再会
ロベルトが通された場所は王座の間ではなく、歓待の間といわれる、親しい客人を迎え入れる部屋だった。
ここまで案内してくれた使者は「こちらの部屋では、堅苦しい挨拶はすべて省略されます。どうぞくつろぎながらお待ちください」と告げるなり、姿を消した。
「くつろげと言われても……」
見上げれば巨大な天井画とシャンデリア。壁にかけられている総金糸のタペストリーは、目を刺すほどに眩しい。棚には、宝石で彩られた銀の調度品が目に入る。
「どう、くつろげと?」
思わず本音が零れた。
純白と金糸で施された緻密な花刺繍が浮かぶベルベットの長椅子を見つめ、ロベルトは立ち尽くす。とても座る気になれない。
この長椅子一つで、北の要塞の数十年分の食料と燃料費がまかなえそうだ。
そんなことを計算していると、扉の開閉音がした。
大きな扉から現れたのは、採光をあびて輝く金髪と、深紅の瞳が太陽神を彷彿とさせる美丈夫だった。
誰に紹介されずとも、一目で彼がこの大国の王、竜王だと分かった。
(魔力に、圧倒される……)
立ち昇るような魔力は、ロベルトに地下に眠るマグマを連想させた。
(すぐさま膝を折り、礼を取るべきなのに、身体が動かない……っ)
彼が放っているのは威圧でない。けれど足は竦み、硬直した身体が小刻みに震える。
「こちらから呼び立てておきながら待たせてしまってすまない」
親しげな仕草で手を差し出される。それに対してもうまく応じられずにいるも、彼は機嫌を損ねることもなく、ひとり言のように呟いた。
「なるほど。顔立ちがミレーユに似ているな」
懐かしい妹の名に、緊張のあまり痺れすら起こしていた身体が弛緩する。
ロベルトの髪は、ミレーユと同じ灰褐色。瞳も黒く、幼いときはよく似た顔立ちだと言われていた。
「あの、妹が……」
「――お兄様!」
本当に、こんな絢爛豪華な国にいるのかと問おうとしたとき、自分の名を強く呼ぶ声があった。
「ミレーユ……」
豪華な衣装に身を包んでいても、すぐに妹だと分かった。
亡き母に似た面差しと、微かに感じる懐かしい魔力はあの頃のままだった。
「……久しいな」
妹の健やかな姿に、緊張した面持ちだったロベルトの表情がはじめてやわらいだ。
「っ、ご無事でなによりでございました……!」
目尻に涙をため、声を震わせるミレーユに、ロベルトは揶揄するように言った。
「なんだ、その顔は。死んだとでも思っていたのか?」
「い……いえ、ただ何度も手紙を出しましたが、お返事がなかったので。その……心配しておりました」
「手紙? ……そうか。やはり届かなかったか。大方、父上が握り潰したんだろう」
ひゅっと、ミレーユが息を呑む。
なんのために? そう訝っている表情だった。
ロベルトはそれには答えず、竜王へと向き直ると、恭しく頭を下げた。
「挨拶もせず、大変ご無礼をいたしました。お初にお目にかかります、ロベルト・グリレスでございます。この度はご拝顔の栄に浴し、恐悦に存じます」
「カイン・ドレイクだ。カインでいい。貴方は私にとっては義兄になるわけだし、堅苦しいのは抜きにしてほしい」
当たり前のように、彼はロベルトを義兄と呼んだ。
事前に使者から丁寧な説明を受けていたが、竜王の口から聞くと威力が違う。
(本当にミレーユと……? 天と地ほどの種族差を、この方は気にされていないのか?)
率直な疑問が溢れるが、対面の場が王座ではなく、客間であること。
そしてなにより、安堵に涙を流すミレーユに、すかさずハンカチを差し出している彼の姿は慈愛に満ちていた。
とはいえ、二人が結婚することと、自分が義兄として振る舞うことは別の話だ。
「過分なお言葉を頂戴し、大変恐縮でございます。ですが――」
どんな縁を結ぼうとも、この世界にはけっして変えられぬ理がある。
それは動物が人へと進化しても変わらぬもの。
弱者は、強者に従う――――弱肉強食の掟。世界の理だ。
「たとえ貴方様が私の義弟となろうとも、魔力の高い方には敬意を払うのが道理。それに反することはいたしかねます。どうかお許しください」
筋張った断りは、ある種、彼の恩情を撥ねつけるようなものになってしまった。
これが隣国あたりならば否とすれば無礼だと、諾とすれば社交辞令を真面に受け取る痴れ者だと罵られるだろう。
どちらにしても、気分を害されたと因縁をつけられる。
(この回答しかないとはいえ、竜王陛下の機嫌を損ね、ミレーユとの仲に亀裂が生じては事だな……)
やっと再会できた妹の幸せを踏みにじるようなマネはしたくない。
そんなロベルトの焦りをよそに、彼はじっとロベルトを見た後、口元を隠して笑った。
噴き出すようなそれは、けっして嘲るようなものではなく。
「いや、すまない。本当に兄妹だな。ミレーユと同じことを言う」
そう言って、クスクスと笑う。
身に覚えがあるのか、ミレーユは頬を赤く染め、気まずそうに目を伏せている。
「無理に強制するつもりはないが。まぁ、いつかは……」
その言葉はロベルトにではなく、ミレーユに言っているのだろう。
甘さを含んだ、慈愛に満ちた声だった。
亀裂が生じることを心配したが、そんな必要は一切なかったようだ。
甘ったるい空気は身内としては気まずいが、間に入る勇気はない。
なんといっても相手は竜王。そんな猛者はいない―――と思いきや、その猛者がミレーユの後ろから顔を出した。
「あ、本当にロベルトさまだ!」
「……ルルか? 相変わらず元気そうだな」
肩にかかる黒髪と、好奇心旺盛な瞳は、十年の月日を感じさせないほどにそのまま。それは外見だけなく、中身も同じだった。
「よかったですね、姫さま! ロベルトさま死んでなくて!」
「ルルっ、しーっ!」
身も蓋もない言い様に、ミレーユが慌てて唇に人差し指を立てる。
「本当に生死を心配していたのか? ……まぁ、十年も音信不通では当然か」
「いえっ、違います、えっと、その……」
しどろもどろで言い訳をしつつも、ハッキリとは言わないミレーユに、ロベルトは幾つか当たりを付けた。
(さてはあの耄碌ジジイ、俺を系譜から消したな)
要塞生活で粗雑になった言葉をそのまま伝えるわけにもいかず、ロベルトは気にするなとばかりに手を振った。
「父上が考えそうなことは見当がつく。分かっていたのに、お前への配慮が足りなかった。無理をしてでも、一度くらいちゃんと戻るべきだった。すまない……」
ロベルトは幼いころそうしていたように、慰めのつもりでミレーユの頭に触れようと左手を伸ばす。
しかし指先が髪に触れる前に、ミレーユが首を傾げた。
「お兄様、以前は右利きでいらっしゃいましたよね? 右手をどうかされましたか?」
「――ッ」
できるだけ不自然にならないように振る舞ったつもりだったが、もう気づかれてしまった。