登城Ⅱ
叩頭するダダンの姿に、カインはさてどうしたものかと王座のひじ掛けに頬杖をつく。
ふとナイルに視線をやると、彼女の空色の瞳には色濃く諦めの色が浮かんでおり、参内する前からダダンの謝絶を予期していたことが窺えた。
カインとしては、まさかミレーユが母国でお針子として仕事を請け負っていたなど初耳だった。このままでは花嫁衣装の準備が整わないことも、ダダンの登城を受けてさきほど知ったばかりだ。
報告を受けていないことをナイルに問い質したが、返ってきた言葉は辛辣だった。
『お伝えしたところで、なにか解決いたしますか? 解決どころか、貴方様はこちらの意に反する言動をおとりになる。それが分かっていながら、なぜ報告いたしましょう』
なんだその断言は!? と、憤ったが、気遣わしげなミレーユの瞳にその場は言葉を抑えた。
(こうなると、いよいよ夏至の日までに婚儀が挙げられるか難しくなったな……)
親は行方不明、花嫁の衣装は期日までに作製不可能。
しかし前者はともかくとして、後者については是が非でも婚儀を急がせたいカインの都合で陥った事態だ。
婚儀を来年以降に延ばせば、他の商会も受注を請け負い、問題はすぐにでも解決するだろう。
だがそれだけは困る!
延期だけは、どうしても回避したかった。
(かといって、ミレーユの花嫁衣装を減らすわけにはいかない……)
ジレンマに、カインの深紅の瞳が吊り上がる。
さて、どうしたものかと苦慮していると、横に佇んでいたミレーユが口を開いた。
「あ、あの……カイン様。どうか当初の予定通り、私に衣装の手伝いをさせていただけないでしょうか?」
その申し出に、当然カインは首を横に振った。
「君は花嫁だぞ。そんなことはさせられない」
「お気遣いいただいていることは承知しております。ですが、せっかくのご依頼を破棄したとなれば、ライナス商会にとって大きな痛手となります。今後の取引にでる影響も、けっして小さくはありません」
ライナス商会が北の大陸で有名だといっても、しょせんは下位種族と中位種族ばかり。上位種族が治める南の大陸ではたいした知名度はない。
それを、今回どの商会も逃げ腰だったドレイク国からの大口の受注を一手に引き受けたのだ。
これが失敗したとなれば、今後ライナス商会が南の大陸に進出することはほぼ不可能となる。
「ダダンさんは、古くから私の無理を通してくださった方です。今回のお仕事も、私が次の冬を見越し、燃料代を工面したいことをご存じで引き受けてくださったのでしょう。そのご厚意を無下にはしたくありません。なにより――」
ミレーユはいったん言葉を切ると、慇懃な姿勢を少し崩し、頬を赤らめてほほ笑んだ。
「自分の花嫁衣装に携われるなんて、なんて幸福なことでしょう。少し前までは考えもいたしませんでした」
少し照れたような笑みで、細い指を胸元に置く。本人は無意識なのだろうが、その位置にはミレーユ自身には見ることのできない竜印が刻まれていた。
「きっと、一針一針さす時間は、私にとってかけがえのない思い出となります。どうか、その機会をお与えいただきたいのです。……ダメ……、でしょうか?」
ミレーユは懇願するように上目遣いでカインを見つめた。
図らずも、ルルが提案した体勢になっていることに気づかずに。
婚約者からの懇願に、カインはその紅潮した頬に触れ、すぐさま承諾を口にした。ほぼ条件反射だった。
「ミレーユが望むことなら、なんでも叶えよう」
「! ありがとうございます……!」
もちろん竜印は発動し、指は黒く炭化したが、そんなものはフル回復でどうとでもなる。
指に走る竜印の灼熱よりも、ミレーユのほほ笑みを堪能していると、額に青筋を浮かべ、口元を引き攣らせているナイルと目が合った。
右手には、風の術を繰り出そうとしているのが見える。
『貴方様はこちらの意に反する言動をおとりになる』
――――ああ、なるほど。こういうことか。
ナイルの指摘をいまさら悟ったところで後の祭りだ。
ぱぁああと、喜びを露わにするミレーユを前に、前言撤回などできるはずもない。
「では、さっそくダダンさんと打ち合わせを……」
了承を得たことで緊張が解けたミレーユは、嬉々としてダダンを振り返った。
しかし、
「ダダンさん!?」
一連のやり取りを見守っていたダダンが、感極まったとばかりに泣いていたのだ。
それも涙が滲むような可愛らしいものではなく、号泣だ。
「え……、ど、どうされました?」
ミレーユは慌てて壇上を降り、ダダンの元へ駆け寄った。
てっきり問題が解決したことへの安堵の涙かと思えば、どうやら違ったようで。
「良き方と巡り合えましたことっ、このダダン、心よりお祝い申し上げます! はじめてお会いしたとき、まだ十歳だったミレーユ王女殿下がご結婚とは……ぅう、感無量でございます……っ!」
ダダンは嗚咽で声を詰まらせながらも祝辞を述べ、滂沱と涙を流した。
「いくらお国のためとはいえ、ミレーユ様が独り身であられることに胸を痛めておりましたが、このようなご縁があったとは!」
「――それは。貴公から見ても、ミレーユの母国での処遇はよくなかったということか?」
「ッ?!」
感動に打ち震えていたダダンに、まさかの質問が飛んだ。
「ミレーユも、さきほど冬の燃料代がどうとか言っていたが。そもそも、なぜ君がそんなものを工面しなければならない事態に陥ったんだ?」
こちらの質問は、ミレーユに投げかけた。
「一国の王女がそんなことを心配し、あまつさえ工面に奔走するなどあり得ないだろう?」
「そ、それは……」
ミレーユにとって冬の支度は日常茶飯事。そこまで深く考えずに口に出してしまった。