竜王と小ネズミⅤ
そう感じたのはミレーユだけでなく、ドリスも同じだったようだ。
「……竜王陛下。恐れながらもう少し運び方をどうにかなりませんでしたか? さすがに雑すぎますよ。よもやミレーユ様のこともそのようにお持ちになるのかと、危ぶんでしまいます」
「なにを言っているんだ。ミレーユを連れて飛ぶときは、ちゃんと両手で抱きしめるに決まっているだろう」
ハッキリとした彼の物言いに、ミレーユは安堵よりも羞恥に頬が赤くなる。
たぶんそのようなことをされれば、絶対に裏返った悲鳴をあげてしまうだろう。
(――ん? いま、飛ぶと仰いました?)
鳥を祖先に持つ一族でも、人へと進化したさいに羽を失っている。
飛行行為ができる種族など、ミレーユの知識の中には存在しない。
数少ない上位種族の中には、元始の姿になれる者がいると、昔話で読んだことはあったが。
(あら? 昔、同じようなことを思ったような? ……そうだわ! ヴルムも『飛ぶ』と言っていたわ!)
飛んで帰るといったヴルム。
あのときは竜族だとは知らなかったため、本当に飛べるなど考えもしなかったが、彼に羽があり、飛ぶことができたとすれば、あの日、目の前から突如消えるようにいなくなってしまったことにも納得がいく。
(カイン様は、飛ぶ力をお持ちなのかしら?)
見たい。彼に羽があるのならぜひこの目で見てみたい。
しかしそんな願望を口にするより早く、カインはルルの両脇を持ち上げると、ミレーユの前にずいっと突きだした。
「ルルが言っていることを通訳してくれないか。意味が分からないんだ」
「通訳、ですか? ――ルル、カイン様になにをお伝えしたの?」
意味が分からず問えば、動揺が見えるカインとは反対に、ルルはのんびりとした声で「えっとぉ」と話し始めた。
「竜王さまからどんな旦那さまがいいかと訊かれたので、愛人を五人までにしてくれる方がいいってお伝えしましたぁ!」
「ルルの……旦那様?」
唐突過ぎて、経緯が読めない。
疑問符を浮かべるミレーユに、カインは竜族の男との婚姻を勧めた説明を足した。
もちろんルルとの間で交わされた約束については省いて。
「ルルが竜族の方と……それは、願ってもないお話ですが」
本来ならルルの年齢は、齧歯族では結婚適齢期だ。
自分のように行き遅れなどと言われることなく、ルルには相応の年に結婚して欲しいと望んでいたミレーユにとって、その提案は渡りに船。
なにより天真爛漫なルルには、できるだけ寛大で寛容な男性がいい。
その点、小さなことをあまり気にしない竜族の性質はルルに合っているように思えた。
「お話は理解いたしました。ですが、意味がわからないというのは、どの部分を指しているのでしょう?」
さきほどのルルの要望を反芻しても、なにが不可解だったのかミレーユには分からなかった。
「どの部分って……愛人を五人というのはおかしいだろう?!」
「十人くらいならよいということでしょうか?」
まさかまた同じ台詞を耳にするとは思わなかったカインは、ルルを地面に下ろすと、驚愕を抑えきれない顔でミレーユの細い肩を掴んだ。
欲より戸惑いが強かったせいか、はじめて竜印が発動することなく触れることができたが、いまはそんなことは二の次だ。
「なぜ番がいながら、他の者を望む!?」
「「え……?」」
彼の訴えが理解できず、ミレーユとルルが同時に首を傾げた。
そんな三人に見かねたドリスが助け船を出した。
「ミレーユ様、竜族は一夫一妻制です。愛人を持つなど、この国では許されない行いです」
竜族の婚姻における認識の違いを厳かに告げられ、ミレーユは大きく目を見開いた。
「そ、そうなのですか……? では、側室は?」
「まず、側室という定義すら存在しておりません。多妻など持とうものなら、たとえ竜王といえど鼻つまみ扱いされるでしょう」
「?!」
ドリスは純粋な驚きを示すミレーユの心中を察したうえで、今度はカインに言った。
「竜王陛下、ミレーユ様のお国は一夫多妻制です。とくに王や貴族は数多くの女性を娶ります。番は一人のみという概念は平民にすら存在しておりません」
国が違えば常識も異なる。自分が見ている景色だけがすべてではない。
そう説明されるが、カインは納得がいかず異を唱えた。
「だが、グリレス国王の系譜はミレーユの母君以外、女性の名は記載されていなかったぞ」
名がないということは、王妃以外の女性や、その子供は存在していないはず。
以前のような思い違いをせぬよう集めた情報に漏れがあったとは正直考えたくなかった。
これに、ミレーユが答える。
「父にも、数多くの女性がおります。系譜に母の名前しか載っていないのは、側室として認められていないからです。側室として認めれば、当然その生活のすべてをみなければなりません。父は、それを無駄だと考えたようで……」
言いにくそうに打ち明けるミレーユの表情は曇っていた。
己の欲望は満たしても、義務は一切背負わない。それが父の見解だった。
「では、実際は?」
「お恥ずかしながら、私が小耳にはさんだだけでも二十人は……」
聞く限りの数がそれならば、実数はもっと多いのだろう。
――――あの男、やはりあのとき叩き潰しておけばよかった。
気まずそうに視線をそらし答えるミレーユに、思わずカインの口から、心の声が零れそうになる。