花嫁衣装の行方
「どうぞミレーユ様、こちらはうちの一族からでございます」
国庫統括長である鳥綱族のドリス・イーナから、一本の反物を渡されたミレーユは、思わず「まぁ!」と感嘆の声を漏らした。
「とても素敵な布地ですね。刺繍の柄も初めて見る文様です」
鶴を祖先とする彼女の一族が織ったというそれは、美しい純白に銀糸と白糸で刺繍が施されたもの。素材は上質な絹だろうことが、肌触りのよさですぐに分かった。
「この銀糸で縁取りされた大きなお花は、なんという名前なのでしょう?」
グリレス国の第一王女として生を受けたミレーユだが、その祖先はネズミ。
下位種族ゆえに国力は弱く、財政は常に赤字状態。
母国では金策のために毎日のように針仕事を行っていたミレーユにとって、他種族が織った美しい反物は大変興味深い品だった。
「こちらの花は牡丹と言われるもので、うちの一族に昔から伝わる吉祥文様と呼ばれる柄の一つです。他にも桜、文、有職文様など数多くありますが、これらはすべて縁起のよい柄とされています。あ、これは蝶ですね。夫婦円満を願っているそうです」
別の反物を取り出し説明するドリスに、ミレーユはきょとんとする。
「夫婦円満、ですか?」
「はい。これらはすべて花嫁衣装を仕立てるために織られた反物ですから」
「え?」
彼女が運んできたのは一本や二本ではない。上等な反物が、木目の美しい桐箱の中にずらりと並んでいた。その箱も、少なくとも十箱はある。
初めて見る品に夢中で、よく趣旨を理解していなかったが、ドリスはこの反物を『一族から』と言った。
「つまり、これは――」
「慶祝の品ですわ。歴代の花嫁様にも、我が一族の反物を花嫁衣装に仕立て、婚礼祭で着用していただいております」
膨大な量にも驚いたが、続く言葉にはより一層驚いた。
「ドレイク国では、他種族の花嫁衣装を纏うことが許されているのですか?」
竜族の婚儀が長いことはすでに聞いている。
母国では婚儀は一日で終わるものだが、こちらは夏至の日に執り行われる婚姻の儀が終わると、その後は婚礼祭といわれるものが続き、その期間は半年にも及ぶという。
半年という長い期間、ミレーユの花嫁衣装として準備されるドレスはおよそ千枚。
そんな途方もない数を考えれば、その中の数枚が他種族の花嫁衣装だとしても、あまり問題ないということなのだろうか。
これに、ドリスが否定するように首を振った。
「許されているのは、我が一族の衣装だけですわ。これは初代花嫁様が着用した婚礼着ですから」
「――――!?」
驚きに開く口元を手で覆いながら、思わず問いかける。
「それは……、初代花嫁様は、鶴の一族のご出身であられたということですか?」
「いいえ、うちの一族ではございません。初代花嫁様は、古代人です。つまり――――人間です」
「初代花嫁様が、人間……?」
生物史についてはほぼ無学で育ったミレーユでも、『人間』がどういう生き物であったかは知っている。
動物の血が一滴も流れていない単一種族。
それゆえに、遥か昔に絶滅したのだ。
「我らの祖先は、初代花嫁様のお国に渡来し滞留していた鶴でした。その後、人へと進化したのちも、長らくその土地に居ついたそうです。この吉祥文様も、元は初代花嫁様のお国が発祥だと、古文書には記されています」
なぜ竜族の婚儀で、他種族でありながらドリスたち鶴の一族の装束を纏うことが許されているのかやっと理解できた。
この美しい純白の反物は、動物が人へ進化する際、失われるはずだった初代花嫁の国の文明を、鶴の一族が引き継いだものなのだ。
「そんな謂れが……」
「そうですわ! 古文書には、初代花嫁様は桜と有職文様の柄をお召しになられたと書かれておりました!」
ドリスは可愛いらしい花弁が特徴的な反物を手に取ると、柄がよく見えるように広げた。
「こちらの柄は桜という木がつける花をモチーフにしたもので、愛らしい柄がミレーユ様にピッタリかと!」
「あ、ありがとうございます……」
目をパチパチと瞬き、戸惑うミレーユの肩に生地を当て、ドリスは深く頷く。
「うん、やはりお似合いですね。ちなみに、仕立てるとこういった感じになります」
そう言って、桐箱の中に納められていた図案を手渡される。
見ると、ドリスが着用しているものに似た形状の、豪華で裾の長い衣装が描かれていた。
仕立て方も載っており、立体的なウエディングドレスとは違い、平面構成だ。
「こちらのご衣装は、襟も直線で縫うのですね……。縫う技術がしっかりしていれば、立体的なドレスよりも煩雑さはないように見受けられますが、着用は少々複雑なのでは?」
「まぁ、よくお分かりで!」
図案を見ただけで瞬時に告げられ、ドリスは驚いた。
齧歯族にとっては見慣れぬ衣装のはず。それを見た目の感想ではなく、構造から先に口にされるとは思ってもいなかった。
どう聞いても服の仕立てに携わっている者の見解に、そういえばと、ドリスが思い出す。
「ルルさんから、ミレーユ様は大層手先が器用でいらっしゃるとお聞きしておりましたが。もしや、そちらの総レースのショールもご自身で?」
椅子の背板に掛けていた藍色のショールに目をとめたドリスが言う。彼女は、それが竜族がよく使用する文様とは異なるものだと気づいたようだ。
「あ、はい……その、こちらのご衣装は肌を出すものが多いので、私には少し気恥ずかしくて……」
正確にいえば、肌を出しているのではなく、胸元を出している衣装が多かった。
花嫁を守るための盾、竜印が自分の胸元を彩っていることはカインやナイルから説明を受けている。その竜印の存在を他者にも知らしめるため、あえて衣装の胸元が開いていることも。
けれど魔力の乏しさから竜印を視認することができないミレーユにとって、大きく開いた胸元はただ貧相さを晒しているようで、どうにも気恥ずかしかった。
(どんな衣装でも着こなしてしまうカイン様の横に立つと、よけいにそう思ってしまうわ)
長身に加え、人々を魅了する美顔は、華やかな衣装すら敵わない。
どこの国の王族も、式典には豪華なものを身に纏うが、彼ほど衣装に着られていない王はそうはいないだろう。