変わらぬ想いⅪ
「たとえどれほど多くの枢密があろうとも、それを理由にカイン様を遠ざけることなどございません。ですから、どうか私にも教えていただきたいのです。カイン様が私との結婚のために無理をなさって竜王の儀式に挑まれていたことも、竜印の力のことも。隠すことなくお話しして欲しかった」
「…………」
「私に話すだけの価値がなかったと言われれば、返す言葉もございませんが」
「そんなつもりは毛頭ない! ただ、どちらも私にとっては些細なことで。ミレーユが気に病むようなことではないんだ!」
「……カイン様、私が婚儀を終え、無事に竜族の皆様方と同じ強靭な肉体を持ち得れば、長時間の針仕事をお許しいただけますか?」
突然の質問に、カインは訝しがりながらも首を振った。
「それは許可できない。ナイルも許さないと思うぞ」
「私にとって針仕事は些細な作業であり、日常茶飯のこと。気にされることではありません」
「いや、だが……」
「それとも、私が下位種族だから不安を抱かせるのでしょうか?」
「下位種族だからではない、ミレーユだから心配なんだ!」
カインにとってミレーユは庇護すべき者。
どれほど自分と同じ能力と肉体を持ったとしても、守るべき存在であることに変わりはない。
あらゆる敵から守り、あらゆる害から遠ざける。
それは魂に刻まれた本能に近い。
「……カイン様、それは私も同じです。貴方様が素晴らしいお力を持つ竜王であろうと、どれほど敵のいない存在であろうと関係ありません。大切な方だからこそ、その身を案じるのです」
想いは同じだからこその痛心を口にされれば、カインもしばし考え込む。
「――分かった。これからはちゃんとミレーユに伝えよう。だが、竜印の攻撃を口にしなかったことは、私の身勝手な欲心が理由なんだ。婚儀までは触れてはいけないと分かっていても、どうしてもミレーユに触れたかった……!」
そう言って、カインはグッと右手の拳を握り締め、語気を荒らげる。
しかしすぐにその右手を緩め、
「それにしても解せない。なぜ竜印は消えたんだ? いや、厳密には消えてはいなかったが……」
不思議そうな瞳で自身の右手の甲を見つめると、おもむろにその手を、ミレーユへと伸ばした。
竜印の力によって爛れてしまったカインの腕を思い出したミレーユは一瞬身構えたが、手と手が重なっても、なにも起こらず。
ミレーユの温かなぬくもりだけが感じられることに、カインは首を捻った。
「これはどういう原理なんだ? 竜印が攻撃をしてこないとは」
カインが感じ取れるのは、竜印がまるで『まて』を覚えさせられたかのように、じっと堪えているような感覚だけ。だが本来、竜印にそんなことはできない。
「竜印に止めてくださいと、お願いしたからでしょうか」
「えっ? あのときのあれは、竜印に言っていたのか?」
「は、はい」
恥ずかしそうに答えれば、カインは目を丸くして驚き、そして笑った。
「ミレーユは、やはり不思議だな。竜王の儀式は、力の継承だけが主ではなく、莫大な知識を脳に刻み込まされるが、ミレーユの持つものはそれらのどれにも当たらない。ミレーユと話していると、自分の価値観が覆されることが多い……。はじめて出会ったときもそうだった」
十年前に出会った小さな女の子は、必死に国の未来を築こうとしていた。
ドレイク国の根幹は堅固だ。難しい国策を練る必要もない。それゆえに、怠惰な父親よりは仕事をすればいい程度の認識しか持っていなかったカインの心を変えてくれた。
だからこそ、次に抱いたのは、自分とは違うものを持つ少女の心が砕けぬよう、守ってあげたいという強い感情――――。
カインはミレーユの両手を自身の両手で包み込むと、ほんの少し引き寄せた。
いまは怒りの欠片もない紅蓮の瞳を向け、静かに語り掛けた。
「他種族からすれば、うちの一族が異質な自覚はある。その一族に嫁ぐことがどれだけ重荷かも。それでも、私は君と結婚したい。このさきの未来を、君と紡ぎたい。――――どうか、私と結婚して欲しい」
それは三度目の求婚だった。
今回の騒動で、思うところがあったのかもしれない。
いまいちどハッキリと言葉をくれる彼に、ミレーユの強く頷いた。
「もちろんです。この先の未来をカイン様と紡ぐことをお約束いたしましょう」
「――ッ」
告げるなり、身体を引き寄せられ、強く抱きしめられる。微かに手が震えているように感じたのは、きっと思い違いではないだろう。
じんわりと、カインの体温がミレーユの中に溶け込むような心地に目を閉じる。
そんな穏やかな空気が流れたのも束の間――。
カインはミレーユを抱き留めたまま扉の方へと目をやると、なぜか「ナイル!」と声をあげた。
(え?? ナイルさん?)
