花嫁衣装の行方Ⅱ
そこで、ふと気づく。
「あの、私がこちらの花嫁衣装を着させていただいた場合、カイン様にも花婿のご衣装が贈られるのでしょうか?」
「いいえ。我が一族が献上するのは花嫁様のご衣装のみですわ。婚礼祭で着用する衣装は、竜王陛下と対である必要はございませんから」
夏至の日のみに執り行われる婚礼の儀では、対となる衣装が必須であることに対し、半年に及ぶ婚礼祭は別なのだと言う。
「なにより、竜族の婚姻に花婿はあまり重視されません」
「花婿が、重視されない……」
神の種族なのに? 竜王なのに?
正直、この国に来て一番戸惑ったのがこれだ。
竜族の民にとって、竜王は畏怖と敬意が捧げられる存在。それは間違いない。
だが、それ以上に重視されているのが花嫁だった。
女性蔑視の国で育ったミレーユからすれば、この考え方はいまだに慣れなかった。
「もちろん婚礼着は仕立てますが、多様性のある花嫁衣装と違い、刺繍の柄も紋章もほぼ代わり映えしません。婚礼の儀に用意されるご衣装も、仮式で着用されていたものに刺繍が増える程度かと」
仮式と言われ、ミレーユは記憶を遡る。
あのときは花嫁を間違っているとばかり思い込んでいたため、竜族を謀っている意識が強く、切羽詰まっていた。
残念ながら、彼の衣装まではあまり記憶にない。
覚えていることといえば、カインの膨大な魔力と美貌に圧倒され、呆然としてしまったことくらいだ。
(カイン様のご衣装は、どなたが仕立てるのかしら?)
特別な装いであればあるだけ、指がうずく。
ほんの少しでもいいから、刺繍を手伝わせてもらえないだろうか、と。
「――――なぜ、貴女がここにいるのです」
カインの衣装の事ばかりに気を取られていると、突如地を這うような声が部屋に響いた。
その辛辣さに、ミレーユはビクリと身体を震わせ、恐る恐る振り返る。
「ナイルさん……」
やはり声の主は、この国の女官長ナイルのものだった。
怜悧な美貌をピクリとも動かさず、寒々しいほどの無表情さで、ドリスを睨んでいる。
その後ろから顔を出すのは、同じ齧歯族の娘であり、ミレーユの侍女であるルルだ。
ルルはナイルのお怒りモードにもまったく怯んだ様子はなく、「あ、ドリスさんだ!」と嬉しそうにこちらへ駆け寄ってくる。
「いま、ナイルさんにお茶のいれ方を教わっていたんです。ドリスさんにもおいれしていいですか?」
無邪気にドリスに確認をとるルルを、ナイルは横から静かに制した。
「ルル様、ミレーユ様が使用中のお部屋に無断で侵入するような無礼者は、すぐに退出いたしますわ。お茶は不要です」
「あら、口うるさい方が来てしまいましたわね。せっかくミレーユ様との談笑を楽しんでいたというのに」
ナイルの嫌みにも、ドリスは飄々としていた。
「貴女は……あれほど術の検証については、日を考えなさいと申しましたのに」
「もちろんそのつもりですわ。ですが、貴女がいたのでは未来永劫叶わぬ気がしてきました」
二人の間に、バチバチと火花が散る。
ナイルとドリスは、けっして仲が悪いわけではない。
けれど、研究となると周りが見えなくなり、度を越してしまうドリスを、ナイルは女官長という立場から、あまりミレーユとは引き合わせたくないようだ。
以前約束した術の検証が未だ叶っていないのも、そんなナイルの妨害が原因だった。
ドリスは憮然とした態度で口を尖らせた。
「今日は花嫁衣装の反物を、ミレーユ様に見本として献上しに参っただけです。珍しい生地がお好きだとお聞きしましたので」
「花嫁衣装……」
これに、めったなことでは表情を変えないナイルが一瞬怯んだ。
そんな様子に、ドリスは「おや?」と首をひねる。しかし何かに気を取られているいまが退散のチャンス。ドリスはミレーユに向き直ると、退出の挨拶を告げた。
「それではミレーユ様、失礼いたしました。あ、こちらの反物はどうぞお好きにお使い下さいませ」
「……え? こ、こんなにいただけません!」
てっきり数ある反物は、柄を選ぶだけのものだと思っていた。
慌てて返そうとすると、ドリスは赤い唇を持ち上げてほほ笑む。
「あら、これはほんの一部ですわ。色打掛の反物は別ですし。仕立てたものをいれれば、婚儀前にはこの部屋をうめつくすほど届きます」
「この部屋を……埋め尽くす?」
ミレーユは思わず部屋を見渡した。
歓談用に使用されるという《光華の間》は、暖色系でまとまった華やかな部屋だが、その面積は子供が数十人走る回れるほど広い。この部屋をうめつくすとなると、かなりの量だ。
「他の種族からも同量が届くかと。この程度、お気になされるようなものではございませんわ」
そう言って涼しげな顔で部屋を後にするドリスの姿を、ミレーユは唖然として見送った。
(他の種族からも、同量?)
