登城
「世界の王と等しき竜王陛下にお目にかかれたこと、恐悦至極に存じます」
狸の末裔であるライナス商会会長、ダダンは伏していた頭を上げ、恭しく口上を述べるも、王座につく竜王の横に、よく知る人物が立っていることに気づき、楕円の目を大きく見開いた。
「ミ、レーユ王女殿下!?……な、なぜ、こちらに?」
ダダンは、召喚の経緯を詳しく知らぬまま参内していた。
「あぁ、ですがよかった! 何度お国に内謁の願いを出しても、一向にご返信いただけなかったので、なにかあったのかと心配しておりました!」
普段なら間を置かず届くはずのミレーユからの返事が来ないことに焦っていたダダンは、短く太い眉を下げ、心底ほっとしたとばかりに息を吐く。
と、そこでハッと我に返った。いま、自分が誰の前にいるのか思い出したのだ。
神の種族と謳われ、世界を牽引する竜の一族。
その頂点たる竜王は、まさに雲上人。
挨拶以外の発言が許されていない状態で、勝手に言葉を発するなど言語道断。
急いで謝意を示し平伏をとるが、一瞬見えた竜王の表情は芳しくなかった。
紅玉の煌めきさえもしのぐ瞳を歪め、ほんの少し不機嫌そうに眉があがる。
漂う魔力にも、不穏なものが混じっていた。
ダダンは怯えのあまり歯の根が合わず、ガタガタと横に肥えた身体を震わせた。
上位種族のプライドの高さは、商家という仕事上、嫌というほど理解しているがゆえの恐怖だった。
「……彼が、世話になっていたという商人なのか?」
「はい。ライナス商会は北の大陸でも一、二を争うほど大きな商家で。ダダンさんには、私から無理を言ってお仕事をいただいておりました」
「…………そうか……」
同大陸の馴染みに会った気安さからか、ミレーユの口調は普段よりも柔らかく、カインの不穏さが増す。同時に、ひぃいいぃと、ダダンの恐怖も一層増した。
後ろに控えていたナイルがそっと諭す。
「竜王陛下、相手が男性であることが気に入らないからと、そのような負の感情をお出しにならないでください。御狭量ととられますよ」
「奇遇だな。私も最近自分が広量でなかった事実に気づいたところだ」
子供じみた受け流しを、威厳ある態度で言う竜王に、ダダンは少し冷静になった。
まだ事態をうまく吞み込めてはいないが、どうやらすぐさま首を刎ねられることはないようだ。
「ぶ、不躾ながら、お尋ねいたしたく存じます。……なぜ、こちらにミレーユ王女殿下がいらっしゃるのでしょう?」
心当たりがあると言えば、花嫁衣装の受注の件だ。
しかし、その腕を見込まれお針子として正式に登用された――とは考えにくい。
ミレーユの名は偽名で登録されたもので、彼女に結び付く情報はダダンしか持ち合わせていない。そもそもこの件はミレーユ本人にすら正式に伝えられぬまま、彼女と連絡が取れなくなってしまった。
どれだけ頭をひねっても、竜王が治めるドレイク国と、齧歯族の姫であるミレーユとの関連が分からない。
ダダンの疑問に答えたのは、さきほど竜王を窘めた、高く結いあげられた銀髪が美しい女官長だった。
竜王の血筋であり、ドレイク国でも指折りの強さを誇る王の側近の一人。
彼女もまた、ダダンにとっては殿上人。
遠くからの拝顔は何度かあったが、直接言葉を交わしたのは初めてだ。
ナイルは鋭利な美貌を崩さず、簡潔に要旨を述べた。
それによれば、竜王の婚約者こそがミレーユであり、花嫁である本人にお針子などさせられない。ついては受注した依頼は他の者に回してもらいたい、と――――。
「は……はぁ? ミレーユ王女殿下が、竜王陛下の婚約者様……?」
ダダンは唖然としたまま、加齢で広がった額に手をあて、ナイルの説明をいま一度反芻する。
ライナス商会を一代で広げた手腕からも、理解力はけっして低い方ではないと自負していたはずが、思わぬ出来事の連続にうまく整理がつかない。
「そうは仰いますが、竜王陛下のお相手は十年前にご婚約が成されていたとお聞きしております。ミレーユ王女殿下とは八年来のご厚誼を賜っておりますが、そのようなお話は一度も……」
グリレス国には何度も足を運んでいる。竜王との婚約話など民の者からはもちろん、本人の口からも聞いたことがなかった。
なにより、グリレス王の取り巻き連中は、婚約者のいないミレーユに対し『行き遅れの姫』と公言してはばからなかった。心無い言葉に、他種族ながら何度荒立ったことか。
それが実は竜王と婚約関係にあったといわれてもあまりに突拍子もなく、にわかには信じがたい。
「周知されなかったのは私の失態だ。こちらの慣習で事を進め、ミレーユにも、グリレス国にもきちんとした説明をしなかった」
ダダンは呆然としながらも、わざわざ己の非だと告げる竜王の言葉に耳を傾けた。
いまは正式に婚約関係にあることを告げられ、ダダンは驚きつつも深く頷く。
「そうでございましたか……。確かに両国では、国体も既存秩序も大きく異なりましょう」
「理解が得られたところで本題に戻るが、ミレーユへ依頼するはずだった花嫁衣装、他で請け負えるか?」
納得すると同時に、突きつけられる竜王からの王命に、なぜ自分が召喚されたのか、その理由にやっと気づいた。
「こちらが請け負ったあの量を……他の者に、でございますか……」
ダダンはただちに頭をフル回転させ、計算を巡らせた。
しかし何度試算しても、すべての伝手を当たり、総動員をかけたとしても、竜王の望む結果は算出できなかった。
「……恐れながら申し上げます。わたくしが今回のご依頼を承ったのは、ミレーユ王女殿下がいらっしゃったからこそでございます。ドレイク国の紋章は高度な技術が求められます。扱う物も最高級生地に金糸に銀糸、多種多様な色糸を使用する繊細な手作業。金糸や銀糸は扱いが難しいことを考慮しても、並みのお針子では期日内に納めることは不可能でございます」
ドレイク国の花嫁衣装は、世界一美しく、そして豪華絢爛。
本来なら一枚を仕上げるにも時間がかかる品を、夏至の日までに仕上げるのは至難の業だ。
「現に、他の商会は求められる質と量、納期にしり込みし、受注を制限いたしました」
名のある商会が一堂に集められたが、ライナス商会よりも大口の受注を引き受けられた商会は皆無。
支払われる依頼金は膨大だったが、相手は神の種族ドレイク国だ。もし不備でもあろうものなら今後の運営が危うい。そう考え、慎重になる商会がほとんどだった。
「その中でわたくし共がご依頼をお受けできたのも、ミレーユ王女殿下の腕があってこそ。とても他の者では務まりません」
不可能を可能にする術はなく。ここで誤魔化しの言葉を紡いでも、自分の首を絞めるだけ。
ならば、せめて誠心誠意をもって謝罪するしかないと、ダダンは汗に濡れる額を地面に擦りつけ、謝意を示した。