消えた竜印Ⅶ
「手の甲から竜印は消えているのに、竜約が解消されてない? そんなことできるのか?」
エリアスがオリヴェルに問う。
竜約を交わすことなく婚儀をあげたエリアスにとって、この辺りの感覚はまったく理解できないものだった。
「できるんじゃない」
「どうやって?」
なおも問えば、オリヴェルは少し考え。
「術を書き換えるとか、かな」
「父上、簡単に言いますが竜約は初代竜王が施した術ですよ。術の書き換えは、私には不可能です」
そんなことができるなら、とっくにそうしている。
それが不可能だったからこそ、回復特化でミレーユに触れていたのだ。
オリヴェルは、カインの否定にも「ふーん」とおざなりの返事をしつつ、
「これがカインの意思でないのなら、できるのはお前の花嫁しかいないね」
と、とんでもないこと言ってきた。
これにはカインだけでなく、その場にいた全員が絶句した。
「ミレーユが術を施したというのですか? まさか……」
何のために?
いや、そもそもそんなことが本当にできるのだろうか。
「ミレーユは魔力が低いんです。とても竜約の書き換えなどできるはずがありません」
「あの子の術は魔力じゃなくて陽力でしょう。陽力は竜約と同じ古代魔術だから、書き換えられるじゃない」
「陽力を術として使用しているというのですか? いや、まさか……。それは失われた術ですよ」
「でも、ゼルギスが僕を連れて行ったあの氷の大地から感じられたのも陽力だったよ」
あまりにサラリと言うので、カインは思わずゼルギスを振り返った。
そんな報告は受けていない。ゼルギスから受けたのは、やはりオリヴェルでも探知できなかったということだけだ。
ゼルギス本人もギョッとして、目を見開いて問う。
「兄上っ、お連れした際、そのようなことはいっさい仰られなかったではありませんか!」
ミレーユが術で張った氷に触れても、オリヴェルはとくになにも言わず、ただ一言「眠い……」としか発しなかった。
「どうしてその場で教えてくださらなかったんですか!?」
「え? だって、とくに聞かれなかったし」
なんで怒ってるの? とばかりにオリヴェルが不思議そうに首を傾げる。
絶句するゼルギスに、クラウスは呆れたように言った。
「いっとくけど、こっちからすればお前らはいつもこうだからな」
説明不足。
そもそも分かっていないことが分かっていないので、理解させようとする気がない。
「竜族の欠点が、全部合わさった結果がこれか……」
吐き捨てられるも、その点についていま取り上げている時間はない。
「と、とにかく、まだ竜印が繋がっているならミレーユの位置を割り出せる!」
いち早く気を取り直したカインは、ミレーユの居場所を探し出そうと構えると、突如、腹部に衝撃が走った。
強い体幹を持つゆえに倒れることはなかったが、驚いて下を見れば、それは弾丸の速さでカインに突進したルルだった。
「むぅ~~~~っ!」
激突したさい、額を打ったのかほんのりと赤く染まっている。
「ルル!」
すかさずゼルギスが己の魔術でルルの額を治療しつつ「ルル、飛び込むなら私の腕にしてください!」とカインを睨んだ。
「いまお前のやっかみを聞いてやれるほど、私の心に余裕はないからな!」
言いながらも、ミレーユの消息不明に切羽詰まっていたカインにとって、ルルの姿は束の間の安堵をもたらした。
ミレーユがルルを置いて、一人どこかに消えるなどありない。
もしも自分の意志で城を出たとしても、きっとルルも一緒に連れていくはずだ。
ルルがここにいるということは、自分の意思である可能性は低い。
「ルル、ミレーユを知らないか!?」
両肩を掴んで問い質せば、かなり急いで走ってきたのか、ルルの息は弾んでいた。
ゼーゼーと、呼吸するのもキツそうだが、ルルはぐっと息を止めると、いっきに吐き出すように叫んだ。
「だからルル、ヘビとトリとネコ は嫌いなんですぅうう!」
私怨たっぷりの言葉に、一瞬ぽかんとなる。
「いまルルの好き嫌いを聞いてやれるほど、私の心に余裕はないんだが……」
