花嫁衣装の行方Ⅲ
「こんな細かい刺繍、うちの国じゃ姫さま以外無理ですよ」
自室に戻り、ナイルから預かった受注書を確認していると、横から覗いていたルルがキッパリと言った。
「え? そう? とても繊細で華やかな意匠だけど、無心でしたらすぐにできないかしら?」
本心ゆえの言葉だったが、反してルルの目は半眼だ。どうやら呆れているらしい。
「うちの国で姫さまの次に仕事が早いのはサーシャですけど、サーシャでも期間内には三分の一も終わらないと思いますよ。ルルでもそれくらいの計算はできますからね!」
どちらかとポジティブ思考のルルに断言され、言葉を失う。
「難しい……かしら?」
受注書には、レースを編むのに必要な最高級の絹糸、刺繍に必要な布地や色糸、道具もすべて新品が与えられると記載されている。しかも事前に前金まで払われるのだ!
こんな素敵な依頼を国で聞いていたら、喜び勇んでいたはずだ。
そんなミレーユを理解しているからこそ、ライナス商会も仕事を引き受けたのだろう。
「となると、やはり私が仕上げるべきよね」
婚儀までの間、ミレーユに定められたスケジュールは主に二つ。
採寸や婚儀の打ち合わせ。そして個人的に頼んだ勉学の授業だ。
(正直、時間はあり余っているし……)
勉学に時間を費やすにしても、教鞭を執ってくれることとなった医竜官ローラはおっとりとした性格ゆえか、教えはゆっくりだった。
『まぁまぁ、若き花嫁。時間はたっぷりありますわ。そう焦らずともよろしいではないですか』
彼女の幅広い知識を聴くのはとてもすばらしいが、勉強というよりは談笑に近い。
亡き母は、暗記と理解を同時に頭に叩きこませる人だった為、よけいにそう感じてしまうのかもしれない。
ローラが家庭教師として決まる前に、ナイルにもお願いしてみたのだが、こちらには早々に断られてしまった。
『確かにわたくしは以前、カイン様たちの家庭教師として教鞭を執っておりました。ですが、いまになって己の力不足を痛感しております。そんなわたくしでは、とてもミレーユ様のお力にはなれないかと……』
なにやら遠くを見つめるナイルの表情は疲れ切っていた。
優秀な彼女の自信を喪失させるような何かがあったのだろうか。
竜族の男たちの並外れた嫉妬心や、忍耐のなさを日々実感しているナイルの心情などあずかり知らないミレーユは、首を傾げながらも、それ以上は口を閉ざした。
その後知ったことだが、そもそもナイルがカインたちに教えていたのは帝王学や、攻撃魔術が主。内容も、どれだけ攻撃の威力を抑えられるかに重点が置かれたものだった。
つまり、ナイルが教授していたのは魔力の制御であり、竜族の有り余る力の暴走を食い止めるもの。魔力総量が低く、誰かを攻撃できるような術を持たぬミレーユにはまったく必要のない知識だ。
(カイン様に己を磨くと宣言したからには、努力を惜しまないつもりだったけれど……)
なんだか一人意気込み過ぎて、空回りしているような気がする。
そもそも己を磨くとは、具体的に何に重点を置き、どう行動すればいいのか。
(いままでも、できることはすべてやってこれだもの……。もっと国にいたときとは違う方法でないとダメよね)
国で学んできたことを思い起こし、さてどうしたものかと考えを巡らす。
しかし、母国での日々を思い出すと、どうしても頭の中に妹のことが浮かび、思考を搦めとられてしまう。
(……エミリア、無事に嫁ぎ先に帰れたかしら)
カインからは、万事解決したと説明を受けたが、具体的な内容や、母国の対応がどういったものだったのかは知らされていない。疑っているわけではないが、彼の優しさが真実を隠しているように思え、どうしても気にかかる。
なにより、カインの言葉をすべて鵜呑みにできるほど、ミレーユは母国やエミリアが嫁いだスネーク国のことに疎くはない。
とくに年を重ねるごとに辛辣な態度で無理難題を突き通そうとする父と、思い込みが激しいスネーク国の王子には何度手を焼いたことか。
その二人に愛され、聖女として大切に育てられたエミリア。
自分よりもよほど優遇された生活を送ってきた妹はそれ故か、弱肉強食の名残である、魔力総量の高い者への敬意すら理解せず成長していた。
こちらに訪れたさい、ナイルにとった無作法な態度を考えれば、嫁ぎ先であるスネーク国での振る舞いも心配でならない。
(私がもっとお母様の代わりとなって、教えるべきだったのに……)
『――――たいした能力もないお前が、エミリアを守ろうとしたところで共倒れするだけだ』
ふいに耳によみがえった声に、きゅっと唇を噛む。
(そうだったわ……。それができない器量だったから、あんな忠告を受けたんだったわ……)
とたんに沈むミレーユの様子に、ルルが心配そうに顔を覗き込む。
「姫さま、どうされたんですか?」
「あ……なんでもないの。時間が余っているせいかしら、つい色々と考えすぎてしまうみたい。やることがないって贅沢だけれど、あまり私の性には合っていないみたいね」
誤魔化すように笑うと、ルルに気取られる前に花嫁衣装の件に話を戻した。
「やっぱり、どうにかしてお仕事を引き受けられないかしら」
ナイルは仕事量を心配しているようだが、受注書の内容なら、現在の手持ち無沙汰の状況を考えても充分期限内に製作可能だ。
「ライナス商会の会長さんがいらっしゃる前に、私がお手伝いさせていただけるよう、何か策を考えないといけないわね」
「そんなの考えなくても簡単ですよ!」
「え、本当?」
難題を承知で呟いた言葉に、ルルは意外にもさらりと返した。
ミレーユが嬉々としてその方法を訊ねる。
「竜王さまにお願いすればいいんです!」
「カイン様に?」
「姫さまが上目遣いでお願いしたら、きっと叶えてくださると思いますよ。女の子の上目遣いは最強だって、給仕係のメリーが言ってましたもん!」
母国でミレーユの給仕係だったメリーは、ルルと同じ年の少女だ。
結婚適齢期の彼女は、その愛らしい仕草で無事婚約者を獲得していた。
「メリーの上目遣いは最強かもしれないけれど、私では力不足よ。それに、カイン様のお手を煩わせるようなことは控えたいわ」
「でも、女の子はわがままなくらいが可愛いって、馬番のジョンが言ってましたよ!」
「そ、そう、ジョンが……」
ルルの教育上にはあまりよろしくない教えを施した母国の者たちに、ミレーユは苦笑いを零した。




