竜とネズミと猫とⅢ
6月4日(日)は7時と12時にまた更新致します(*'▽')
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悠々とした足取りで現れた彼に、ミレーユはすぐに席を立ち礼を取った。
クラウスがカインの従兄弟であり、虎族次期王位継承者ということを抜きにしても、齧歯族とは比べようない魔力の高さを持つ彼に敬意を表するのは、下位種族のミレーユにとっては当然のことだ。
しかし、礼をするミレーユを隠すように、ナイルが前に立つ。
「これはクラウス様。本日はどういったご用向きで? 貴方様は、婚儀の日まで立入禁止だったはずですが」
「なんだ、まだミレーユ嬢に事実を黙っていたことを許してないのか。しつこいな」
そう言って面倒だとばかりに頭を掻くと、空いていた長椅子にどっかりと腰を下ろした。
「当然でしょう。お二人のすれ違いに気づきながらも放置し、愉快犯のようにそれを楽しんでいたのですから」
「世界の常識も知らず、ミレーユ嬢に心労を与えていたのはそっちだろう」
反省の色など皆無。その態度に、更なるナイルの説教が飛ぶかと思った矢先、今度はなにも知らぬカインが嬉々として部屋にやってきた。
「ミレーユ、贈り物を持ってきた!」
「か、カイン様……」
突然の婚約者の登場に、ミレーユの鼓動が一気に高まる。
以前と比べ、緊張することなく話せるようになったとはいえ、彼の整い過ぎた容姿と優雅なほほ笑みを不意打ちで食らってしまうと威力が大きい。
衣装を香でたきしめているのか、近づくと爽やかで落ち着いた香りが鼻腔をくすぐった。
(女性は皆、婚約者を前にするとこんな風に動揺してしまうものなのかしら?)
笑顔を直視すると声が裏返りそうで、ミレーユはあまりカインを見ぬよう、視線を下げたままそれを受け取った。
(……あら?)
てっきり毎日彼が採ってきてくれるチュシャの実だと思って伸ばした手。
しかし、両手に置かれたそれは、ふわふわとして温かった。
思わず下げていた視線をあげ、自分の手にあるものを確認する。
――――それは、長毛灰白色の子猫だった。
「……ね、こ……」
ミレーユが呟く。
これに顔色を真っ青に変えたのは、長椅子を陣取っていたクラウスだ。
飛び上がらんばかりに立ち上がると、カインに向けて吠えた。
「お前ッ、バカなのか⁉」
「クラウス……」
叱責をする従兄弟の存在に気づいたカインは、ミレーユに接する態度とは打って変わって、冷徹な瞳で睨む。
「なぜいるんだ? 城内立入禁止にしたはずだが」
「いま問題にするべきはそこじゃねぇ! 齧歯族の花嫁に、ふつう猫は連れてこねーだろう!」
猫は数少ない、進化せず古来の姿を保ったままの生きた化石といわれている。
しかしどれだけ小さく愛くるしい姿でも、猫は猫。
大昔の齧歯族の天敵だ。
花嫁に対する嫌がらせ以外の何物でもないだろうと喚かれ、カインはムッとして言い返した。
「私だってそこまで無神経じゃない。ミレーユが好きだと言っていたから連れて来たんだ」
それは一昨日のこと。
接触禁止など知るものかとばかりに、カインはミレーユを庭園へと誘った。
談笑を交わしながら園路を歩いていると、一匹の野良猫が横切る。
カインとて、猫がネズミにとって天敵であることはすでに履修済みだ。
ネズミが祖先であるミレーユが怖がらせてはいけないと、すぐに猫から離れようとした。
だが、ミレーユは怖がるどころかキラキラとした瞳で、我が物顔で花壇を歩く猫を目で追っていた。訊けば、自国には寒冷地という土地柄に加え、愛玩動物を飼うほどの余力がなかったこともあり、ほとんど猫がいないそうだ。
けれど、ミレーユはその存在を本で知ってからずっと、猫が大好きだったという。
好感度を爆上げしたいカインはこのことを思い出し、ミレーユにとってこれ以上に欲する贈り物はないと考えたのだ。
「なんて小さくて愛らしい……」
両手に乗せられた子猫に、ミレーユは頬を緩ませた。
カインの手で眠っていたのか、丸くなっていた子猫がちょこんと顔を出す。
愛らしい仕草に、身もだえしそうだ。
「本当に大丈夫なのか?」
カインのことを一切信じていないクラウスが問う。
ミレーユは緩んだ頬のまま、「はい」と強く即答した。
「齧歯族と言えど、自分たちよりもはるかに小さな生き物にまで恐れを抱くことは致しませんわ。とても可愛らしいです!…………ただ……」
そこでいったん言葉を切り、気まずそうに長椅子の上で眠りこけるルルに視線を移す。
すると、さきほど放たれたクラウスの怒声のせいで眠りから覚めたルルが、「ふわぁあ」と大きな欠伸をした。
「私は、大好きなのですが――」
「……へ? ふぇえええええ⁉」
小猫の存在を目にとめたルルが、大音響で叫んだ。
その声は、起き抜けにとんでもない猛獣と遭遇してしまったとばかりだ。
「なんでネコがいるんですかぁああ⁉」
猛獣の視線から必死で逃れるように、俊敏な動きで長椅子の背もたれに身体を隠す。
「ルル、この子はまだほんの子猫だから大丈夫よ。怖くないわ」
「小さくてもネコはネコですよ!」
それは悲鳴にも似た叫びだった。
カインが驚いて問う。
「ルルは、猫が駄目なのか?」
「はい……。幼少のころから大の猫嫌いで」
たまに近隣諸国に出向いたときに見る猫もダメ、それどころか絵本の挿絵すらダメだった。
「猫は古より愛玩動物ですから、齧歯族の中でも嫌う者は少ないはずなのですが」
これほど苦手意識を持つルルは、一族の中でも珍しい方だ。
過剰に恐れるルルに、クラウスがゆったりと近づく。
「こんな小さな猫のなにが怖いんだ。ほら、オレの方が怖いだろう?」
より強い本能的な恐怖を与えれば、少しは大人しくなると思ったのだろう。
クラウスは身体を屈め、虎族独特の金色の瞳を向けた。
しかし、ルルはきょとんとした顔で、初対面の男の顔を覗き込む。
「どなた様ですか?」
「この方はカイン様の御親戚で、クラウス様とおっしゃる虎族の方よ」
「とらぞく?」
ミレーユの説明にもピンときていないのか、ルルは首を傾げて再度問う。
「とらって、何ですか?」
「この猫に似た、もっとでかい生き物だよ。って、…………なんで脅えないわけ?」
進化せずにそのままの姿を保っている猫と違い、虎族は進化を望んだ生き物だ。
結果、齧歯族にとって本能的な恐れはいまだ付きまとう。
ミレーユの妹であるエミリアにも効果覿面だった。
だというのに、ルルはどれだけ見つめても、一切の脅えが感じられない。
これはミレーユのような、胆力で自我を保っているという話ではなかった。
完全な“無”だ。