竜王と小ネズミⅡ
「そしたら……、ルルは姫さまよりも早く死んじゃうと思うんです。齧歯族の寿命は長くても三十年くらいですから」
「――それは……」
カインは言葉に詰まる。
ルルはミレーユよりも三つ下。本来なら、寿命を迎えるのはミレーユが先だっただろう。
しかし、カインと婚儀をあげれば、齧歯族の年齢差などなんの意味もなさない。
ミレーユは竜族と同じ長い寿命を生き、ルルは――――。
「ルルが早く死んじゃうことはどうでもいいんです。それが生き物の運命だってわかっていますから。でも……」
言葉を切り、ルルが痛みに耐えるように唇を噛みしめる。初対面から天真爛漫で自由なルルの、はじめてみる表情だった。
「姫さまは優しいから……。きっとルルが死んだらすごく悲しむと思うんです。姫さまはルルだけじゃなくて、みんなに優しくて。誰が死んでもいつも泣いていました。……でも、ルルの前では泣かないんです。いつも一人で泣いていたんです……」
ルルの母が亡くなったときもそうだった。
ミレーユにとっては乳母であり、大切な存在。彼女の死を悲しまぬわけがなかったというのに、ミレーユは気丈にふるまい、ルルの寂しさと悲しさを埋めることを優先してくれた。
私室で一人泣いている後姿を扉の隙間から覗き見るまで、ずっと彼女が涙を我慢していることに気づくことすらできなかった。
「ルルは、ルルが死んでも姫さまに悲しんでほしくないっ、泣いてほしくないんです! 姫さまにはいつも笑っていてほしいんです! ……でも、姫さまは死をとても悲しみます。齧歯族の寿命は短いから、みんな仕方ないことだと割り切っているけど、姫さまは違うんです……」
『姫様の死生観は、皆と少し違うのよ』
そういっていたのは、幼いときから乳母としてミレーユを見てきた母だった。
『だから、ルルは長生きするのよ。貴女の名は、姫様から頂いたのだから。さきに無くしてはダメよ』
母とした最期の約束。けれど、もう約束を守ることはできない。
「ルルは姫さまが泣いてもお傍にいられない……。一緒に泣いてあげることもできない。――――だから竜王さま、お願いです! もし姫さまが悲しんでいたら傍にいてあげてください! ルルは、姫さまが隠れて一人で泣くのはイヤです!」
涙が零れるのを我慢するように、ルルが拳を握り締める。
痛々しいほどのミレーユへの思慕を感じ取ったカインは強く頷く。
「ああ、約束しよう。ミレーユが一人で泣くようなことはけっしてさせないと」
「! ありがとうございます!」
眦を赤く染めて、ルルが笑う。ホッとしたその顔に、カインは一瞬、既視感を覚えた。
(……なんだ? 昔、誰かと同じように約束を交わしたような……)
ミレーユに会ってすぐに竜王の儀式に入ったカインに、そんな記憶は一切ない。
だというのに、なぜかこんなやり取りを過去に誰かとしたような気がした――――。
「竜王さま、どうかされました?」
「いや……、なんでもない」
(そんなはずないか。ミレーユとした結婚の約束を思い出しただけだろう)
一瞬よぎった既視感は、まったく異なるものに感じたが、カインは己を納得させた。
それよりも、もっと別のことに思考が働いた。
「約束は必ず守ろう。だが、ルルの代わりは私にも荷が重い。そこで提案なんだが、竜族の男と結婚するというのはどうだ?」
「ふぇ?」
「無理強いするつもりはないが、竜族の男と婚姻を結べばルルの寿命も延びる。ミレーユの傍に長くいられるぞ」
思ってもいなかった提案に、ルルの目が瞬く。
「ルルが竜族の方とですか? でも、ルルと結婚してくれそうな方なんていらっしゃるでしょうか?」
母国ですら、言動が幼すぎて『お前は姫様よりも行き遅れる』と、面と向かって言われるほどだ。
齧歯族の中でもそんな有様で、神の種族と言われる竜族から相手が見つかるとは到底思えなかった。そんなルルの懸念を、カインは笑い飛ばした。
「その心配は必要ないな。ルルはミレーユほどじゃないが陽力が高いし、言葉に嘘がない。竜族の男は飾られた言葉よりも真実を好むからな」
続けざまにどんな男が好きか問われ、ルルはしばらく「うーん」と考えたのち、ある要望を口にした。
「なら、愛人を五人までにしてくれる方がいいです!」
「? 『あいじん』とはなんだ?」
「お妾さんのことですよ」
「『おめかけさん』?」
聞きなれない単語が続き、カインは困惑気味に目を細める。
「どういう意味だ?」
「え? 知らないんですか? 奥さん以外の女の人のことですよ」
「ミレーユ以外のその他大勢を指す言葉、という意味か?」
「……竜王さま、そんなにいっぱい愛人をつくるつもりなんですか? ルル、そんな方に姫さまと結婚してほしくないです」
解釈的に不自然ではない例えをしたつもりが、ルルからはやたらイヤそうな顔をされた。
「ちょっと待て! その『あいじん』というのはなんなんだ!?」
よもやルルからミレーユとの結婚を反対されるなど思ってもいなかったカインは慌てふためき、より詳しい説明を求めた。
「奥さん以外の奥さんですよ」
「…………は?」
「奥さんがいっぱいいるんです。竜王さまが姫さまと結婚したら、奥さんが一人できますよね。でも、そのあと他の女の人とも結婚したら、奥さんが二人になりますよね。で、また別の女の人と結婚したら、奥さんが三人になるじゃないですか」
まるで簡単な足し算を教えるような口調で、ルルが言う。
「それは……番を二人以上持つということか?」
「そうですね!」
カインにとって概念になかったものを無理やり納得させた形で問えば、ルルは笑顔で肯定した。
「……そうか。なんとなく意味は理解できた。理解したうえでもう一度問うが、ルルはどんな男がいいと言った?」
「愛人を五人までにしてくれる方がいいです!」
一言一句間違うことなく、さきほどと同じ言葉だった。
「いや、ちょっと待て……っ」
意味を理解したからこそ、ルルの理想が納得できない。
憤るカインの『待った』に、ルルはそれをおこがましすぎたかな、と解釈したようで、再度言い直す。
「じゃあ、十人くらいまでにしてくれる方がいいです!」
「なるほど、十人か……」
カインは静かに額に手を当てると、ルルの言葉を反芻した。
いまのは聞き違いか?
それとも空耳か?
「最後にもう一度だけ訊くが、――――どんな男がいい?」
「愛人関係で泥沼化しない方がよいです!」
屈託のない笑みで宣言するルルに、カインは引き攣った笑みのまま小さく頷くと、
――――考えることを放棄した。