スケールの大きさに胃が軋む。
確かに妹であるエミリアが隣国の王子と結婚した際も、数多くの祝いの品を受け取っていたが、それでも部屋を埋め尽くすほどの量などではなかった。
(偽の花嫁の一件が解決すれば、もう胃が痛むこともないと思っていたのに……。とんでもない間違いだったわ)
ただでさえ虹石を使用した千枚という、ありえない花嫁衣装の数に恐れおののいているというのに。
しかし、そんな苦悩を抱え込んでいるミレーユよりも、切実に困っていたのがナイルだった。
テーブルに広げられた反物を見つめ、なにやらブツブツと呟いている。
「ドリスの一族なら……、いえ、あの一族にはもう手一杯の量を依頼してあるわ」
「ナ、ナイルさん?」
完全に目が据わっている。
普段、なにごとにも冷静な彼女が、ここまで追い込まれるに至った原因は、ひとえにミレーユにあった。
カインがミレーユとの婚姻を早急に指示したときから、その準備は粛々と進められていた。
何十社という商会を呼び寄せ、ドレス生地の買い付け、衣装に縫い付ける宝石の研磨、大量のドレスを仕立てるに足る優秀な針子の手配。
それらは完ぺきだった――――はずが、落とし穴は予想外なところにあった。
「あの……、私もお手伝いさせていただきますので、そのように思い詰めないでください」
千着のドレス。その五分の一にあたる依頼を一手に引き受けるはずのお針子が、よりにもよって名を隠し、母国で針仕事を行っていたミレーユ自身だったのだ。
商会からは、正式な依頼を受ける前にドレイク王国を訪れてしまったため、ミレーユもお針子の名簿を見たときは驚いた。
「いいえ! 竜王の花嫁となられる方に、そのような真似はさせられません!」
この件に関して、ナイルは頑なだった。
竜族にとって、竜王の花嫁はなにより尊ばれる存在。
なんでも、花嫁のいない竜王は邪竜となり、世界に害を与えかねないのだという。
つまり花嫁は世界を救っているのも同義。大量の手仕事をさせるなど言語道断らしい。
ならばと、ミレーユは言い方を変える。
「では、せめて私に依頼されるはずだったという受注書だけでもお見せいただけないでしょうか? 母国にも腕の立つお針子はおりますし、物によっては商会長さんとお話しして、そちらに受注をお願いすることもできるかと」
こちらも必死だった。
このままでは、ミレーユが依頼を快諾する見込みで仕事を引き受けてくれたライナス商会にまで迷惑が掛かってしまう。
(それだけは避けたいわ。昔からいろいろと便宜を図っていただいた方ですし)
懇願を含んだ提案が効いたのか、ナイルはすぐにでもライナス商会の会長を登城させるよう、手配してくれると言ってくれた。