変わらぬ想いⅦ
「――ッ」
過度な力を使用したことで、ミレーユの身体はすでに限界に達していた。
ルトガーたちに施した術は、仮死の術を応用したもの。
水晶石を利用したことで、第三者の妨害を受けることのない固い守りとなり、中の柔らかな繭は身体を包み込み、深い眠りに誘う。
いままで自身にしか使用できなかった仮死の術だが、胸元から流れ込む膨大な力が、それを可能とし、やり方は直感で分かった。
けれど、その代償は決して少なくない。
(ダメ……この身体では、これ以上力の放出に耐えられない……っ)
目が回り、立っているのがやっとの状態。気を抜けば朧になる意識を叱咤し、遠くの音に耳をやった。聞こえてくるのは、風を切る馬の脚。鷹族の援兵が来たのだ。
(速い……。もうここまで来ている。でも、もう術は使えない……)
ふらつく間にも、最高階へと駆けあがってきた兵は軽く見積もっても数十人。下にはもっと数多くの兵がいるだろう。
彼らもこの現状をすぐには把握出来ずにいたが、氷柱のように立つ異様な塊の数がルトガーと連れて行った兵の数に合致したことで、憤怒の形相で臨戦態勢をとる。
(なんとかこの場を切り抜けて、カイン様の元へ帰らないと……!)
いまここで気を失えば、そのチャンスを永遠に失うかもしれない。
その時だ――。
雨雲が空を覆い、大地に怒りの鉄槌を落とすような雷が鳴り響いた。
異様なまでの天候に、鷹族の兵も空を見上げる。
本能で分かるのだ。ひどく恐ろしいものが、近づいて来る気配が。
果たしてそれは現実となり。
厚い雲によって太陽の光を失った暗闇に大きな稲妻が落ちた瞬間、赤黒い鱗が塔を覆っていた。
「カインさ、ま……?」
その姿を見ただけで、安堵に肩の力が抜けた。
初めて見たはずの元始体の彼の姿がなぜかひどく懐かしく思え、気づけばミレーユの頬には一筋の涙が零れていた。
❁❁❁
「せっ、赤竜王の、元始体だ!」
上位種族の鷹族と言えど、竜王の元始体の姿に耐えられる者は少ない。
恐怖におののく彼らに構うことなく、巨体は塔をぐるりと旋回する。そして、大きな瞳がミレーユを捉えると、そのまま柱を破壊しながら入り込んできた。
バキバキという、水晶石の柱が破壊される轟音が響き渡る。
竜の巨体がミレーユの背後にまわり、敵を威嚇するように一声上げれば、それだけで何人もの兵が倒れていく。
赤竜王の怒り狂った元始体は、まさにこの世の終わりを表しているかのようで、ルトガーという統率者のいない群れには あまりに強大な存在だった。
「ミレーユ!」
兵のほぼ全員が倒れると同時に元始体を解いたカインは、ふっと崩れ落ちるミレーユの身体を抱き留めた。
「……ミレーユ?」
ふだん薄紅に染まっている頬が白く染まり、温かい指の温度は消えていた。
最愛の人は息をしていなかったのだ。
腕の中でぐったりと倒れ、垂れ下がる腕が青白く光る姿に、カインの思考は一瞬停止した。
しかし、次の瞬間、強烈な衝撃が身体をバラバラに切り裂くように走る。
「ッ!!」
衝動のままに世界のすべてを焼き尽くし、草一つ生えぬほどに再起不能にしてしまいたくなるような怒り。
そんな燃え盛る怒りの炎を発しようとしたカインの耳に、この場にそぐわない陽気な声が届く。
「寝ているだけですよ」
「――!?」
「だから、姫さま寝ているだけですって」
いつの間にそこにいたのか。腕に抱きかかえるミレーユの顔を覗き込むルルの姿に、カインはしばし硬直した。
「え、……寝てる?」
「はい、寝ているだけですよ。姫さまの術です。前、お聞きしたんじゃないんですか?」
「……あっ」
虚空を見上げ、いつかの話を思い出す。
もう一度ミレーユの様子をじっくりと、落ち着いて窺う。
やはり呼吸はしておらず、体温は消え、脈もない。
「いや、完全に事切れているようにしか見えないんだが!?」
自分で言って絶望のあまり吐きそうになるが、ルルは胡乱な視線を向け「なんで分からないんですか?」とばかりに眉間に皺を寄せた。地味に傷つく。
「そもそも、ルルはどうやってここに?」
「ふぇ? ゼルギス様に連れてきてもらいましたけど」
「ルル、殺気立ったカイン様に近づいてはいけません!」
塔から少し離れた空中に、翼をきって必死にこちらに向かってくるゼルギスの姿が見える。
「……ゼルギスは上にいるようだが?」
「さきにぴょんと飛び降りて、走ってきちゃいました」
「…………」
普通のことのように言っているが、あのゼルギスを出し抜いてここにいることがまず普通ではない。
「いや、まずはミレーユのことだ。本当にミレーユは寝ているだけなのか?!」
「うーん、宵五つくらいまでは起きないですね、これ」
「見ただけでどうして分かるんだ!?」
それは日ごろからミレーユと接していれば分かることなのか、それともルルの能力なのか。神の種族と言われているカインでも理解が及ばない。
「だが、そうか。仮死の術か……」
これが仮死の術ならば、ミレーユは気絶する瞬間、無意識に術を展開したことになる。逆に言えば、それほどの消耗があったということ。
「腹立たしい……!」
ミレーユが無事であったことに、なんとか怒りを収めようとしたが、すべてとはいかない。
彼女を誘拐したことも、無意識に仮死の術を展開し、身体の充足に充てねばならないほど力を失わさせたことも。すべてがカインの逆鱗に触れた。
ワナワナと怒りを抑えきれないカインの袖を、ルルは「竜王さま、竜王さま」と呼びながら引っ張る。
「姫さま、口にはしないですけど」
「ん?」
「本当は、すぐにイライラして暴力的になる人のこと苦手なんです。竜王さまもあんまり怒ってイライラしていると、姫さまに嫌われちゃいますよ」
「――ッ!?」
にこっと笑って言われ、頭から冷や水を被せられたかのように全身の血が凍る。
「き、嫌われる……?」
「婚儀をあげる前に嫌われたら、結婚できなくなっちゃいますね!」
あっけらかんと無邪気に言われ、カインはゆっくりと左右を見渡した。
塔は崩壊一歩手前ではあるものの崩れることなく。ミレーユがかけた仮死の術が、失った柱の代わりに建物を支えていた。
鷹族の兵たちは威圧にあてられて気絶しているものの、死傷者はなし。
一通り現状を把握したカインは、ミレーユを両手に抱きかかえたまま、
「――よし、まだセーフだな!」
そう、ぬけぬけと宣った。




