竜王と小ネズミⅣ
心の準備も兼ねて、ミレーユはドリスに問う。
「術の検証に用いる石は、どれほどを想定されていらっしゃるのでしょう?」
「そうですね……」
ドリスは顎下に手を置き、試算する。
「やはり分析や比較を考えても、十から二十ほどはいただきたいですね」
「え……」
その数に、ミレーユは驚いたように目を瞬いた。慌ててドリスが取り繕う。
「もちろん一度にではなく、日を改めての数ですわ!」
「それだけでよろしいのですか?」
「へ?」
「二十ほどでしたら、すぐにでも術を込めてお渡しできます。それほど時間のかかるものでもありませんから」
これに、今度はドリスが虚をつかれた顔で目を見開く。
「よ、よろしいのですか? さすがにそれほどの数となると、ミレーユ様の魔力が持たないのでは……」
ミレーユの魔力総量の低さを懸念しているのだろう。
ナイルに対しては見ているこちらがハラハラするほど遠慮や加減をしないドリスが言いにくそうにする姿に、ミレーユはクスリと笑った。
「気になさらないでください。自分の魔力の低さは自覚していますから」
ミレーユの魔力は、産まれたときから低かった。
そのうえ行使できる術は、どれも父親からは厭われるものばかり。
一つは、遠くの音の周波数を拾うという盗み聞きに近いもの。
二つ目は、石に術を付与することによって発動させるもの。
(残りの一つも、自分の体力を少し回復するくらいにしか使えないものだし……)
妹のエミリアのように、他者を治癒できる能力であったなら、どれほど民の役に立ったことだろう。
しかし、能力も魔力総量も持って生まれた素質がものをいう。こればかりは努力だけではどうにもならない。
だからこそ、ミレーユは別のところに重点を置いてきた。
「百や二百くらいでしたら、それほど魔力も枯渇しません。魔力の低さは魔力操作で補えと。幼いころ、兄からも教えを受けておりますので」
「二百……、そんなに……?」
驚くべき数とばかりに、ドリスの声が上擦る。
「ですが、込めた術は長続きしませんし、術式範囲も物置部屋程度です。あまりご期待いただけるような成果は出せぬかと」
「十分ですわ! ミレーユ様はわたくしのゼロだった可能性を一にしてくださった方ですもの! この差がどれほど大きいか!」
「え……えっと……」
(どうしましょう……ハードルがまた一層上がってしまった気が……)
ミレーユとしては、量はあるが質はたいしたことがないと言いたかっただけなのだが。
「さっそく石を準備いたします! 用意するのに……そうですね、少々お時間を頂いてもよろしいですか?」
せっかくですから厳選させて下さいと頼まれ、ミレーユは二つ返事で了承した。
「それにしても、ご賢兄様の魔力操作重視のお考えは素晴らしいですわね。能力や魔力総量は確かに素質が大きく作用しますが、魔力操作は素養。労力は必要としますが、努力を重ねれば重ねるほどにコントロールが可能ですもの。慧眼ですわ!」
「っ、ありがとうございます!」
自分ではなく兄が褒められたことが嬉しくて、思わず笑みが零れる。
「以前ご賢妹様のことはお聞きしておりましたが、ミレーユ様は三人ご兄妹でいらっしゃったのですね」
「えっと……はい、一応……」
口ごもりながら「一応」と付けた不自然さに、下位種族の婚姻形態にも博学な彼女は、その意味を察したようだ。
けれどあえてそこには触れず、話を続けてくれた。
「ご賢兄様も婚儀にはご出席されるのですか?」
「え?……そ、そうですね。兄も式には出席してくれるかと思います」
これまた不自然な言い方になってしまい、ドリスに首を傾げられてしまう。
ミレーユは慌てて付け加えた。
「兄は幼いときに留学してしまったので、私も長らく会っていないんです……」
ミレーユの兄、ロベルトは帝王教育の一環のため、母の遠縁でもある狐族のもとへ留学していた。
カインこと、幼名ヴルムと出会う少し前の話だ。
産まれたときから離されて育てられたエミリアと違い、ロベルトとは母を交えた交流が多く、厳しくも頼りになる兄だった。
(――そうだわ! お兄様になら、エミリアとお父様のことを相談できる)
自分よりも数倍しっかりした兄ならば、きっとよい知見を与えてくれるはずだ。
(……でも、いきなりこんな話をされても、ずっと国を離れていたお兄様にとっては寝耳に水。きっと、ひどくお叱りになるわね)
ロベルトはミレーユよりも母の影響を強く受けて育っている。
上位種族を謀ろうとしたなど聞けば、きっと烈火のごとく怒り狂うだろう。もちろん止められなかったミレーユも同罪だ。
いや、同罪どころか。幼かったとはいえ、王女の身分でありながら勝手に婚約を約束し、そのうえ約束を果たしてくれたカインのことを本人と気づけなかったお粗末さには呆れられるだろう。
(どうにかしてお兄様と連絡を……。でも、返事はくるかしら……)
いままでもロベルトには何度も手紙を出したが、返信がこの手に届くことはなかった。
――――この十年、一度たりとも。
エミリアの婚儀にすら音沙汰はなく、当然式にも出席していない。
さすがに次期王位継承者である兄が実妹の婚儀に参加しないのはおかしいと思い、父にも帰国を促してもらえるよう進言したが、けんもほろろにはねつけられただけで終わってしまった。
父が邪険にする理由は薄っすらと察していた。
ロベルトは幼いときから母に似て優秀だった。魔力総量も、齧歯族からすれば高い。
両方の年齢を考えても、兄の帰国は、世代交代を意味する。
王位を譲りたくない父は、それを阻止しているのだ。
そもそも留学も父が突然下したものだった。
(お母様の遠縁とはいえ、狐族とはさほど交流があったわけでもないのに……)
ロベルトが他国へ旅立ってしまったことは、ミレーユにとって大きな喪失だった。
しかも、そうこうしているうちに、隣国同士の戦争がはじまったのだ。
あのときの強い不安と焦燥感は、いまも鮮明に思い出せる。
そんな時期だったからこそ、なおさらヴルムとの出会いは、隙間風が吹いていた胸にあたたかな陽を与えてくれるような時間だった。
思わず懐かしさに頬を緩ませていると、
「ミレーユ!」
「! は、はい!」
ちょうど思い返していた当人から名を呼ばれ、ミレーユは条件反射で返事をした。
「なんでしょう、カインさ……ま?」
慌てて声のする方へ振り向き――――、その光景に首を傾げた。
彼の左腕にはルルが抱えられていた。
婚約者が他の女性に触れているのだ。本来なら嫉妬して然るべきだろう。
しかしミレーユにはそんな気持ちは欠片も起きなかった。
相手が妹同然のルルだからというだけではない。小脇に抱えられたその持ち方が、まるで大袋に入った小麦を運んでいる姿にしか見えなかったのだ。
ルルも背の高いカインに抱えられ、普段感じない目線の高さにキャッキャッと無邪気に喜んでいる。その頭には、けだまが張り付いていた。
――――色気が皆無過ぎる。