なぜこのタイミングでナイルの名を呼ぶのか。
あっけに取られていると、すぐさま扉が開け放たれ。
そこにはナイルを含む七人の女官たちが待機している姿があった。
(せ、せめて抱きしめている腕を放してから呼んでいただけないでしょうか?!)
まさか待機しているとは思っていなかったミレーユが羞恥と驚きにカインの腕の中でのけ反っていると、そのナイルたちの後ろに、数えきれない女官の整列が見え、今度こそ思考が停止してしまった。
数にして数百人はいるだろうか。
ドレイク国を訪れてから、これほど女官が勢ぞろいしているなど初めてで、その多さに驚く。
(でも、なぜいまここにこれほどの女官の皆様が?)
呆然とするミレーユをよそに、カインはナイルに向かって叫んだ。
「ミレーユからの再度の了承は得た! いますぐに婚儀の準備に取り掛かれ!」
「御意に。準備は万全です」
「???」
心得たとばかりのナイルの返答に、ミレーユは目を白黒させる。
「えっと……いまから婚儀の準備をされるのですか? もう夜も更ける時間ですし、明日の朝では遅いのでしょうか?」
率直な疑問。しかし返ってきたのは意外な答えだった。
「ミレーユ、あのバカ鳥が君を攫っていなければ、本来なら仮眠の後に伝えるはずだったんだが。――婚儀は夜半に執り行われる。子の刻の正刻の鐘と同時に」
「え……夜半?」
バッと後ろを振り返り、壁に掛けられた時計に目をやる。
時刻はすでに宵五つを過ぎていた。
「!!?」
あまりに時間がなさすぎる。
一気に青ざめるミレーユは、恐る恐るカインに問いかけた。
「あの、今更なのですが、私はなぜほぼ当日にしか教えられないのでしょうか?」
「それは……ロベルトから助言を受けていて」
「お兄様が?」
「ロベルト曰く、あまりに早く婚儀の内容をミレーユに伝えれば、戦慄のあまり婚儀に対してしり込みするのではないかと」
それでもさすがに昼食と仮眠を取らせた後には説明する予定だったのが、ルトガーに誘拐されたことですべての予定が狂ったらしい。
(だからお兄様、あのときあのようなお顔を……)
ロベルト本人も、まさかこんなギリギリまでミレーユに伝えられないとは思っていなかったのだろう。
「竜王の婚儀は、そのような戦慄を抱くほど恐ろしいものなのですか?」
「いや、普通だと思うが。ただ、ロベルトは齧歯族の婚儀では火山噴火や海底爆発を行うことはないと言っていたな」
「……いま、なんと仰いました?」
火山噴火? 海底爆発?
なにやら不穏な言葉の羅列を聞いた気がする。
「《天地開闢の儀式⦆と言うんだが、大したことはない。少し山を噴火させて、海底の水しぶきを浴びる程度だ」
「え……?」
意味が分かりかねる。
山の噴火を『少し』という副詞で表すことはおかしくないだろうか。
海底の水しぶきを浴びる程度とは、いったいどれほどの水量を言うのか。
想像を絶するあまり頭痛を覚え、痛む額に右手を添えていると、その手をカインに掴まれ、懇願される。
「ミレーユには本当にすまないと思うが、私はどうしても一年延期を我慢できない!」
「あ、あの、ち、ちょっとお待ちいただけますか……少々、混乱して……」
婚儀まで時間がないという切羽詰まった状況もさることながら、婚儀の後に執り行われるという火山噴火もろもろのことばかりが頭を占めて考えがまとまらない。
「カイン様、さすがにミレーユ様がお気の毒ですよ。もはや触れることすら竜印に邪魔されないのであれば、無理に婚儀を強行されるより、一年延期の方が得策では?」
慌てふためくミレーユをさすがに不憫に思ったのか、ナイルの横からするりと現れたゼルギスが助け舟を出してきた。後ろから、ルルがちょこんと顔を出しており、その頭には定位置とばかりにけだまが載っていた。
ゼルギスの進言に、カインは睨みつけるような視線を向け。
「では逆に問うが、お前なら延期するか!?」
「ご冗談を」
ゼルギスは笑って返した。即答だった。
結局、議論はそこで終わった。
否、そんな時間はなかったという方が正しいだろう。