登城Ⅲ
我が身の短慮を悔やんでいると、ダダンがコホンと咳ばらいをし、静かに答えた。
「恐れながら、異種族のわたくしの身分では、他国の王女殿下のことをお話しするなどとても……」
「君の知る範囲でいい。第三者の視点から話を聴いてみたい」
カインの引くことのない姿勢に、ダダンは逡巡した。
さきほど竜王の命に対し「できぬ」と拒否した手前、次は断るわけにはいかないことを理解しているのだ。
けれど、カインが考える以上に、ダダンの口は堅かった。
「……わたくしも、世界を渡り歩く商人でございます。竜王陛下のご威光は十分理解しております。発言を求められたのなら、答えるのが道理。……ですが、我が商会がここまで発展できたのも、ミレーユ王女殿下の助力があってこそです。恩義ある方の情報をご本人の許可なくお話しするわけには参りません……。どうかご容赦下さい」
ためらいがちではあるが、それはれっきとした回答拒否だった。
カインとしては、ダダンが竜王の威光よりも、ミレーユへの忠誠を取ったことは意外だった。
北の大陸はやたらと女性を軽視する傾向が強い。ミレーユを慕う民ならともかく、ダダンは異種族。狸の末裔である彼から見れば、姫とはいえ齧歯族は下位だ。
内心、彼からも軽視された扱いを受けていたのではないかと危惧していたが、どうやら取り越し苦労だったようだ。
「そうか……。では質問を変えよう。君が言う恩義とは、どういったものだ?」
「お、恩義などと、そんな大層なものではございません!」
とんでもないとばかりに、ミレーユが壇上の下からフルフルと首を振る。
これに、いち早くダダンが否定した。
「大層なことでございます! あのときミレーユ王女殿下がお力を貸してくださらなければ、わたくしは商会の運営どころか命まで危ういところでした!」
ダダンが言うには、話は、約八年前に遡る。
当時、北の大陸に拠点をおいた商いは軌道に乗っていた。仕事は順調で、遠く離れた大陸からも仕事が舞い込む。
そんなとき、西の大陸からある依頼が飛び込んできた。
西の大陸でも有名な種族の一つ、狼族の王家から、近々産まれてくる皇子のためのスワドルを所望されたのだ。
狼族は中位種族に含まれるが、その力量から上位種族に近い存在だ。
しかも、今回は多産系の家系でありながら、なかなか子宝に恵まれなかった王家待望の第一子とあって、その想いの熱量は大きく、求められる質も高かった。
ダダンはさっそく腕の立つ針子に依頼し、何枚かの献上品を用意させた。
数か月をかけ仕上げられたそれは、宝石をふんだんに使用し、上位種族に献上しても恥ずかしくない仕上がりだった。
――――しかし、事が順調にいったのはここまで。
品を納めるため馬車を走らせていた道中、盗賊に襲われ、献上品を含んだ積み荷が奪われてしまったのだ。
盗賊たちは血気盛んな有鱗族の若者たちだった。護衛はつけていたが、多勢に無勢。抗うこともほとんどできなかった。
やっとのことで命からがら逃げおおせたが、残ったのは少しの積み荷のみ。これではどうしようもない。
いまから新たに作り直させるにしても、時間が足りない。
ダダンは絶望のあまり、地に膝をついて嗚咽を吐き出した。
このままでは信用はガタ落ち。積み上げ、勢いづいた商会運用も風前の灯火だ。
いや、それ以上に危惧すべきは、狼族の依頼を完遂できなかったことへの報復だ。
狼族は闘争心が強い種族。顔を潰されたとなれば、命すら危うい。
かといって、現状どうすることもできず。仕方なく態勢を落ち着かせるためにも、一番近い国に立ち寄った。
それが齧歯族の治める国、グリレス国だった。
はじめて訪れた国だったが、ダダンは優秀なお針子がいないか聞きまわった。せめてなにか状況を打開できる策を模索しなければ、精神が持たなかったのだ。
質素な建物が立ち並ぶ大通りを抜け、細い路地裏に入ると、小さな黒髪の幼女がダダンの顔を食い入るように見ていた。
「ルル、どうしたの?」
幼女の後ろには、彼女よりもいくつか上の少女がいた。連れてこられたのか、手を引かれ、不思議そうな顔で首を傾げている。
「このひとです。このひとが、つくってほしいものがあるって、みんなにきいてまわってたんです」
「え?」
多くの者に訪ねて回ったせいか、それを聞きつけてやってきたようだ。
