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希求Ⅲ


 認めたくないエミリアは何度も術を試みる。


 必死な形相の妹に、ミレーユは手を伸ばし、そっと頸動脈に触れた。


 火傷で負った痛みで我に返ったエミリアは、さきほどなにを口走ったかを思い出し、ミレーユの指にビクリと身体を震わせるも、払いのけることはしなかった。


「……脈が速いわ。それに呼吸も乱れて、足元がふらついている」


 額には汗が滲み、指先は緊張のためか氷のように冷たくなっていた。


 ミレーユは有無を言わせぬ動きでエミリアを椅子に座らせると、ドレスのポケットから貝殻を取り出した。中にはクリーム状の塗り薬が入っており、人差し指ですくい上げると、エミリアの赤くはれた手の甲に優しく塗りひろげた。


「…………」

「カミツレを塗り薬にしたものよ。火傷によく効くわ。このお薬は、お母様に教わったものなの。エミリアには、まだ教えていなかったわよね?」


 薬を塗り終わると、今度はハンカチで手の甲を巻く。慣れた手際で手当てをする姉の姿を、エミリアはまるでつきものが落ちたかのようにジッと見つめていた。


 すっかり大人しくなってしまったエミリアに、ミレーユはまっすぐに視線を合わせ、柔らかな声で告げた。


「エミリア、私は貴女を憎んだことなど一度だってないわ。過去も、未来もよ。……でも、距離を取っていたのは事実だわ」


 後悔を滲ませた声が、静まり返った室内に響く。


「お父様に止められていたからだけではなく、私自身が貴女に引け目を感じていたの。貴女は生まれたときから特別だったから……」


 甘い言葉はエミリアをつけあがらせるだけだ。


 そう思わせるだけの言動をしてきたエミリアだったが、意外にも肯定することも、ミレーユに牙を向けることもなかった。


 ただ呆然と、包帯の巻かれた自分の左手に視線を落としていた。


「でも、それは私がそう思い込んでいただけで……。貴女はアルビノ種だから特別なわけでも、癒しの力が使えるから偉大なわけでもなかった。貴女は、お母様が命を懸けてでも、この世界に生まれてくることを願った大切な子。――大切な妹だったから、特別だったのよ」

「――っ」


 まるで幼い少女に言い聞かせるような、優しい声だった。


「ずっと思い違いをしていたわ。そのことで貴女の心を閉ざさせてしまったのなら、それは私の責任よ。……もっと寄り添ってあげるべきだった」


 齧歯族にはよくある漆黒の瞳が、静かな夜のように穏やかにこちらを見つめている。


 姉の声をちゃんと聴いたのは、いつぶりだろう。


 姉の話を聴こうとしたことが、自分にあっただろうか。

 あるはずがなかった。だって、最初に耳を閉じたのは、自分だったのだから。


 気づけば椅子から立ち上がり、ボロボロと涙を零していた。


「って……ない。……思ってないわ。本当に、死んでしまえばよかったなんてっ……思ってないっ」


 嗚咽を堪えきれず、声をもらすエミリアの細い肩を、ミレーユはそっと抱きしめた。


「分かっているわ。エミリアは昔から切羽詰まると、自分を追い詰めることばかり言っていたでしょう。なんとかしようと焦って、本心とは違うことを言ってしまう癖があるわよね」


 ドレイク国でやたらと挑発的だったのも、自国とは違う規模の大きさに圧倒され、怯んでいたからだろう。どれだけ自国で聖女の君ともてはやされても、実際は力の弱い齧歯族の娘だ。

 

 ミレーユを攻撃することで自我を保とうとしていたのだと、いまなら分かる。


「ちゃんと貴女を見ていれば分かることだったのに、気づいてあげられなかったわ……。ドクウツギのこともそうよ。今度はエミリアがイヤだと言っても、何度だって教えるわ。お父様がどれだけお叱りになっても、ちゃんと」


 泣きじゃくり、涙で濡れた頬を手で優しく包み込みながら、ミレーユが優しく笑う。


「お母様が教えてくださったのは、植物のことだけじゃないわ。それを使った薬の作り方も教えてくれたの。癒しの力で補えないのなら、そういったものに頼るのも悪いことではないはずよ」


 そう言って、手の甲に塗った薬を手渡す。


 エミリアは素直に「はい……」と返事をして受け取るも、瞳はミレーユではなく、ルルに向いていた。


「……さっき、大切な妹だから特別だって言っていたけれど――――あの侍女よりも?」


 そういってルルを指さす。


「え……、ルルは……」


 そんなことを問われるとは思っていなかったミレーユが言いよどむと、ルルはシレッとした顔で。


「ルルは別に姫さまの特別じゃなくてもいいですよ。特別じゃないとイヤだなんて、そんな子供じみたことルルは言わないですから」


 そういって、フンと顔をそむけた。


「わ、わたくしが子供だと言いたいの!? 下女の分際で無礼な!」


 またいっきに不穏な空気に逆戻りしたことに慌てたミレーユが、すぐさま間に入る。


「なによっ、やっぱり特別だなんて嘘じゃない!」

「嘘じゃないわ。エミリアに渡そうと思って、これも用意したの」


 ルルに敵意を向けるエミリアの気を散らすためにも、ミレーユは一冊の本を取り出した。


 はい、と差し出された本に、エミリアは首を傾げる。


「……これは?」

「口頭だけでは伝わらないこともあるでしょう。だから、書き留めてみたの。これを全部覚えれば、もう植物のことで間違ったりしないわ」


 そう言って手渡される一冊の厚みに、エミリアの表情が固まる。


「……これ……全部?」

「ええ。今回は時間がなかったから、一晩で仕上げたものだけど」


 それでも、ナイルやドリス、ローラにも力を借りて出来上がった一冊だ。

 内容はかなり濃いものになったと豪語できる。


「毒といってもいろいろあって、こちらの根っこは薬にもなる貴重なものなの。うちの国では自生していないけれど、西の大陸ではよく飲み薬に使用されるそうよ。それで、こちらが――」


 嬉しそうに一つ一つを紹介するミレーユに、エミリアは口を開いたまま固まった。


 一枚一枚にびっしりと詳細に書かれた小さな文字。

 花や木の形状も絵で描かれ分かりやすく記載されているとはいえ、あまりに情報量が多すぎる。


 その本の厚みたるや、一撃で撲殺できそうなほどだ。覚えられる気が全くしない。


「こ、こんなに覚えられないわ……」

「大丈夫よ。エミリアは頭がいいもの!」


 笑顔で確信され、エミリアは目を白黒させた。


 まさかこの姉は、自分にできることは聖女たる妹ならすぐにできてしまうと勘違いしているのではないだろうか?


 嫌みでも嫌がらせでもなく。本気でそう思っている節のある姉から逃げるように目線を上げれば、兄と、姉の婚約者と目が合った。


 その目は、「やれ」という無言の圧を放っていた。


 拒否の返事は許さないとばかりの厳しい視線に、ゴクリと唾を呑む。


「はい……覚えます……」


 エミリアはただ黙って、分厚い本を受け取るしかなかった。

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勘違い結婚
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