弱者の覚醒
「ドリスさん……、これは一体?」
検証のために用意された部屋に通された途端、ミレーユの目に飛び込んできたのはテーブルに並ぶ宝石の数々だった。
ダイヤ、ガーネット、サファイア、オパール、真珠。その数は軽く三十を超えている。
圧巻の輝きが放たれれば放たれるだけ、ミレーユの顔色は反対に色を失った。
「いかがでしょう? 厳選に厳選を重ねたラインナップですわ!」
「……厳選が行き過ぎてはいませんか?」
美しい光彩もさることながら、驚くべきはその大きさだ。
よもやこの世に自分の手のひらサイズのダイヤが存在しているなど、今日このときまで知らなかった。
そして、その数ある宝石の極めつきが虹石。
こちらはミレーユの自室にある砂時計のような丸い加工ではなく、雫のようなつゆ形だ。
戦争の引き金となるほどの希少な宝石が、黒のビロードが張られた箱の中に無造作に置かれている。
ミレーユは己の価値観を捨て、ただ無になろうとした。
そう、その方がきっと精神の安寧が得られるはず……。
自己防衛の一種が作動したミレーユの横で、ルルが屈みこみ、ブルーサファイアを見つめながらうっとりと呟く。
「おいしそうですぅ……」
どうやら飴玉を連想しているようだ。
この状況に怖気ついているのが自分一人だという事実に、ミレーユは遠くを見つめた。
ロベルトがいれば同じ心境を味わってくれそうな気がしたが、カインと会談している兄に、いまさら来てほしいなどと言えるはずもない。
「さぁ、ミレーユ様! どの石から始めましょうか!?」
準備を整えたドリスが、嬉々とした笑顔で問う。とっても楽しそうだ。
「あの、私が術を込めるものは、石は石でも宝石ではなく、道に転がっている石の方で……」
「こちらの石では不向きでしたか!?」
「ど、どうでしょう……? 宝石に術を込めたことがないので」
「岩石がよろしいのであれば。――ああ、この柱などいかがです?」
「え?」
ドリスが部屋の端に立つ円柱を指さし、事も無げに言う。
これに、ナイルも賛同した。
「そうですね。これは飾り柱ですので、無くなったところで構造上とくに問題はありません。どれほど砕きましょう?」
「ナイルさん!?」
芸術的な彫刻がなされた円柱を、いままさに壊さんとするナイルを、ミレーユは必死になって止めた。
「蔓を巻く彫刻が優美で素晴らしい柱ですね! とても気に入ってしまいました!」
「まぁ! ミレーユ様がお気に召されたとあっては、大事にしなければなりませんね」
右手から放とうとした風の術を取りやめ、ナイルはすぐさま他の女官に柱の念入りな掃除を言い付ける。
(……少しだけ、ナイルさんへのお願いの仕方が分かってきたような気がするわ)
心臓には悪いが、とにかく柱を守ることができたことに安堵する。
「うーん。でしたら、あちらはどうでしょう?」
ドリスが次に狙いを定めたのは、奥の間に飾られた聖杯の石像だった。
「!? ……ドリスさん、やはりこちらの宝石で試しましょう!」
どうあっても高価なものを選んでしまうドリスに、ミレーユは覚悟を決めた。
彫刻の方が宝石よりは価格としては低いかもしれないが、いままで術を込めたからといって石が砕けたことはない。
だが、柱も石像もこのままでは破壊されてしまう。それだけは食い止めたかった。
「……では、端から力を込めていきますね」
できるだけ高価な石を外して始めたかったのだが、高価でない石がそもそも置かれていないため、ミレーユは右端から魔力を込めることにした。
あわよくば、一番左に置かれている虹石に行き着く前に、この実験が中止になってくれないだろうかと、ひそかな期待をよせて――――。
一刻後、すべての石に術を込めたミレーユは憔悴しきっていた。
それは力の放出が原因ではない。
主な原因は、精神的ダメージ。
結局、虹石にまで術を込めることとなり、そのプレッシャーに心の方が摩耗してしまったのだ。
虹石に対する価値観がまったく異なるナイルとドリスには、ミレーユの葛藤は伝わらなかったようで、二人は物珍し気に術の込められた宝石を手に取っている。
「本当に魔石でなくともお力を込められることができるのですね」
耳たぶサイズのサファイアを手に、うっとりとドリスがひとりごちる。
「念のためにと余分に用意いたしましたが、三十はある宝石すべてに魔力を込めても、魔力切れを起こされていないなんて。本当に素晴らしいですわ」
「すべてに込める必要はなかったのですか!?」
それは早く言ってほしかった。せめて、虹石に術を込める前に。
「進捗はどうだ。無理はしていないか?」
そこに現れたのは、カインとロベルトだった。様子を見に来てくれたようだ。
ロベルトはテーブルに並ぶ宝石の数々に気づくと、ぎょっと目を見開いた。
(お気持ちは分かります……)
宝石などには見向きもせず、ミレーユの体調だけを気遣ってくれるカインの優しさもありがたいが、唯一同じ反応を示してくれる兄の存在もまたミレーユの心を救った。