しかし、幼女と少女ではダダンの望みは叶わない。
「はじめまして、旅のお方。なにかお困りでしょうか?」
少女は大人と話すことに慣れているのか、臆する様子もなくダダンに問いかけてきた。
お前では話にならないと、無視してそのまま去ってもよかったのだが、見た目の年のわりに落ち着いた雰囲気をもつ少女の透き通った瞳を見つめていると、なぜか心が安らぐ。
ささくれ立った心に清水が流れ込んだような気持ちで、気づけば少女になにもかも打ち明けていた。まだ年のころは十歳かそこらの少女に。
最後まで話すと、少女は気の毒そうに瞳を伏せた。
「そうでしたか……。それは災難でしたね。このあたりは、二年前に終結した有鱗族と鳥綱族との戦争の名残で、あまり治安がよくないのです。兵の残党が夜盗となり、裕福そうな商家を襲撃する話はよく聞きます。とくに、海岸沿いの大型船に乗り込む前の商家を狙うそうです」
ダダンは、まさにその通りの狙いどころだった。
この辺りは下級種族の中でももっとも下の種族ばかりと高を括り、情報収集を怠ったのが致命的な結果をもたらしていた。
(それにしても、周辺の情勢について詳しい子だ……)
飾り石一つない質素な装いは、ダダンの国では平民が着るもの。貴族には見えない出で立ちだが、教養のある子供だと感じた。
いったいどういった少女なのか。
少し興味がわき、マジマジと少女を観察していると、彼女が一つの提案を口にした。
「スワドルでしたらよく仕立てます。私の腕では、お眼鏡にかなう品が用意できるかはわかりませんが、明朝までお時間をいただければ、いくつかご用意できるかと」
「!」
願ってもいない申し出に、絶望で心が弱っていたダダンは藁にもすがる思いで頼み込んだ。少女は、ダダンが死守した木箱から幾つかの布地を選ぶと、時間と場所を告げて去っていく。
しかし、時間を置き冷静になれば、少女が狼族に献上できるほどの品を用意できるとはとうてい考えられなかった。
礼儀正しい娘ではあったが、齧歯族の困窮ぶりは聞き及んでいる。
渡した布地には、高級な絹も含まれていた。
(きっと、あれが返ってくることはないだろうな……)
その晩、狭く鄙びた宿屋で横になったダダンは、齧歯族の娘にすがった己を悔い、そしてすべてを諦めた。
けれど、ダメもとで取り決めた場所にいけば、すでに彼女は待っており、その手には五枚のスワドルがあった。
そのうちの一枚を手に取り、ダダンは目を丸くした。
裏地は乳児の柔らかな肌に優しいコットンを使用し、表地は白のビロードに狼族の国花である白百合と、濃紫糸で施された剣の紋章。護符としてもちいられる草木の連続模様は狂いのないシンメトリー。縁取りには、飾り玉が雫のように垂れさがる。
宝石も煌びやかなビーズもついていないが、だからこそ誤魔化しのない腕の良さが際立っていた。他の四枚についても遜色ない美しい出来で、これならば命が繋がると確信できる品だった。
ダダンは少女に礼を言うと、残っていたありったけの金銭を渡した。
少女はひどく驚いて固辞したが、こちらは命を奪われる覚悟さえした身だ。いまさら惜しいものなどなにもない。押し付けるようにそれを渡すと、さっそく西の大陸へと急いだ。
約束の期日をとうに過ぎていたため、王は大層憤怒を露わにしたが、盗賊に襲われてなお、品を届けたことに情状酌量の余地を得ることができた。
献上を許されたダダンは、少女から受け取った五枚のスワドルを差し出した。
最初に歓声をあげたのは王妃だった。
絹に浮かび上がる国花と紋章は力強く、サテン縫いがされた草木の葉脈はまるで色糸が流れるようで、ステッチの美しさが映える。
見栄えもさることながら、なにより喜ばれたのは、スワドルに包まれた王子がすやすやと静かに寝入ったことだった。
怒りを発していた王ですら涙を浮かべて喜ぶ様に、ダダンの方が驚いた。
聞けば、早産で生まれた王子は朝も昼も晩もなく泣き続け、すでに三人の乳母が倒れていたのだ。
泣きわめくのにも体力がいるというのに、王子は乳もうまく吸えず、このままでは生命すら危うい。そんな焦りに苛立っているところだったという。
王の怒りの理由は納期の遅れではなく、王子の心配からきていたものだったのだ。
その証拠に、穏やかに眠る我が子に王は喜び、当初の数倍の依頼金を支払ってくれた。