「あの変な仮面被ったトリが、姫さまのこと連れていっちゃいましたぁああ!」
「――は? 変な仮面被った……トリ?」
ざっと、記憶がよみがえる。
そうだ。忽然と姿を消す前に、自分以外にもミレーユと話していた人物がいた。
あの場からすぐ去ったと思い込んでいたが、もしあの男が潜んでいたならば。機会を伺っていたのなら。
カインは顔から表情を消し、もう一度竜印を探った。
怒りでさらに研ぎ澄まされた集中力。
それによって割り出せた位置は――――。
「鷹族の、領土内だ……っ」
理解した瞬間、沸々と煮立っていたなにかが、いっきに溢れ出す。
地面がグラグラと揺れ、なにもないところから煙があがる。
嫌な予感に、クラウスの背筋に怖気が走った。
「お……、おい、待てよ! お前っ、自分が赤竜だって忘れてるんじゃな――ッ!」
制止が言い終わる前に、大量の蒸気が辺りを包んだ。煙から微かに見えるカインの身体が、紅蓮に染まっていくのが分かる。
「ルルっ、こちらに!」
「ふぇ?」
ゼルギスはすぐさま動き、一番カインの近くにいたルルを引き離し、庇うように自身の身体で覆った。
それはほんの一瞬だった。
目をパチパチと瞬かせるルルの目には、もういつものカインの姿はなく。
そこにいるのは、灼熱の蒸気と共に唸り声をあげる――――巨大な赤い竜。
黒竜のオリヴェルと違い、赤竜の元始体は、常に火炎を放っている。その身体に触れれば、瞬時に灰となる。
「お二人ともっ、動かずそのままで!」
元始体になるさいに放たれた威圧と火炎によって地面に沈んだクラウスとイライザにナイルが叫ぶ。上位種族とはいえ、赤竜の元始体から放たれる魔力には太刀打ちできない。ナイルは風の術でシールドを張り、二人を守った。
守りに徹するゼルギスとナイルの代わりに、充満する威圧と火炎を抑え込む任を負ったのはオリヴェルとエリアス。
「たくっ、自分の魔力くらい自分で制御しろ」
エリアスは文句を言いつつ燃え広がる炎を消火するも、二人の力を行使しても、凄まじい威圧と魔力の火炎は簡単には消滅できず。
苦戦する両親をしり目に、火炎をまとった竜が天へと翔けていく。
そんな息子の姿に、エリアスはさらに毒づいた。
「成竜になっても面倒をかけるとは、手のかかる……ん?」
ふいに、エリアスが手を止めた。
大きく燃え上がる炎が手をかすめたことで、あることに気づいたのだ。
「なんだ、この火炎は……。攻撃に回復術が付与されて、無力化しているじゃないか」
そのことに気づけば、炎の大きさに熱さを感じていたのも脳の錯覚だったと分かる。
とはいえ、火炎は無力化しても、放たれた威圧は精神攻撃。完全なる無害とはいえない。
現に、クラウスたちはいまだに地面に這いつくばっていた。
「あいつ、意外に器用だな」
「伯母上っ、感心していらっしゃらないで、早くこの威圧を解いてください……!」
途切れ途切れながらも必死で懇願するクラウスに、エリアスは呆れたような視線を投げた。
「我が一族の王子がなにを軟弱なことを言っている。この程度の威圧で腰を抜かすな、情けない」
「む、無理をおっしゃらないでください!」
声を出せるだけでも良しとして欲しい。
イライザに至っては、声すら出せない状況だ。
けれどエリアスは納得せず。
「泣き言を言うな。あっちの子ネズミはあんなに元気じゃないか」
「は……?」
エリアスが指さす先は、ゼルギスに庇われているルルだった。
ルルは庇われる必要などないのではないかというほど、キラキラとした瞳で空を見上げ、
「うわぁ、すっごく大きくて赤いトカゲでしたね!」
キャッキャッと無邪気に喜んでいる。
クラウスは愕然とした。
「嘘だろう。なんなんだ、あのネズミ……」
折れたプライドを無理やり完治させたばかりだというのに、またもや深い傷が刻まれていく。
その原因を作った張本人は悠々と飛び立ち、いまやその姿はなく。
クラウスは唇をワナワナと震わせ、盛大に吠えた。
「一回くたばれっ、くそ竜がぁああああ!」




