入るのがやっとの大きさの石祠。
ご神体はその奥の扉の中に祀られているらしいが詳しくは知らされていない。
ミレーユは石祠の中で膝をつくと、祈りを捧げた。
太陽への感謝、月への感謝、大地への感謝。
この世の森羅万象すべてに対する感謝を捧げるのだ。
そして、最後に――――。
「ありがとうございます……。私の願いを聞き届けてくださって。おかげで、またヴルムと再会することができました」
ヴルムに出会うまで、願い事はいつも国のことばかりだった。
ロベルトが留学してからは彼の健康も祈ったが、個人的な願いはしなかった。
それが、ヴルムに出会ってからは、どうしても最後にはこの願い――再会を願った。
願えば叶うと、本気で思っていたわけではない。
ただ、忘れたくなかった。記憶の中から消したくなかった。
父や臣下たちから夢でもみたのだろうと言われ、自分でもそうなのかもしれないと思うことは何度もあったが、ここに来るたびに思い出し。そして願ってしまうのだ。
一度だけでもいい、また会いたい、と……。
十年という、齧歯族には長い時間を願い続けたのだ。きっと、ご神体にもしつこいと思われていただろう。
謝罪を含めての感謝を捧げると、スッと立ち上がる。
「そろそろ戻らないと」
城で待つカインを、これ以上待たせるわけにはいかない。
しかし、石祠を出ると、森の空気に違和感を覚えた。
それが一体何なのか。正確には分からない。
ただ、良くないものが近づいているような、そんな気配がした。
(魔石に触れたあの日から、五感が鋭くなっているような気がするわ)
自分の指を見つめ、今までとは違う感覚に戸惑う。
だが、すぐに落ち葉や草を踏みしだく大勢の足音に気づき、はっと意識を向けた。
(神域である森には、祭事でもない限り民は近づかないはずよ)
ましてや土を踏み鳴らすような行歩などするはずがない。
ミレーユは用心深く辺りを探るが、木々が密集する森は木が邪魔をして遠目が利かない。
それでもしばらく歩くと、広く視界が開けた場所に出た。
(え……――?)
そこで目に入ったのは、スネーク国の軍勢。
数人などという数ではない、まるで戦でもするかのような――――。
「なんだ。やはり国に居たのではないか」
驚愕するミレーユの姿に気づき、一人が前に出る。
軽薄そうな笑みを浮かべるその男は、ミレーユもよく知る人物だった。
❁❁❁
客間だという部屋に案内されたカインは、自国に比べて粗末な椅子に座り、「はぁ」とつまらなそうにため息を吐いた。
ミレーユが傍にいないだけで、城の薄暗い圧迫感が増した気がする。
「そういえば、ミレーユの用事とは何だったんだ?」
「森にお祈りに行かれたんだと思います。姫さまの日課でしたから」
カインの呟きに、厨房から持ってきたという茶葉で紅茶を淹れていたルルが答える。
「森……それは私と一緒でもよかったのでは?」
「お祈りのときは、ルルもお留守番してましたよ。――――できました!」
淹れたての紅茶を掲げ、嬉々としてカインに手渡そうとする。
しかし、ルルはカップの中に満たされている茶をじっと見つめると、なぜか自分でコクコクと飲み干し始めた。
「……私に淹れてくれていたわけじゃないのか?」
とくに飲みたかったわけではないが、さきほど真剣な顔で「いまから、ルルは竜王さまにお茶をいれます!」と宣言したアレはなんだったのか。
思わず首をひねっていると、ルルは飲み干したカップを手に、こちらを向いて叫んだ。
「竜王さま、このお茶マズイです!」
「は?」
「ナイルさんに教わって、ルルも紅茶をおいしくいれられるようになったと思ったのに! これ、薄くて苦くてぜんぜんおいしくないです!」
「はぁ……?」
どうやらルルは喉が渇いていたのではなく、紅茶の色がまったく違うことが気になって飲んでしまったようだ。
ひどくショックを受けているルルに、カインも別のカップに茶を注いで一口飲んでみる。
「別に、不味くはないんじゃないか?」
「マズイですよ! この前、ナイルさんといれた紅茶と違いすぎます!」
「違うのは仕方ないだろう。茶葉が異なれば味も変わる」
「…………ちゃば?」
考えもしなかったのか、ルルが目をきょとんとさせた。
「ナイルが用意しているのは最高品質のものばかりだ。どれだけ淹れ方を精進しても、さすがに同じ味は無理だぞ」
カインの説明にやっと納得したルルが、今度は茶葉が入った缶を手に呟く。
「ルル、姫さまにいつもこんなマズくて苦いお茶をだしてたんですか……」
そこで、『マズくて苦い』から、あることを思い出したのか。
ルルはカインを見上げ、不思議そうに尋ねた。
「そういえば、さっきエミリアさまがおっしゃってた『ドクウツギの毒』って何のことですか?」
「――あ。飴玉を持っていたな。ルル、食べるか?」
「食べます!」
ルルは食い気味に両手を出し、飴玉を受け取った。
「あめ、おいしいですぅううう!」
苦い紅茶の味が残る舌には、甘いお菓子はより一層おいしく感じられたのだろう。
コロコロと満足そうに口の中で飴玉を転がすルルに、カインは心底ほっとした。
(ルルが単純で助かった)
「ふわぁ~」
飴玉に集中していたルルの頭の上で、惰眠を貪っていたけだまが欠伸をした。
けだまは、グリレス城の冷たくところどころ欠けた石床が気に入らなかったのか、一切自分の足では歩こうとせず、ずっとルルの頭の上にのっていた。
「お前……、そろそろ自分の足で歩けですよ」
天敵の存在を思い出したルルが悪態をつくと、けだまがピクリと耳を動かす。そして、スッと音もなく床に降り立った。その無駄のないしなやかな動きは、子猫ながら肉食獣を思わせた。
けだまはルルに背を向け、小さな四本の足をまっすぐに伸ばすと、
「フーッ!」
と、唸り声をあげた。
「なんですか!? なんでフーッてするんですか!?」
完全に子猫にビビっているルルは、すぐさまカインの後ろに隠れ、非難めいた泣き顔で叫ぶ。
けだまがいったい何に威嚇しているのか。さきに気づいたのはカインだった。
「……何か来るな」
「ふえぇ?」
「魔力はたいしたことがないが、あの辺りに大勢の気配を感じる」
カインが指さしたのは、窓から見える森林の一か所。
途端、ルルが不安そうな目でカインを見上げた。
「……あそこ、祠のある場所です。姫さまが向かった場所ですよ」
「ッ!」
ルルが言い終わる前に、カインは客間を飛び出した。