竜王と小ネズミⅢ
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「ルルもけだまも、どこにいっちゃったのかしら?」
ローラから宿題代わりに借りた本を読み終わったミレーユは、お茶の時間になっても帰ってこないルルたちを捜し、庭園へと続く回廊を歩いていた。
「この辺りで日向ぼっこしていると思ったんだけど」
昨日も柔らかな陽のあたる場所で、柱にもたれてすやすやと気持ちよさそうに寝ていたが、今日はその姿が見えない。
『横になって寝るとけだまが顔の上にのってきて寝苦しいので、この場所がいまのお昼寝のベストポジションです! ルルはこんな毛だらけの獣にはくっしませんから!』
いったいルルは何と戦っているのだろう。
ミレーユからすれば、仲良くお昼寝をしているようにしか見えなかったが。
それに、
「どれだけけだまに文句を言っても、カイン様が用意してくださったお部屋に閉じ込めてしまえばいいって発想はないのよね」
つい口元が綻ぶ。
けだまには、専用の部屋が与えられていた。
母国の自室の二倍はある広さに加え、室内には猫が好む遊具や、肌触りの良い毛布とクッション。そんな子猫にとって居心地のよさを追求した部屋にもかかわらず、ルルはそこにけだまを閉じ込めようとはしなかった。
ローラのいうところの本能が元始的なルルには、生き物を閉じ込めるという発想自体がなかった。猫嫌いとはいえ、もともと動物に対して優しい性格だ。けだまを連れ出しても、なんら心配していない。
「うーん、おやつの時間には帰ってくるかしら?」
「あら、ミレーユ様」
入れ違いにならぬよう、部屋で待っていた方が得策だろうかと考えていると、桐箱を抱えたドリスと鉢合わせた。
「ちょうどお部屋に伺うところでしたわ!」
今日は色打掛の見本を持ってまいりましたというドリスに、頬が引き攣る。
それがどういったものなのか詳しく分からずとも、けっして安価なものではないことは立派な桐の箱からも察せられた。
「あの、国庫のお仕事はよろしいのですか?」
統括長として多忙であるはずの彼女が、自分の衣装のためだけに何度も足を運んでくれるのはしのびない。
そう告げれば、ドリスは黒縁の眼鏡を持ち上げながら嬉々として言った。
「いまは他の者に任せておりますわ。国庫よりも、花嫁衣装の方が重要事項ですもの!」
極貧国家で育ったミレーユからすれば、衣装が国庫より大事とは到底思えず、言葉に詰まる。
(ほ、他にも優秀な方々が国庫を守ってくださっているから、少し抜けたくらいでは問題ない、ということよね……)
自分の常識でドリスの言葉を受けとると、度肝を抜かれることが多い。
心の安定のためにも最近身に付いた変換力で、ミレーユは自分を納得させた。
「ところで、花嫁衣装になにか不備でもあったのでしょうか? 母国に追加の発注依頼がきたと聞きましたわ」
すでに請け負える量を超えていたため、辞退せざるを得なかったそうだが、なぜ今頃になってそのような打診が来たのかと不思議がっていたという。
どうやら、ナイルは結局ドリスの一族に打診したようだ。
「その……実は――」
ことの経緯を簡単に説明すれば、ドリスは赤い唇をあんぐりと開けた。
「ミレーユ様がお針子を? ……それは、流石のあの人でも予測できないはずです」
「私がお引き受けしたいのですが、ナイルさんは反対のようで。ルルは、カイン様にお願いするのが一番だと言いますが、そんなことをお願いするのは気が引けますし」
「あら、わたくしもルルさんの意見に賛成ですわ。花嫁に頼まれれば、たとえ右腕を失おうとも成就させるのが竜族の男ですもの」
「右腕を……失おうとも?」
あっけらかんと恐ろしいことを口にするドリスに、四肢が硬直する。
(こ、これはどういう変換を行えば?……愛情深いという意味合いでいいのかしら?)
しかしどれほど愛情深くとも、右腕を失う事態は避けて欲しいと切に願う。
「それにしても、ミレーユ様が望んでおられるなら、女官長として叶えて差し上げればよろしいのに。あの方も頑固ですね」
「それだけ私が頼りないのだと思います」
「いいえ、あの人のあれはただの過保護ですよ。竜族の女もまた厄介です。一度忠誠を誓った相手にはとことん情が深く、重いですから」
「そんな大層なものを誓われた覚えはありませんし、誓っていただく予定もございませんが……」
驚いて否定するも、ドリスは聞いておらず。
「ですが、あの方の過保護はとみに拍車がかかった感がありますね……。最近なにかございました?」
「え?」
尋ねられるも、とくに思い当たる節はない。
ナイルは初対面のころから礼儀正しく、気の利く女性だった。
だがよくよく思い返せば、やたらと体調を心配されたり、定期的にローラの診察を組み入れたりするようになったのは、ドレイク国に来て少したってからの話だ。
時期で思い当たるのは――――。
(まさか、エミリアの一件が絡んで……? いえ、そんなはずないわよね。別段体に差し障るような事柄でもないし)
少し考えるも結局なにも思いつかず、ミレーユは否定するように首を振った。
「でしたら、やはりあの方の過保護が行き過ぎているのでしょう。術の検証に際してもそうですもの。ミレーユ様の体調を重んじて、婚儀が終わってからお願いするつもりだと何度も伝えておりますのに、まったく信用しないのですから」
「私の体調に関しては、それほどご配慮いただく必要はありませんが……」
なんせ睡眠、食事は完璧。可愛らしい愛猫との戯れも加わり、体調はすこぶる良い。
「いいえ、さすがにそうはまいりませんわ。石を術に吹き込むなど、いったいどれほどの魔力を要するのか、わたくしには見当もつきませんもの」
ミレーユの能力の一つ。
石に魔力を付与し術を発動させる力は、ドリスにとって大変興味深いものだった。
それは、初代竜王陛下が残した遺産、魔石に似ていることが理由らしい。
(ナイルさんもドリスさんも、私の体調を危惧してくださるけれど、それほど大掛かりなものなのかしら?)
いままではナイルからの窘めもあり、あまり詳しい内容は聞かせてもらっていない。