消えた竜印Ⅳ
「どうした可愛い息子よ、その嫌そうな顔は。呼ばれた気がしたから声をかけてやったというのに」
「嫌気も差しますよ。やっと帰って来たかと思えば、なぜこんなところに一人でいるんですか。ナイルとの打ち合わせはどうされました。……まさか、逃げてきたわけではないでしょうね」
「この私が逃げる? バカなことを言うな。私の辞書に遁走の文字はない。ゼルギスが、私の許可なくオリヴェルを連れ出したからな。探すために仕方なくナイルを撒いただけだ。まったく、ゼルギスも勝手なことを」
腰に手を当てて立腹するエリアスに、カインは頭を抱えた。
きっと、いまごろナイルは姿を消したエリアスを必死になって探し回っているのだろう。
「父上には、見ていただきたいものがあってお連れしただけですよ。それほど時間もかかりませんから、さっさとナイルのところに戻ってください!」
「――いや。オリヴェルなら、早々に飽きて脱走している頃合いだ」
言いながら、エリアスはなぜか地面の土を何度も踏みつけた。
固い土をガシガシと蹴る不可解な行動に、ミレーユも首を傾げている。
カインもこの人は何をしているんだ、と不思議になり問いかけた。
すると、返ってきた答えは。
「オリヴェルのことだ、穴を掘って中で寝ている可能性があるだろう」
「母上は、父上をモグラか何かだと思っていらっしゃるんですか?」
あきれ果てて言うも、エリアスはまったく意に介さず。
今度は高い樹木を見上げ、
「ならば上か」
と呟くなり、おもむろに一番手前にあった大木に向けて蹴りを入れた。
樹齢数百年の大木が柳同然に揺れ、大量の葉が舞い散った。
「ちっ、この木にはいないか」
「母上は、父上を蝉か何かだと思っていらっしゃるんですか?」
これまた突っ込むが、やはり聞いていない。
エリアスはその場から数歩移動すると、今度はまた別の大樹に蹴りを入れた。
さきほど同様、大量の葉が舞うかと思いきや、代わりにドサッという音と共に落ちてきたのは――、
「父上……」
本当に木の上にいたらしいオリヴェルだった。
横にいたミレーユが、呆気に取られてぽかんと口を開くも、すぐさま大樹から落ちた衝撃を心配してか、オロオロとオリヴェルに歩み寄ろうとした。
「お、お怪我はございませんか?」
「ミレーユ、大丈夫だから。父上は空から落ちても傷一つ負わない」
同じ竜王だからこそ分かる。その証明に、オリヴェルはのんきな欠伸を一つすると、緩慢な動きで身体を起こした。
「……おはよう、エリアス。そして、おやすみなさい……」
そう告げて、いま一度土の上に寝転がろうとするも、すぐさまエリアスの腕が伸び、襟首を捕まれる。
「帰って来ているなら、なぜすぐに私のところに戻って来ない!」
「? 僕がエリアスを探すより、エリアスが僕を探してくれた方が早いと思って」
寝ぼけ眼で答えると、今度こそ目をつぶって熟睡しだした。
「……まったく。ナイルに小言を貰ったら、君のせいだぞ」
惰眠を貪るオリヴェルの首根っこを引きずって行く母に、カインはすかさず「それは母上の責任です」と言うも、当然のように聞き流された。
これ以上、傍若無人を地で行く母の言動に付き合っていられない。カインはミレーユの手を取った。
「私たちも行こう。母上に尋ねたいことがあるなら、代わりに私が答えよう。この人に何かを教わるくらいなら、けだまの寝言でも聞いていた方がよほど心の安寧を得られる」
息子の特大な嫌みも、華麗に聞き流すかと思いきや、エリアスは、なぜかオリヴェルを引きずったまま振り返り、不思議そうな視線を下に向けた。
「お前、なぜ花嫁に触れられるんだ?」
「ッ!」
「え……?」
母の問いに、カインは思わずハッとしてミレーユの手を離した。
どういう意味か分からずぽかんとするミレーユの横で、カインは焦った。
帰国してからもじっとしていない両親に、竜約のことを口止めしていなかったことを思い出したのだ。
「婚儀前の花嫁に触れれば、竜王ですら灰と化すのが竜約の力だと聞いていたが、実際は違うのか?」
(余計なことを!!)
竜約を交わさずに黒竜王の花嫁となったエリアスにとって、それは純粋な疑問だったのだろうが、タイミングが悪すぎる。
「母上っ」
「あ、カイン様」
これ以上余計なことを言われては困ると、前に出るカインの物騒な雰囲気を察してか、ミレーユがとっさにカインの腕に指を伸ばした。
――バチっ!
激しい閃光が散り、カインの腕から煙が立ち上がる。
(しまった――――!)
エリアスに気を取られ、身体の強化がおろそかになっていた。
すぐに回復術を施したが、服を焼き、肉がえぐれる様を目のあたりにしたミレーユの表情はまさに顔面蒼白。黒曜石の瞳が、驚愕のあまりこぼれんばかりに開かれ、よろけるように足が一歩後退する。
「ああ、なるほど。有り余る魔力を治癒に集中させ、竜印の攻撃と同時に放っていたのか。なかなか考えたな」
エリアスは理解したことでそれ以上は興味を失ったのか、「じゃあ」と夫を引きずりながら城中へと消えていった。
難事だけを残して去る母に、恨み言の一つでも叫びたかったが、そんな余裕もない。
(マズイ。ミレーユの目の前で、これは……)
腕は完治したが、焦げた衣装まではさすがに修復できない。これでは見間違いだと言い張るにも無理がある。