消えた竜印Ⅵ
「どういうことだ……なぜミレーユがどこにもいない!?」
その後、城の者総出で捜索させたが、ミレーユの姿はどこにも見当たらなかった。
分かったことは一つのみ。
「お昼寝をされていらっしゃったはずのルル様の姿も見当たりません……」
苦痛を滲ませた顔で報告するナイルに、カインだけでなくゼルギスの表情も凍り付く。
「しかし、お二人が城下に降りたとは考えられません。ミレーユ様が放つ陽力は日増しに増え、あの陽力に門番が気づかぬはずがございません」
ならばどうやって?
「せめて竜約があれば、繋がりを辿ることができたというのに……」
カインの右手にあった竜印は完全に消滅し、いまや見る影もなく。
それが、何より不安を募らせる――。
(竜約がない状態では、ミレーユの身に何かあったとき守るものがなにもない!)
もしもミレーユが誘拐でもされたというのならば、上位種族ばかりが集う南の大陸では、齧歯族のミレーユでは守る術も、戦う力もない。
考えれば考えるだけ、不安感が増す。
焦りと苛立ちで煮えたぎるものが、足元を揺らがせる。
そんな緊張感の中、悠々と現れたのはクラウスだった。
「おい、何かあったのか? 城内がやたら殺気立っているのはどういうことだ。まさか宴の一環とか言って、戦でも起こす気じゃないだろうな」
彼の後ろには、茜色のドレスに身を包んだイライザの姿があった。
クラウスに無理やり連れてこられたのか、口元を曲げ、不貞腐れた態度を見せるイライザの態度に、カインは疑いの目を向けた。
「――まさか、嫌がらせの一種でミレーユを連れ去ったんじゃないだろうな?」
詰問する声は低く、抑えきれず魔力が溢れ出た。上位種族の虎族でなければ、身を竦めるほどの量だ。いや、虎族であっても無事ではない。イライザは、小さく悲鳴をあげた。
「連れ去ったぁ? ちょっと待て、どういうことだ?」
脅えのあまり兄の後ろに隠れるイライザの代わりにクラウスが尋ねる。
「ミレーユの姿が消えた。肯定か否定だけでいい。お前たち、よもや関わっていないだろうな?」
暴れ出しそうな魔力を抑えるため、最小限に告げた問いかけにも、クラウスはすぐさま事態を呑み込んだらしい。
しかし、その問いにすぐさま否定したのはクラウスでもイライザでもなく。
「あり得ない」
夫を引き連れ、堂々たる足取りでこちらに向かってくるエリアスだった。
「うちの一族が、お前の花嫁を害するなどあるはずがないだろう。竜族に刃を向けるとなれば、それは王の判断だ。この私が命令していないことを実行するなどあり得ん」
まるで自分が虎族の王だと言わんばかりの発言に、カインは心底呆れた。
「母上、貴女はいつまで虎族の王でいるおつもりなのですか」
実際は王位を継ぐ前にオリヴェルと婚儀を挙げているため、在位期間すらない。
だというのに、エリアスの態度はあくまで虎族の王そのものだった。
「当然だろう。私よりも強い者が虎族の中にいるか?」
強さこそが虎族の王たる証だと豪語するエリアスは、どうやら黒竜王の花嫁という立場だけでは飽き足らず、虎族の王冠さえ自分のものだと考えているらしい。
この貪欲さは、強欲な竜族すら凌ぐ。
そんな母の態度には呆れるが、イライザだけでなく、時期王位継承者であるクラウスまでも、「そうだそうだ」とばかりに肯定し、首を縦に振っている姿にはさらに呆れた。
この一族もどうかしている。
揺るぎのない自信を見せるエリアスに、それまでクラウスの後ろに隠れていたイライザが援護をもらったとばかりに声を張り上げた。
「そうですとも! いくらあの娘が気に入らぬからといって、竜王の花嫁となる者を誘拐などいたしません! 戦争の引き金どころか、国を滅ぼす所業ではありませんか。わたくしはそんなことが分からぬほど愚かな女ではございません。大体、そういう大それた行いと戦いに直結する荒事を好むのは、男と相場が決まっています!」
クラウスの後ろに隠れたまま、イライザは高飛車に言い放つと、ふん、と顔を背けた。
いや、いま目の前に戦いを好む女がいるじゃないかと自分の母親を指さしそうになったが、カインにとっての最重要事項はミレーユ。イライザが犯人でないのであれば、どうでもいい口論で無駄な時間を費やしたくない。
振り出しに戻った問題に、カインが焦りの表情を見せると、クラウスはやたら気の毒そうに言った。
「あのさ。普通に考えて、お前との結婚が嫌になって逃げたんじゃねーの?」
「は……?」
「いくら大人しいミレーユ嬢だって、お前たちの度重なる振る舞いには嫌気がさすだろう。限界が来て、婚儀前に逃げ出したと考える方が自然じゃねーの?」
ミレーユが自らの意思で出奔したかもしれないという可能性を示唆され、カインの顔色が青から土色へと変わる。
まったく的外れだともいえない事情が直近で生じていたため、一笑に付すこともできない。
(あのとき、やはりミレーユは怒っていたのか? だから、逃げた――?)
絶望の淵に立たされた心地とは、きっとこういう想いなのだろうとぼんやりと思う。
愕然とするカインの前に、それまで空気のように静かだったオリヴェルがのそりと立った。
じっとカインの右腕に視線をやり、やがてポツリと呟く。
「竜約は解消されてない。深く沈んでいるだけ」
「父上?」
「ちゃんと辿れば、繋がっているのがみえる」
「!?」
父の言葉に、カインは弾かれたように右手を見つめ、竜印が消えた右の甲に左手を当てた。
全身の魔力を集中させ、わずかな隙間さえ見逃さぬよう、意識を研ぎ澄ませる。
「――ッ!」
ある。
ほんの微かだが、ミレーユと繋がっている気配が感じ取れた。