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希求Ⅳ

 

 なぜか顔色の悪いエミリアの様子に、慣れ親しんだ暗くじめついた回廊を隣で歩いていたミレーユは足を止めた。


「まだ手が痛むの?」


 声をかけるも、「姉様にわたくしの気持ちなんて分からないわ……」と恨めしげな瞳でにらまれてしまう。


(先ほどは心が通ったように感じたけれど、あれは私だけの錯覚だったのかしら……)


 少し落ち込むと、その様子を見たカインが、あからさまな威圧をエミリアに向けた。


「ひっ!」


 エミリアは小さく悲鳴をあげると、そそくさとミレーユを壁にした。


 ミレーユへの暴言を、彼がまったく許していないことは一目瞭然だった。


 後ろを歩いていたロベルトは、その様子を少し呆れながら見つめていたが、足が王座の間に近づくと、徐々に表情が変化した。


 眉はつり上がり、瞳が剣吞な色を帯びる。


「ミレーユ、急遽あちらに赴くことになったんだ。ろくに荷造りもしていなかっただろう」

「お兄様……?」

「ルル、お前はカイン様を客間に案内しなさい」


 もう少しで父のいる王座の間に到着するというところで、ロベルトがおもむろに命じた。


 まさかここまで来て、蚊帳の外に置かれるなど思ってもいなかったミレーユは、慌てて言い返す。


「いいえ。私も参ります!」


 強く宣言するも、ロベルトは首を横に振る。


「お前が一番気にしていたのはエミリアのことだろう。なら、もう願いは叶ったはずだ」

「ですが……」


 なおも言い募ろうとするミレーユに、冷たい声が落ちる。


「――正直に言おう。父上との話し合い、お前には立ち会ってほしくない」


 ハッキリと告げられ、大きく目を瞠る。


「それほど私は頼りないということでしょうか?」

「違う! ……ただ、お前には見られたくないだけだ」


 なにを? と問おうとして見上げれば、そこにはロベルトの苦痛そうな瞳があった。


 ひどく嫌な予感がして、ミレーユは唇を閉じる。


「もし、俺が父上の首をはねたとして、お前に耐えられるのか?」

「!?」

「本来、竜族の方々を謀った時点でそうなってもおかしくなかった。カイン様がそれを許したのは、お前への配慮ゆえだ」

「…………」


 それは痛いほどに理解している。


 竜族を謀ったというのに、目に見える罰は与えず、警告だけで留めてくれたことも。


 自分に心理的負担をかけまいと、エミリアや父の言動をあえて伝えようとはしなかったことも。


 俯き唇を噛むミレーユに、ロベルトは続けた。


「だが、俺は違う――」


 断ち切るような強い口調だった。


 ミレーユは驚いて、小さく「お兄様」と呟くも、それ以上の言葉が出てこない。


 驚愕と動揺が入り交じった瞳で見つめと、彼は冷笑を浮かべた。


「俺が父上を恨んでいないと思っていたか? 常に死と隣り合わせの場所に送られ、系譜から消されてなお、あの男を父として愛しているとでも?」


 北の要塞での生活を、ロベルトはここまでの道中も多くは語らなかった。


 それでも、どんな場所かは聞き及んでいる。


 息すら結晶化する氷の地獄。

 外に少しいるだけでまつ毛は凍り。

 皮膚を外気にさらせば寒さを通り越し痛みを伴う。

 乾燥した空気は喉や気管支の潤いを奪い、空咳を引き起こし、身体を苛んでいく。


 国を守るため、いままでも多くの若者が送られたが、任務期間を終えて無事に戻ってくる者は少ない。


 ある者は言う。


 あの場所の空気は火だ。ほんの少し素肌が触れるだけで、熱く強い痛みが走る。


 氷の大地は、火の大地でもある――――、と。


(そんな場所で、お兄様は十年も……)


 部屋を暖めるための燃料も多くはなかったはずだ。


 彼が言う、死と隣り合わせの場所というのは、けっして大げさな表現ではない。


 なによりロベルトはカインの回復魔術がなければ右腕を失っていた。


「…………分かりました」


 横に寄り添ってくれるカインがいなければ、声が震えていただろう。


「私は席をはずしましょう。お兄様の……次期王として国を支える方のお心を信じております」


 結果がどうあろうと。すべてを受け入れる覚悟で、ミレーユは真正面から兄を見つめた。


 それがいまの自分にできる精一杯だった。






 エミリアだけを連れ、ロベルトは王座の間へと行ってしまった。

 じっとその方角を見つめ動けないミレーユに、カインはそっと声をかけた。


「ロベルトのことが心配なら、私も共に行こうか?」


 竜王であるカインがロベルトの傍にいれば、確かに百人力だろう。


 そんな風に優しく気遣ってくれる婚約者に、けれどミレーユは無理やりでも笑みを作り、首を振った。


「きっと大丈夫です。兄は、母からの教えを一番受け継いでいますから。……それに、今回の件で兄の取る手が簒奪という形になってしまったとしても。それは兄一人の責任ではありません。私たち、王族の責任です」

「ミレーユ……」

「そうさせてしまった原因を作り、放置し、今日まで来てしまったのは私たちですから」


 王家に生まれた娘らしい潔さだった。


 第一位王女といっても実際はなんの権限も無く、悔しい思いもしただろうに。


 そんなことはおくびにも出さず、当然のように責任は負おうとするミレーユの姿勢に、カインはしみじみと考える。


(やはり、根本的に竜族とは考えが違うんだな……)


 国という体制は取っているが、基本的に竜族は個人主義だ。


 己の責任はすべて己が取る。他者の責任など負わない。

 なぜなら、それを必要としないだけの力があるから――。


 だが、価値観が違うからといってミレーユの想いが不自然だとは思わなかった。

 出会ったときと変わらぬ彼女の信念が、そこにはあるのだろう。

 否定することなど、例え傲慢な竜とてできない。


「いつまでもこんなところでお待たせしてしまって申し訳ありません。すぐに支度してまいります。どうぞ客間でお待ちください。貴国と違い、とても狭くて暗いですけど。――――あ」


 なにかを思い出したように、ミレーユが口元に手をあてた。


「どうした?」

「いえ……。帰郷したら、しなければならなかったことを一つ思い出しまして。すぐに戻りますので、そちらのお時間もいただいてよろしいですか?」

「ああ、もちろん」


 こころよい返事を貰えたことに、母国に戻って以来、ずっと緊張の面持ちだったミレーユの頬に、やっといつもの笑顔が戻った。

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勘違い結婚
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