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変わらぬ想いⅤ


 ミレーユの異変には気づいていた。


 竜族の陰惨な過去が、よほどショックだったのか。


 額をおさえ、膝から崩れ落ちた身体はいまも立ち上がれずにいる。


 身体を支えるように床に両手を当て、苦しいとばかりに呼吸を繰り返すミレーユを、ルトガーは半眼で見下ろす。


 これは、どうやら精神的なものだけではなさそうだ。


(所詮は下位種族の姫。威勢よく振る舞っていても、無理がたたったか)


 移動中も常に威圧を放ち、ミレーユの身体に負荷をかけ続けた。その効果がやっと出てきた のだろう。


(ここまで弱れば、あとは――――あとは、どうすればいい?)


 竜印が消えた原因が実際どちらにあるかは分からないが、ルトガーに向けた赤竜王の嫉妬の焔から見ても、ミレーユの人質としての価値は十分にある。


 彼女の命と引き換えに、非戦を強いられてきた告示を解かせ、長年の仇をこの手で打ち取れば、きっと失った命も報われるはずだ。


 そうなれば、やっと自分にも眠れぬ夜が明け、明るい日差しが舞い込む。


(…………本当に、そうだろうか)


 自分は何か、大きな過ちを犯していないか。


 神の種族たる竜王の宝を奪ったのだ。その報いの大きさは計り知れない。

 眩暈と動悸が強くなる。身体全体が早鐘のように、心臓が鼓動を刻む。


(いや、間違ってなどいない。私は鷹族の領主として、誇りある戦士として戦い続けなければならないのだから)


 そのためなら、どんな手段も択ばない。


 ルトガーは自分に言い聞かせるように心の中で囁き、疑問を押し殺した。


 ふと気づけば、苦しんでいたはずのミレーユが、静かにルトガーを見つめていた。

 その表情にさきほどまでの苦悶はなく、磨き上げられた宝石のような秀麗な気配が漂っていた。


 なんだ? と訝しむ。さきほどまでとは雰囲気が違う。


「……だったのですね」

「?」


 小さな呟きが聞き取れず、耳をすます。


「ここは、霊廟だったのですね。戦火で命を落とされた方々の」

「――っ」


 今度は明確に聞き取れた言葉に、思わず声が零れた。


 この塔は、数年前ルトガーが領主を継いだと同時に建立させたもの。

 燦燦とした陽が当たる、異国の者ではなかなか辿りつけない場所を選んだ。


(……いや、特段驚くことでもない。塔の造りからして、想定することは容易いはずだ)


 そう思うも、ルトガーを見据える黒曜石の瞳はこちらの心を見透かしているようで、どうしても焦りが生じる。


 彼女はゆっくりと立ち上がると、視線を奥にやった。ルトガーの後ろにある石碑に。


「ルトガー様、私を使って仇を取ったところで、シルビオ様はお喜びにはなりません。貴方様を案じるあまり、魂をこの地に縛り付けるだけです」

「な……っ?!」


 懐かしい名を口にされ、ルトガーは声もなく立ち尽くした。


 指からするりと剣が落ち、ガシャンという耳障りな音をたて床に転がっていく。


 後ろに控えていた兵たちの顔にも動揺が走り、どういうことだとばかりに顔を見合わせている。


「なぜ、その名を――」


 石碑に名は刻まれていない。刻まれているのは死を悼む国詩のみだ。


 絶対に彼女がシルビオの名を知るはずがない。


 ルトガーの右腕として戦場を駆け回っていた彼が亡くなったのは、十年前。いまや側近たちの中にも、彼を知らない者は多い。


 なのに、なぜ?


「どこで……、どこでその名を知った!?」


 余裕のない叫び声をあげるルトガーに、静かな双眸が向く。


 諭すような眼差しを湛えた黒曜石の瞳が、亡き戦友を思い起こさせ、顔が強張った。


「大切だった方の死の辛さは、私にも覚えがあります。ですが、その死から目を背けるあまり、貴方様がとった行動は、焚きつける必要のない業火を国民に浴びせるようなもの。その行いは許容できるものではございません」


 彼が生きていれば、きっとこの娘と同じ諫言を口にしただろう。


 何を考えているんだお前は、と呆れた色を瞳に乗せて。


「ッ!」


 分かっていた。この行為に意味などないことは。


 ただひたすらに国民を危険に巻き込むだけだということは。


 それでも――――。


「うるさいっ! 戦う力を持たず、ただ唯々諾々と強者に従うことでしか存続できない下位種族の小娘がっ。赤竜王に守られてきた貴様に何が分かる!? 戦場の血の匂いも、弔うこともできずに腐敗する遺体の山も知らずっ。本当の地獄を見たことがないからそんなきれいごとが言えるんだ!」

「ならば、また始めたいのですか?」

「なに……?」

「そんな戦いを、また始めたいのですか? 告示を取り消せば、その屍の山となるのはいまの子供たちですよ」


 凪のような声。けれど、その声には静かなる怒りが込められていた。


 他国の民であろうと、そんなことは絶対に許せないという強い怒気が。

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勘違い結婚
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