確執
十年ぶりに見る父の顔には、驚愕と恐れが浮かんでいた。
どうやら、息子とはよほど会いたくなかったようだ。
(それもそうだろうな。自分の行いを理解していれば……)
ロベルトは内心鼻で笑いながら、憮然とした態度で王座へと進んだ。
周りの臣下たちが、長らく留守にしていた長子の姿にハッとする。
幼い少年が青年へと成長しても、王妃の面影と、妹姫であるミレーユに似た面差し。
わざわざ名を名乗らずとも、自分が誰か推測できたのだろう。
「お久しぶりです、父上。しばらく見ぬうちに、随分と静かな城になったものですね。召使いもかなり減ったようで」
皮肉を口にすると、父の顔が憎々し気に醜く歪む。ロベルトは構わず続けた。
「当然ですね。給金も支払わぬろくでもない雇い主のもとで働くなど、私でも御免蒙る」
金がなかったはずはない。ドレイク国から支払われた莫大な婚資金があったはずだ。だというのに、滞った支払いと王の傍若無人さに多くの使用人たちは耐えきれなくなり辞めていた。
さすがに王座の間には数名の兵が配備されていたが、大手門には一人の守兵もいなかった。
「いままで間に入っていたミレーユを失った途端、このありさまですか」
「私の命に背き、持ち場を離れたお前がなにを偉そうに! いますぐに北の要塞に戻れっ。敵にでも攻め込まれたら、お前の責任だぞ!」
「ご安心ください。あちらには私などでは足元にも及ばない、とても優秀で素晴らしい人材が派遣されておりますので」
「なに!?」
「竜族の屈強な兵が五名。私が北の要塞を離れる間、代わりにと派遣して下さったお方がいらっしゃいましてね。おかげで久しぶりに妹に会うことができました。まさか、あれが婚約していたとは知りませんでしたが」
「…………」
顔が引き攣ったのがすぐに分かった。臣下たちも一様に目を見開く。
なぜロベルトがいまここにいるのか、やっと理解したようだ。
「ミレーユもそうですが、エミリアも結婚したそうですね。こちらも後で聞きましたが、相手は世界の理の意味すら理解せず、ただ強者は弱者をいたずらに嬲っていいと勘違いしているうつけを選んだとか。父上の人を見る目の無さには、ほとほと愛想がつきました」
「お、お、お前はっ、帰ってきて早々、この私を侮辱するのか!」
喚く父に、ロベルトの目がスッと吊り上がる。
「侮辱したくもなりますよ。よもや、神の種族といわれるお方を謀ろうとしたなどと聞けば!」
ドレイク国の客間にすら遠く及ばない質素な王座の間に、ロベルトの一喝が響く。
「貴方は、お前たちは、これがどれほどの大罪か分かっているんだろうな!?」
父と臣下たちを鋭い瞳で睨みつけると、全員が身を竦めた。
もともと齧歯族の中でも高かったロベルトの魔力は、北の要塞でより磨かれ、研ぎ澄まされていた。その力は、近隣諸国の王族にも劣っていない。
努力など欠片もせず、怠惰を極めた臣下たちは恐れおののきながら、それでも反論した、
「あの件につきましては、竜王陛下直々にお許しをいただいて……」
「条件も満たさず、許しだけもらったという認識なのか? なぜエミリアをスネーク国に送り返さなかった。条件の一つだったはずだ」
「それは、ご本人が大層嫌がりまして……」
「だからなんだ。自分がした不始末だ。自分で取らせろ」
「で、ですが……、エミリア様は聖女でいらっしゃいますし……」
厳しく責めれば、答えに窮した顔でもごもごと言いよどむ。
「呆れたな。指一本で国を滅する力を持たれる方を敵に回した自覚がないのか。それとも、お前たちもエミリア同様、ミレーユがどうにかしてくれるとでも思っていたのか?」
当て擦りで放った言葉に、臣下が黙る。
(なぜどいつもこいつも、ミレーユに頼ってばかりなんだ!)
散々ないがしろにしてきた娘に、なぜそうも図々しく縋れるのか理解に苦しむ。
憎々し気に舌打ちし、そこでハタと気づいた。
(そうだった……母上が存命中も、すべての公務の指揮は母上がとっていた。それでか……)
もともと王家の血を引くだけで、目の前の男には国を動かすだけの裁量がない。
すべては母の手によって行われ、彼女の亡き後は、彼女についていた臣下たちがそれを担っていた。
しかしこの男は諌言を厭い、彼らを排除したのだ。
少なからず残った者たちも、王の横暴に耐えきれず自ら退いた。
その結果が、いまの甘言ばかりを吐く者だけで構成された無能者の集まりだ。
国を治めるなど、土台無理な話。
そして、その尻拭いは――――。
「すべてミレーユにやらせていたのか」
ミレーユがライナス商会からの仕事を嬉々として請け負っていたのも、国の財務を知り尽くしていたからなのだろう。
「そんな体たらくで、よくミレーユを不当に扱えたものだな」
考えていた以上に妹が国を支えていた事実に、ロベルトは片眼を覆った。ミレーユがいなければ、クーデターを起こす前に国が滅んでいた。
(この男の愚かさは分かっていたつもりだったが……。くそっ、十年前にもっと俺に力があれば!)
あのときは啖呵を切り、脅しをかけることしかできなかった。
妹の婚約者と違い、力のない自分を恨めしく思いながらも、ギリっと奥歯を噛みしめ耐える。
「もっと早く、あんたを玉座から引きずり落とすべきだったよ」
「うるさい! 口を慎めっ、この痴れ者が!」
「慎むのはそちらだろう。いま、あんたの命はミレーユの慈悲の上にあることを忘れるな」
「慈悲だと!? いつあれが私よりも偉くなったっ。私は王だぞ!」
「齧歯族の王と、竜王の花嫁。どちらに価値を置くかなど子供でも分かるだろう」
せせら笑いを浮かべて言えば、泡沫を飛ばし男が叫ぶ。
「そんなものは認めん! 認めんぞ!」
王座を立ち、喚き散らす姿はまるで子供の癇癪だ。
見るに堪えない姿にロベルトが辟易していると、彼は突然狂ったように笑い出した。
「やはり、ミレーユは凶兆だったのだ! 生まれたあの日、殺しておくべきだった!」
「ふざけたことを……ッ」
怒りを露わにするロベルトに、男はなおも言い被せる。
「少しは役に立つかと生かしてやったというのにっ。私をないがしろにする存在ならもういらん! あの娘が愛したものもすべていらん! 消えてなくなればいいのだ!」
早口でまくし立てる男の瞳は、すでに狂気に濁っていた。
「この国も、民も、森も――――蛇どもにくれてやればいい!」
(蛇? まさか……)
嫌な予感に、ロベルトは血の気が引いた。