プロローグⅡ
「待ってくれ、発つ前に一つ相談がある!」
「なにか火急の案件でも?」
立ち止まり、首を傾げるゼルギスに、カインは真顔で続けた。
「あぁ、火急かつ重大案件だ。――――ミレーユの、私への好感度を爆上げする策を講じて欲しい」
「…………はい?」
なにを言うかと思えば。
ゼルギスは思わず呆れた視線をカインに注ぐが、当人は至って真剣だった。
「エミリアの件をずっとうやむやにしているせいか、会うたびにそれとなく聞かれるんだ。これまでは適当な言葉ではぐらかしていたが、――――そろそろ限界がきた」
ミレーユの妹、エミリアは豊作を祈る祭り『祈年祭』で、国賓を出迎える役だったミレーユを邪魔に思い、猛毒であるドクウツギが練り込まれた菓子を食べさせていた。
エミリアは猛毒だと知らず、軽く体調を崩す程度だと思っていたようだが、竜印に守られていなければ致死量の毒だ。
到底許せるものではなく、カインはエミリアを含むグリレス国に対し、当然の要求――という名の脅嚇を行った。
それは、この事実をミレーユにはけっして漏らさないこと。
だというのに、
「このままでは、私が話してしまいそうだ!」
「しっかりしてください。毒を盛られた事実を知れば、苦しむのはミレーユ様ご自身ですよ」
妹に殺されそうになったなど、彼女には耐えられない事実だろう。
「それは分かっている。だが……」
ミレーユも母国の非を理解しているせいか、無理に問いただすことはしない。
ただ静かに、小さな肩をひっそりと落としているだけで――――。
「ミレーユに沈んだ顔をされるのは胸が痛い!」
「お気持ちはわかりますが、その後の間諜からの報告でも、エミリア様はこちらの命に反し、嫁ぎ先にも戻らず部屋に引きこもっているとか」
「あの娘は……、変な根性はあるんだな」
カインは呆れ半分で言った。
あれだけ脅せば、唯我独尊の虎族ですら逆らわないというのに。
部屋に引きこもれば、どうにかなるとでも本気で思っているのだろうか。
「現状は芳しくありませんね。ミレーユ様がこちらにいらしてから、日に日に使用人の数も減っているようですし」
もともと虫食いだらけの均衡は、ミレーユを失ったことで一気に崩壊の道を辿っていた。
「そんな状況をミレーユに知られたら、国に帰ると言われそうだな……」
「しかしミレーユ様がご帰郷されたとして、問題が一掃されるとは思えません。王があれですからね」
グリレス王の矮小さを思い出し、カインはため息を吐く。
「下手にこちらがテコ入れをすれば、ミレーユ様にすべてを知られる可能性もあります。なんらかの打開策があるなら別ですが。いま真実をお伝えしたところで、ご心労に繋がるだけかと」
「真実を話すことが得策ではないことは分かっている。だからこそ、ミレーユの私への好感度を上げたいんだ!」
「つまり、事の概要を話せない代わりに、ミレーユ様の喜ぶもので穴埋めしたいと。――――ご自分の力と知恵でどうにかなさってください」
「それが難しいから相談しているんだろう!」
必死な声で詰められ、ゼルギスは「はぁ?」と雑な返答をする。
どうやら何か妙案を出さなければ、発つことすら叶わぬらしい。
ゼルギスは呆れながらも、考えるそぶりで視線を上にあげると、普段はあまり意識しない天井画が目に入る。
白を背景に、雪の結晶を模るステンドグラスが、陽光に照らされキラキラと輝く。
これは、数代前の竜王が花嫁の希望で特注したものだった。
それはここだけではない。王宮には、その時代の花嫁が所望した部屋がいくつも存在していた。
ある花嫁は、滝のある庭園のような部屋を。
ある花嫁は、美しい宝石で装飾された部屋を。
ある花嫁は、夜空を美しく見ることのできる全面ガラス張りの部屋を。
どれほど難しいと思われるものでも、すべて可能としてきた。
それが竜王から花嫁への愛情の証であり、贈り物でもあったからだ。
「そうですね。とりあえずご機嫌伺いということで、なにかミレーユ様のお好きなものでもプレゼントしてみてはいかがですか?」
与えられた部屋ですら恐縮しているという彼女の性格上、大規模な部屋の改築はあまり望みそうにはないが、別の形で気持ちを表すことはできる。
しかしゼルギスの提案に、カインは難色を示した。
「好きなものと言われても、そもそもミレーユには物欲というものがないんだ」
カインとて何度も訊ねているが、返ってくる答えはいつも一緒だった。
『もう十分すぎるほどいただいておりますので、これ以上は心苦しいです』
困ったように眉尻を下げられれば、それ以上は強くは訊けない。
「では、ミレーユ様が拒めないほどお好きなものをご用意ください。――――それでは行って参りますので」
ゼルギスはおざなりに告げると、さっさと執務室を出て行った。
残されたカインは、一人頭を悩ませる。
「ミレーユが拒めぬほど好きなもの? そんなものがあれば、すぐに用意して…………あ」