竜王と小ネズミⅥ
「もとより齧歯族の娘に婚姻の自由はありません。大抵は親が相手を決めますので」
「そういえば、以前そんなことをクラウスが言っていたな……」
竜族にはない概念だったため、すぐにカインの記憶からは抜け落ちていた。
正直、理解はできない。とはいえ、彼女の父を貶め、他種族の文化に異論を唱えるよりも先に、カインにはミレーユに伝えるべきことがあった。
「ミレーユ!」
「は、はい」
突然グイッと距離を詰められ、両手を握られる。ミレーユは動揺で返事が上擦った。
「私は、君以外の娘を娶るつもりは一切ないからな!」
「え……」
真剣なまなざしでハッキリと告げられる。
齧歯族にとって、側室や愛人が数多くいることは当たり前のことだった。
あまり考えないようにしていたが、カインもいつかは側室を娶るのだろうと思っていた。
「同様にミレーユが私以外の者に心惹かれるのも耐えられない!」
「……本当に、唯一なのですね」
幼いときにヴルムが口にしていた『唯一の番』という意味を、はっきりと彼が示してくれたことが嬉しくて、思わず頬が緩む。
「私以外に目を向けないと、誓ってくれるか?」
「もちろんです。過去未来において、そのようなことはないとお約束できます」
ミレーユは口元に笑みをつくると、胸に手を置きながらゆっくりと告げた。
魔力の低い自分には、胸元の竜印を視認することはできない。
それでも、きっとこの先も消えることなく、胸を彩ってくれるだろう自信があった。
出会ってから十年、ずっと彼を想い続けたように。
その返答にホッとしたのか、カインが目元に安堵の色を浮かべた。
なんともふわりとした空気が流れたのも束の間。
突如、ズドォン! という爆音が耳朶を打った。
「!?」
突然の音に、ミレーユの身体が硬直する。
恐る恐る少し離れた庭園内に設けられた噴水に目をやれば、無残なほどに木っ端みじんに崩れ落ちた姿が――――。
ミレーユは息を呑み、数秒前のカインの動作を振り返った。
一瞬でよく分からなかったが、それは確実にカインを狙って放たれていた。
そして、彼は表情一つ変えることなく、それを素手で噴水のあった場所に叩き落したのだ。
「よかった……。ミレーユが他の者に心を移すなど無いと信じてはいるが、きちんと言葉で示さなければ、前のように誤解を生じさせてしまうのではないかと恐れていたんだ」
(ええっ、何事もなかったようにお話を続けるのですか!?)
いま目の前で起こった出来事を、まるでなかったかのように振る舞うカインに、ミレーユは目を白黒させた。
「あ、あの、カイン様? いま、あれが……」
震える人差し指で粉々になってしまった噴水を示しても、カインはそちらを見ようとはせず、ミレーユの瞳を見つめるばかり。少し熱を帯びた紅蓮の瞳は吸い込まれそうなほど美しく、どんな紅玉でも太刀打ちできない輝きだ。
(え? 動揺している私の方がおかしいのかしら?)
「あれぇ? 噴水なくなっちゃいました。いまの音で壊れたんですか?」
思わず自分の感覚を疑い出すも、ルルの不思議そうな声にハッと我に返る。
庭園の中心に設けられた噴水は、百か所以上の噴出口が設けられた巨大なもの。
あれが粉砕されるなど、普通ではありえない。
なにより、威力も破壊力も桁外れの攻撃魔術だった。
これは竜王を狙った刺客なのでは!? と、青ざめるも、犯人はすぐに明らかになる。
ザッザッと、石畳みを踏み込む音と共に現れたナイルの右手には、魔力でできた魔弾。
それが先ほど放たれたものであることは一目瞭然。
(なぜナイルさんがカイン様に攻撃を!?)
状況がまったくのみこめない。
けれど、カインの方はナイルがなぜ攻撃を放ったか察しているようで、「あと一刻くらい待てないのか……」と憎々し気に呟いている。
「――――カイン様。わたくしは、貴方様が事前に交わした約束を反故にしていること、けっして許容しているわけではございません」
氷塊のような一対が、ギロっとカインを捉える。
(約束? なんのお約束かしら?)
つまり、何らかの約束をカインが破っているから、それに対してナイルは怒っているようだ。
あまりに手荒だが、これは彼女なりの元家庭教師としての指導の一環なのだろうか。
「恋人同士の語らいを邪魔するなんて、無粋な方ですね」
凍えるような厳しい声をものともせず返したのは、ドリスだった。
やれやれとばかりに頬に手をあてため息をつくと、カインも、「もっと言ってくれ」とばかりに強く頷いている。
「ドリス、貴女も同罪です。ミレーユ様がお許しになられているからと、取り次ぎもなしに何度も。少しは配慮というものを――」
「あら、一足遅かったですわね! もう検証のお約束の日は取り付けさせていただきましたわ!」
言葉を遮り、あえて挑発するように胸を反らすドリスに、ナイルの眉間に深いしわが寄る。
静かなる怒気が、足元から魔力として流れ出ているように感じるのは気のせいだろうか。
「……一生の不覚です。ミレーユ様のお力を事前に把握していれば、貴女とは絶対に引き合わせませんでしたのに」
ひとり言のように吐かれた言葉には、盛大な嫌みがこもっていた。
ドリスは不満そうに片手を腰に当てると、心外だとばかりに口を窄めた。
「随分な言い様ですね。傷つきますわ」
「当たり前です。もう自分の前科を忘れましたか?」
「前科? ――ああ、約束の間の扉を破壊しようとしたことですか」
(は、破壊!?)
なんでもないことのようにさらりと宣うドリスに、ミレーユは驚いて目を瞬かせた。
「……あの、約束の間というのは、先日ローラ様がおっしゃっていた、開国以来一度も開いたことのないというお部屋では?」
恐る恐る問えば、ドリスは邪気のない笑顔で肯定した。
「約束の間は初代竜王陛下が残し、そして封じた場所だと伝えられています。あそこならば、きっと諸々の解明に繋がるなんらかの手掛かりが見つかるはずです!」
扉を爆破する価値に見合うものが必ずあると豪語されても、ミレーユには頷くことができない。
続く言葉には、さらに血の気が引いた。
「とはいえ、中位種族の国なら軽く消し飛ばせるほどの魔弾を使用しても開錠には至らず。扉には傷一つ付けられませんでしたが……はぁ、口惜しいですわ」
ドリスの声は、心の底から無念そうだった。
(中位種族の国なら軽く消し飛ばせるほど……)
となれば、下位種族の母国などほんの一瞬で消し炭だ。