再会Ⅱ
「少し患っただけだ。こんなもの――」
「腐敗しているな」
たいしたことではないと告げようとするも、カインによって途中で遮られてしまう。
「腐敗? ……まさか、凍傷ですか?!」
制止する間もなく、ミレーユはロベルトの袖をめくりあげた。
薄手の手袋で隠していたとはいえ、肘にまで到達していた患部は袖をあげればすぐに見つかってしまう。
皮膚色を失い、黒く濁った患部に目をやった途端、ミレーユの顔から血の気が失せた。
「そんな……」
震える声は、すでに右腕がその機能を失っていることに気づいていた。
「……カイン様からお聞きしました。お兄様が、ずっと北の要塞にいらっしゃったこと……。なぜですか? 留学されていたのではないのですか?!」
「あそこは軍事境界線だ。実践を学ぶのに、これほど適した場所はない」
どう聞いてもただの詭弁だ。けれどミレーユは言い返すことなく。
ただ、ロベルトの右腕に取りすがって、静かに大粒の涙を流した。
ぽたぽたと絨毯に落ちる涙の音が、その深い悲しみを物語っていた。
ロベルトは左手で眉間を押さえ、天を仰ぐ。
(ああ、やはりこうなったか……)
❁❁❁
長らく会えなかった兄との再会に水をささぬよう、発言を控えていたカインだったが、ロベルトの右手を放そうとしないミレーユの姿に、胸の内にほの暗い衝動が湧き上がった。
(近い!! 実兄とはいえ、近すぎる!)
ミレーユの方から手を握っているのも気に入らない。
「よし、邪魔するか」
カインは大人げなく呟くと一歩踏み出す。が、
「この状況で、よくミレーユ様の兄君にまで嫉妬の目を向けられますね。その嫉妬深さにはもはや敬服いたします」
いつの間にか、後ろにナイルが控えていた。
盛大な皮肉と共に、凍てつく瞳がカインに向けられる。思わず踏み出した足が半歩下がった。
「ナイル……いたのか」
「お茶の準備が整いましたので、ご案内に参りました。ですがその前に、ローラを召喚いたしましょうか?」
「いや。あの程度なら、ローラでなくとも」
カインは、妹の涙に困り果てているロベルトの前まで進むと、パチンと指を鳴らした。
その音と共に、ロベルトの右腕を、七色の光の粒子が包み込む。
「――ッ!?」
「きれい……」
息を呑むロベルトの横で、ミレーユが思わずつぶやく。
まぶたの裏に焼きつくようなまばゆい光は、虹石に似ていた。
光は一瞬で飛散し、虹のように跡形もなく消えてしまうが、その美しい光景はミレーユの流れる涙を止めた。
「……腕が……、動く……?」
光の消滅と同時に、右腕が自分の意思のままに動くことに気づいたロベルトが、驚愕の声を漏らす。
それは久しぶりの感覚だった。麻痺するまではあった痛みや、灼熱感もない正常さ。
すぐに袖をめくり手袋をはずせば、黒と緑に混ざった痛々しい壊死のあとは一切なく。血管が浮き出た健康的な男性の腕がそこにはあった。
寛解どころか完治したことに、身体よりも脳がついていかず、呆然と立ち尽くすロベルトの横で、ミレーユはすぐにそれが誰の力によってもたらされたものか気づく。
「っ、ありがとうございます、カイン様!」
涙で濡れた瞳を細め、頬を伝っていた雫を手でおさえながらも感謝を告げる。
声には喜びと敬慕が込められていた。
「これは……、ミレーユからの好感度があがったか!?」
自分の思い違いだけではないはずだと、思わずナイルに確認する。
「よくこの状況で、そこまでご自分の欲に忠実になれますね。その欲深さには感服いたします」
またもやナイルの皮肉が飛ぶが、聞いちゃいなかった。
思いがけずあげることができたミレーユからの好感度。
どんどん押し上げていきたいと、握りこぶしに力を込める。
「これは……、竜王陛下のお力なのですか? なんとお礼を申し上げてよいか」
いまだ夢か現かという表情ながら、ロベルトが膝をついて謝意を述べる。
と、同時に、バンッと破壊する勢いで扉が開かれ、ドリスがいつにもましてテンション高めに現れた。
「ミレーユ様、お迎えに参りましたわ! さぁ、一緒に参りましょう!」
「え? お迎え?……あっ!」
ミレーユははっと思い出した。今日が、ドリスとした約束の日だったことを。
ロベルトのことが気がかりで、うっかり忘れてしまっていた。
困った表情を浮かべるミレーユに、普段研究となると視野狭窄に陥るドリスも、なにかおかしいと気づいたようだ。
ミレーユの傍らに立つロベルトの存在に気づき、「あら」と小さく声をあげる。
「これは大変失礼いたしました。客人がいらっしゃいましたか」
「ドリス……貴女は……」
ナイルが片手で片目を覆う。声には呆れと怒りが滲んでいた。
「せめて部屋で待機するくらいできなかったのですか?」
「ミレーユ様との術の検証の日ですよ! 心を躍らせるあまり、周りなどなにも見えませんわ!」
「貴女の欲念の強さはカイン様と並びますね!」
ロベルトは竜王の前で言い争う二人の女性にしり込みしつつ、小声でミレーユに問いかけた。
「術の検証とは、なんの話だ?」
「はい。実は……」
ミレーユも小声で経緯を話す。
「それは素晴らしい経験をさせてもらえる機会じゃないか。俺のことはいいから行きなさい」
「ですが、お兄様……」
「しばらくはこちらに滞在させていただくことになっている。話はいつでもできるだろう。その間、竜王陛下とお話をさせていただく。――――カイン様、よろしいでしょうか?」
ロベルトはカインに視線を合わせると、ゆっくりと伺いを立てた。
彼の意図に気づいたカインは頷き、ミレーユにほほ笑む。
「ああ、もちろん。君の兄上は、責任をもって私がもてなそう。心配せずに行っておいで。……でも、無理はしないように」
最後をやたらと強調した。
もちろん、ドリスにも念を押すことを忘れずに。




